第十八話 山田池
翌朝、源七郎は範康、有仙、勝治らとともに塩田平へ向かった。前日の話し合いで決められたのは、まず実際の土地を見ることであり、いきなり大規模な工事を始めることではない。時勝が残した絵図にはいくつかの候補が記されていたが、その中でも最初に調べることになったのが、山あいに位置する一つの池であった。後に山田池として知られることになる場所である。
道中、源七郎は範康の後ろを歩きながら、何度も周囲へ目を向けていた。山から流れ下る水は細く、ところどころに小さな沢が見える。晴天が続けば、その流れがどれほど頼りないものになるのかは、まだ幼い源七郎にも何となく分かった。御牧へ向かった時に見た広い田畑と比べれば、ここはずいぶん山に近い。だが、その分だけ水を集めるには都合がよいのかもしれない。
「この辺りです」
範康が足を止めた。
源七郎も立ち止まり、目の前に広がる土地を眺める。そこにはまだ大きな堤が築かれているわけでもなく、計画のために整えられた場所でもない。ただ粘土質の土壌であり、山から流れてくる水が低いところへ集まり、周囲には草木が生えている。人の手が加われば、水を溜める場所として使えそうではあるものの、今の姿からはそれほど大きな池になるとは想像できなかった。
有仙が周囲を見回しながら口を開く。
「ここへ池を造るおつもりなのですか」
「大殿が候補の一つとして挙げておられた場所です。水を集めやすく、ここから下へ水を流せれば、周辺の田畑へ分けることもできる。ただし、実際に造れるかどうかはこれから調べなければなりません」
範康はそう答えながら、足元の土を手に取った。指先で土の具合を確かめ、少し離れた場所へ歩いていく。勝治も周囲を歩き、水の流れを確認している。
源七郎も二人の真似をするように地面へ目を落としたが、何を見ればよいのかまでは分からない。すると有仙が隣へ来て、静かに教えてくれた。
「水の跡をご覧ください。雨が降った時、どこを流れたのかが少し残っております」
「これですか」
「ええ。地面の色や草の生え方が違うところをよく見るのです。水は人間のように嘘をつきませんから、流れた場所には必ず何かしらの跡が残ります」
源七郎は言われた場所をじっと見つめた。すると確かに、周囲とはわずかに土の色が違う場所があり、そこから低い方へ向かって草の生え方が変わっている。
「なるほど……」
その時、範康が振り返った。
「若様、池を造るならば、次に問題となるのは何だと思いますか」
「水でしょうか」
「それも大切です。しかし、それだけではありません」
範康はそう言って、源七郎の目を見た。
「人手です」
源七郎は少し考えた。確かに池を造るには土を掘り、堤を築き、水路を整えなければならない。それをするには大勢の人間が必要になる。
「塩田家の領民を集めればよいのではありませんか」
「もちろん、それが基本になります。しかし、問題はどれだけの人間を、どのように集めるかです」
範康の言葉を聞きながら、源七郎はこの土地を見回した。田畑を耕している百姓たちがいる。家を守る者もいれば、馬を扱う者もいる。皆、それぞれに日々の仕事を抱えている。その者たちを一度に集めれば、今度は田畑の仕事が滞ってしまう。
ここで初めて源七郎は、ため池を造るということが単純な工事ではないことを実感した。
「人を集めれば、その間は田を耕せなくなります」
「その通りです」
範康は頷いた。
「そこで、若様には塩田家と民たちの関係を知っていただく必要があります」
そこで範康は、塩田家の年貢と軍役について源七郎へ説明し始めた。
塩田家は比較的収入の多い領主であった。馬の生産や売買による収入を持ち、また塩田平そのものが広い農地を抱えているため、領地から得られる収入も決して少なくない。そのため、塩田家が領民へ課す年貢は周辺の国衆と比べれば比較的軽く、おおむね四公六民ほどに抑えられていた。
「四公六民ということは、百石の収穫なら四十石を納めるということですか」
「おおよその考え方としてはそうなります。もちろん実際には土地や作柄によって違いはありますが、塩田家では民から取り立てることだけを考えているわけではありません。民が豊かになれば、それだけ家も豊かになるという考えが根にあります」
その代わり、塩田家は領民へ別の負担を求めていた。
それが軍事調練である。
塩田家の領地では、それぞれの地域を預かる寄親のもとへ月に一度、一定の者たちが出仕することになっていた。そこでは弓や槍の扱いだけでなく、隊列の組み方、合図に従った動き、行軍など、実戦を想定した訓練が行われている。
その制度には、塩田家が古くから騎馬や集団戦術を重視してきた事情も関係していた。一般に騎乗できるのは身分の高い武士に限られることが多いが、塩田家では馬の生産と騎馬術が家の大きな柱となっていたため、領地の規模に比して多くの騎馬を動かすことができた。そして騎乗しない者についても、保野一族の指導によって武器の扱いや集団戦の訓練を受けており、一般的な足軽よりも高い練度を持つ者が多かった。
