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真田異子伝  作者: 海野快斗
第一章 滅亡 三節 真田の家督

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第十四話 御館の乱

時は過ぎ、天正六年三月十三日。上杉謙信が春日山城で急死した。長く越後を治め、信濃や関東へ幾度となく兵を進めてきた謙信には実子がなく、その跡を継ぐべき存在として二人の養子が残されていた。一人は謙信の姉・仙桃院と長尾政景の子である上杉景勝、もう一人は相模の北条氏康の子として生まれ、謙信の養子となった上杉景虎である。二人はともに上杉家を背負う資格を持っていたが、それゆえにこそ、謙信の死によって抑え込まれていた家中の思惑が一気に表面へ噴き出すこととなった。景勝を支持する者と景虎を支持する者に家臣団は分かれ、越後の国衆たちもまた、それぞれの立場と利害を考えながら動き始める。やがて景勝は春日山城を押さえ、景虎は御館へ入った。こうして上杉家を二分する内乱、後世に御館の乱と呼ばれる戦いが始まったのである。


景勝にとって、この戦いは単なる家督争いではなかった。謙信という巨大な存在が死んだ今、自分が敗れれば上杉家そのものを失うことになる。しかも景虎は北条氏康の子であり、関東の大勢力である北条家を後ろ盾として持っている。景虎方には北条家と縁の深い者たちが集まり、越後の外からも援軍が来る可能性があった。対する景勝は春日山城を拠点として越後の諸将をまとめなければならず、謙信が生きていた頃には一つにまとまっていた越後を、今度は自らの力でまとめ直さなければならなかった。


景勝は、謙信の死を思い返すたびに、自分が今までどれほど大きな存在の後ろにいたのかを思い知らされていた。謙信が生きている間は、上杉家という大きな旗の下に従っていればよかった。しかし今は違う。自分自身がその旗を掲げなければならない。叔父でもあり、父のような存在でもあった謙信が残したものを守るためには、景虎と争うことになろうとも退くわけにはいかなかった。


一方、景虎もまた自らの立場を守るために動いた。北条氏康の子として生まれた景虎にとって、越後での後ろ盾を失うことは、そのまま自分自身の命運を失うことにも繋がる。兄である北条氏政へ救援を求めたのも当然であり、氏政は景虎を支援するために兵を動かすとともに、同盟関係にある武田家にも援軍を求めた。北条家にとって景虎は単なる一人の養子ではない。北条の血を引く景虎が上杉家を継げば、北条家は越後に強い足場を得ることができる。逆に景勝が上杉家を継げば、北条家にとっては大きな外交上の損失となるのである。


武田勝頼もまた、北条氏政からの要請を受けて動いた。


当時、武田家と北条家の間には甲相同盟が結ばれていた。長年争ってきた両家は、武田信玄の死後も互いの領域を認め合いながら関係を維持しており、勝頼にとって北条家は無視できない同盟相手であった。その北条家から景虎を救うよう求められれば、勝頼がそれに応じることは不自然ではない。


五月末から六月にかけて、武田軍は越後へ向けて進軍した。勝頼自身も大軍を率いて信濃から越後へ入り、景虎を支援する姿勢を見せた。景勝にとっては、これまで長く敵として向き合ってきた武田家までもが敵に回ったことになる。春日山城を押さえているとはいえ、北からは景虎、東からは北条、そして南からは武田という状況になれば、景勝が置かれた立場は極めて厳しいものとなるはずだった。


しかし、ここで景勝は一つの決断を迫られた。


武田と戦うのではなく、武田と手を結ぶ。


そのためには、武田勝頼にとって魅力のある条件を提示しなければならない。


景勝側から持ちかけられた和睦交渉の中で示されたのが、上野支配権の譲渡であった。さらに黄金を進上することも条件となり、武田家にとっては決して小さくない利益が提示された。長年、上野をめぐって北条や上杉と争ってきた武田家にとって、上野を手に入れることは大きな意味を持つ。しかも勝頼にとって、目の前にあるのは単純な「景虎を助けるか、景勝を助けるか」という二択ではなかった。北条との同盟関係を維持することと、武田家自身の領国を広げ、東方での立場を強めること、その二つを秤にかける必要があったのである。


勝頼は悩んだ。


北条との同盟を破れば、武田家は東に新たな敵を抱えることになる。しかし、徳川家康との戦いを続ける武田家にとって、北条との関係が永遠に安泰であるという保証もなかった。さらに景勝が上杉家を継ぐことになれば、武田家にとって長年の敵であった上杉家と新たな関係を築くことができる。


「北条を敵に回すことになりますぞ」


側近の一人がそう口にした。


勝頼はしばらく黙っていたが、やがて越後の絵図へ目を落とした。


「分かっている」


「されど、景虎殿は北条殿の御子。甲相の盟を考えれば、景虎殿を見捨てることは北条への裏切りと見なされましょう」


「それも分かっている」


勝頼の返答は静かだった。


「だが、上杉家が景虎の手に落ちれば、その後ろには北条がおる。北条と上杉が一つになれば、我らは東と北の双方に大きな敵を抱えることになる。それを考えれば、景勝と手を結ぶことにも意味はある」


勝頼にとって重要だったのは、単なる感情ではなく武田家の未来であった。北条との盟約を守ることが武田家のためになるのか、それとも、今この瞬間に新たな利益を得ることが武田家を生き残らせるために必要なのか。その判断を迫られていたのである。


やがて勝頼は、景勝との和睦へ傾いた。


上野の割譲と黄金の進上、さらに後には勝頼の妹・菊姫と景勝との婚姻へと話は進み、武田と上杉の関係は大きく変わっていく。こうして甲越同盟が成立し、長年の敵であった武田と上杉は手を結ぶこととなった。後世から見れば、この転換は御館の乱の行方を大きく変えた一手であった。武田軍の脅威を取り除いた景勝は戦局を立て直し、景虎方は次第に孤立していくことになる。


一方で、この決断は武田家にとって大きな代償も伴った。


北条との甲相同盟の崩壊である。


北条氏政にしてみれば、景虎を支援するため援軍を求めたにもかかわらず、その援軍として越後へ向かった勝頼が景勝と手を結び、さらに景虎を追い詰める結果となったことは、到底受け入れられるものではなかった。北条家にとっては、単に一人の身内を見捨てられたという話ではない。甲相同盟そのものが、武田家によって破られたと受け止めることのできる出来事だった。


こうして、武田と北条の間に新たな緊張が生まれた。


そして、その影響を最も強く受ける土地の一つが上野であった。


武田家と北条家が争うことになれば、その境目に位置する上野は戦場となる。しかも甲越同盟の成立によって、上野支配権の譲渡という約束が生まれた以上、武田家としてもその支配に乗り出すの長篠での大敗の挽回のためにも当然であった。


問題は、誰にその役目を担わせるかであった。


信濃から上野へ通じる道を知り、すでに上野の国衆との間に縁を持ち、父・幸綱の代から続く海野氏の血縁関係を利用できる者。


その条件に最も適していたのが、真田昌幸だった。


昌幸はすでに家督を継いでから、上野の国衆へ挨拶状を送り、父の代から続く縁を結び直していた。まだ大軍を動かしたわけではない。城を落としたわけでもない。しかし、書状を送り、人を通じ、古い縁を確かめることで、少しずつ上野に足場を作り始めていた。


そして今、その下準備が意味を持つ時が来た。


真田の館に、武田家からの使者が訪れた。


昌幸は使者から書状を受け取り、封を切った。目を通すにつれて、その表情からわずかに笑みが消えていく。


読み終えた昌幸は、書状を静かに畳んだ。


「沼田を攻めよ、か」


命そのものに驚いたわけではない。


むしろ、いずれ来ると考えていた時が、予想より早く訪れたことに驚いていた。


昌幸は立ち上がり、部屋の隅に置かれた上野の絵図へ目を向けた。


そこには、以前と変わらぬ山々と街道、城と館、そして国衆たちの名が記されている。


だが、昌幸の目にはもう、それらが単なる地名には見えなかった。


そこには父・幸綱から受け継いだ縁があり、自らが送り続けてきた書状があり、そしてこれから真田家が生き残るために利用すべき人の繋がりがある。


昌幸は絵図の上へ手を置いた。


「ようやく、動かせるか」


武田家の命によって始まる東上野攻略。


しかし、そのための準備は、すでに昌幸自身の手によって始められていたのである。

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