「つまり塩田家では、年貢を軽くする代わりに、民から軍役を受けているということですか」
「それだけではありませんが、大きく言えばそういう面もあります。塩田家にとっては、領民をただの納税者として扱うよりも、いざという時にともに戦える者として育てる方が家を守るうえで都合がよかったのでしょう」
範康はそこまで話してから、少しだけ表情を曇らせた。
「ただし、この制度にも弱点はあります」
「弱点ですか」
「寄親ごとの結びつきが強いことです」
塩野家、別所家など、塩田家中の武士一族は寄親として、それぞれ一定の地域と兵をまとめている。そのため、普段の調練では非常に動きやすい。誰が誰を率いるのかが明確であり、同じ一族の者同士だからこそ命令も通りやすい。しかし、その反面、寄親となる武士や物頭が討たれれば、その集団は急激に統率を失う危険がある。
長篠の戦いで範康自身が生き残ったのも、ある意味ではその制度が影響していた。時信のそばにいた範康は一族と寄子をまとめていた父が倒れたために時信のそばから離れなければならず、結果として前線から離れ生き残った。
「軍をまとめるには強いが、その中心を失った時には弱い。そういうことですか」
「ええ。家中の者たちも、その弱点を承知しています」
範康はそこで話を区切り、再び山田池の候補地へ目を向けた。
「そして、もう一つ問題があります」
「普請ですね」
源七郎が答えると、範康は少し驚いたように笑った。
「よく分かりましたな」
「昨日、池を造るには人手が必要だと聞きました。それに、今のお話では月に一度、軍事調練もある。そうなると……」
「その通りです」
塩田家では、領民へ軍事調練を課す代わりに、普請やその他の労役を過度に課すことを避けてきた。領民にとっては年貢が比較的軽く、軍事訓練こそあるものの、農繁期にまで無理な普請を課されることは少ない。それが塩田家の統治を支える一つの仕組みでもあった。
だが、ため池を造るとなれば、その原則とぶつかる。
数日や数週間で終わる仕事ならまだしも、大きな池を築くとなれば、多くの人間が長期間にわたって土を掘り、堤を築き、水路を整えなければならない。その人手をどこから出すのかという問題は、池そのものの設計と同じくらい重要だった。
「年貢を増やすわけにはいきません。軍事調練を減らすわけにもいかない。では普請を新たに課すのかとなれば、それも民の負担になります」
「では、どうするのですか」
源七郎が尋ねると、範康は山田池の候補地を眺めながら答えた。
「それを考えるのが、これからの仕事です」
その言葉を聞いて、源七郎は改めて目の前の土地を見た。
池を造る場所は見つければよいわけではない。そこへ水を集める方法を考え、工事をする人間を集め、その人間が農を捨てずに済むようにしなければならない。さらに完成した後には、水を巡って村同士が争わぬよう仕組みを作り、堤や水路を守る者まで決めなければならない。
政とは、こういうものなのかもしれない。
源七郎はそんなことを考えていた。
その時、背後から声が掛かる。
振り返ると、見覚えのある少年が一人、こちらへ近づいてくるところだった。
「若様」
声を掛けたのは、源蔵である。
かつて源七郎と同じ忍びの里で育った藤蔵の従兄であり、出浦衆に属する忍びであった。源七郎が塩田家へ入ってからも、その動向を密かに見守っていたが、今は単なる護衛としてではなく、情報を集める役目を担っている。
「源蔵、どうしてここへ?」
「少し聞いていただきたいことがありまして」
源蔵はそう言ってから、周囲に目を配った。
「この辺りの村々では、池の話が出ているようです。まだ大殿の計画だと知っている者は少ないようですが、水不足について不満を持っている者はおります。それから、普請を命じられるのではないかと心配している者もいるようです」
範康が眉を上げた。
「もうそこまで話が広がっていますか」
「池を造るという話そのものよりも、何をさせられるのかを気にしているようです。普段の軍役だけでも負担があるところへ、さらに人足を出せと言われるのではないかと」
源七郎は黙って聞いていた。
自分たちが考えていることは、もうすでに民の側から見れば別の意味を持っている。水を得るための計画であっても、それを実現するために自分たちの暮らしが苦しくなるなら、素直に賛成できない者がいて当然だった。
谷仙の言葉が、源七郎の頭へ蘇る。
――人がそれぞれに抱えている事情を知り、その者たちが同じ方向を向ける道を探すこと。
源七郎は山田池の候補地を見つめた。
ここへ池を造る。
そのために、誰に何を頼み、何を与え、どこまで負担を求めるのか。
それを決めることこそ、これから自分が学ばなければならないことなのだろう。
そしてその日の視察を終える頃には、ため池を造るための問題が、水そのものよりも人の側に多く存在していることを、源七郎ははっきりと理解し始めていた。




