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『幼馴染を優先して何が悪い』と婚約者が言うので、私も幼馴染を優先することにしました。――私の幼馴染、隣国の皇帝なんですけど【連載版】  作者: ゆちこんす。
第四章 帝都の十二人

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第三十話 茶会の支度

 朝、扉を開けると、廊下の床にアレクがいた。

 外套にくるまって、壁に背をもたせている。膝の上に盆。盆の上に、パンがひとつ。

「おはようございます」

「おはよう」

 目の下に、薄い影があった。眠れなかったのだと、一目で分かった。私も浅かった。目を閉じるたびに、ガブリエル老の喉の奥の、息をのむ音が聞こえた。

 けれど、あの名は、口にしない。壁にも耳はある。アレクも、何も言わなかった。

 代わりに、盆を差し出した。

「塗らせた」

 パンの断面が、琥珀色に光っている。蜂蜜だ。

 アレクは、パンを割って、大きいほうを私に渡した。

「半分だ」

「それは、昨日の私の台詞ですわ」

「返す」

 かじると、甘さが舌に広がった。向かいで、アレクも同じようにかじっている。口の端が、ほんの少し緩んでいた。昨日の夕暮れの顔より、ずっと生きた顔だった。

 アレクが、空いた手で、私の袖口を一度だけつまんで、すぐ離した。昨夜は言えなかった分だと、分かった。

「アレク。お話しすることが、ございます」

「聞く」

「先に言え、と仰いましたので」

 アレクの手が止まった。

「カミラ様を、お確かめします。今日の午後、お茶にお招きして」

「花の主か」

「まだ、主と決まったわけではございません。ですから、お茶です。疑うのではなく、見るだけです」

「見るだけ」

「はい。お茶の席は、育ちの癖が出ますもの。手も口も、出しません」

 アレクは、パンを飲みこんで、しばらく黙った。

「夕刻の使いは」

「それまでに終えます」

「分かった。……私も行く」

「男子禁制ですわ」

「いつからだ」

「今日からです」

 真顔で言ったら、アレクが本気で考えこんだ。

「……では、隣の部屋にいる」

「給湯室の戸の向こうなら」

「扉の前が私の場所だと、言ったな」

「今日は、扉の向こうでございます」

 アレクの口の端が、ぴくりと上がった。

「まだか」

「八枚目に、かかっております」

「……あと二枚か」

「書き損じが入りますので、もう少し」

 アレクが、こほんと喉を鳴らした。耳が赤い。

 午前のうちに、支度を済ませた。

 台所の菓子司は、私が頼んだ「北から来た砂糖」の壺を、うさんくさそうに抱えてきた。

「黒砂糖ですぜ。癖が強くて、帝都のお方は誰も使わねえ。昔いた北出の爺さんだけが、あれを。茶を淹れる前に、必ず砂糖を先に杯へ入れる変わり者で」

「先に」

「帝都の者は、茶を注いでから溶かすでしょう。北の者は、逆で」

 北の作法。紙は、北方産の麻。

「白と黒、二つ並べてくださいな」

「なんのまじないで」

「辺境のお茶会の作法ですわ」

 廊下では、ラドミル騎士長が、後ろ手に帳面を隠して壁を向いていた。

「陛下が給湯室の床にお座りになるのは、帝国始まって以来かと存じます。これを賭けずして、何を賭けると」

「今日の席で、賭けはなりません」

「……夕刻のあとなら」

「構いません」

 茶室の鍵を預かる筆頭女官は、私の顔を見ても鍵を出さなかった。

「候補の方々のお名前でなければ」

「では、わたくしの名で」

 イリーナ様だった。りんどうの指輪を、女官の目の高さに掲げる。鍵が出てきた。

「借りは、取り立てるわ。十三年分のお話を、ひとつ。陛下から聞き出して」

「ご自分で、お聞きになれば」

「あの人は、話さないもの」

 私は声を落として、カミラ様もお招きしてほしいと頼んだ。

「理由は聞かないわ。ただし、わたくしの席では、誰も傷つけないで」

「見るだけです。約束いたします」

   ◇

 昼下がり、茶室の長卓に、白い壺と黒い壺が並んだ。

 給湯室との境の戸が、指一本ぶん開いている。向こうで、床に座った人の気配がした。湯の沸く音の合間に、咳をひとつ我慢するのが分かる。ラドミル騎士長の囁きまで、聞こえた。

「陛下、湯呑みは、握るものではありません」

 令嬢たちが、ひとり、またひとりと入ってきた。衣擦れと、白粉の香り。皆、私の顔を見ては、目をそらす。

 カミラ様は、三番目だった。例の扇を、半ばまで開いて持っている。親骨の根もとの花は、ここからは見えない。それでも、私の目は、そこへ行った。

 茶が注がれて、少しした頃だった。

「辺境では」

 向かいの席から、甘い声がした。ブラジェク侯爵家の、ミレナ様だった。

「お茶は、雪を溶かして、泥ごと召し上がるのだとか」

 くすくすと、笑いが広がった。

「泥は、沈めますわ。上澄みを頂きます」

「まあ、作法がおありなのね」

 ミレナ様は、扇の陰で笑った。

「でも、陛下もお気の毒に。珍しいお菓子には、飽きるのも早いものですのに。辺境の娘など、半月ももつかしら」

 そのときだった。

 給湯室で、ガシャン、と陶器の割れる音がした。

 茶室が、凍った。

 数瞬のあと、戸の向こうから、小さな声がした。

「……ちゅう」

 ラドミル騎士長の声だった。小声で何か囁く気配があり、間をおいて、ずっと低い声が、ひどく嫌そうに続いた。

「……ちゅう」

 誰も動かなかった。私も動けなかった。笑いを嚙み殺しすぎて、肩だけが震えた。

「あら」

 イリーナ様が、杯を置いた。

「鼠ですわ」

「宮殿に、鼠が」

「ええ。とても耳のよい、大きな鼠が。……ミレナ様、今のお話、もう一度、聞かせて差し上げたら?」

 ミレナ様の顔から、血の気が引いた。扇が、がたがたと鳴った。

「わ、わたくしは、その」

 それきり、ミレナ様は、杯に手を伸ばさなかった。

 空気を戻したのは、戸口のざわめきだった。

「ズザナ様が、まだお見えになりませんわ」

 イリーナ様が、囁いた。

 戸口に立ったのは、令嬢ではなかった。黒い外套の、若い男だった。

「ズザナ様のお家の使いの者にございます。お嬢様は、病にて伏せっております。お詫びの品を、お届けに」

 深く頭を下げて、小さな包みを掲げる。イリーナ様の目が、私のほうへ動いた。私は、小さくうなずいた。

「ご丁寧に。せっかくですもの、一杯、召し上がっていらして」

 女官が、卓の端に空の杯を一客置いた。男は、その前に立った。

 白い壺と、黒い壺。

 男の手は、迷わなかった。黒い壺の蓋を取る。匙で砂糖をすくう。そして、まだ茶の入っていない杯の底へ、ためらいもなく、落とした。

 茶より、先に。

 菓子司の声が、耳の奥で鳴った。北の者は、逆で。

 女官が茶瓶を傾けるより早く、カミラ様の扇が、ぱちりと閉じた。握る指の関節が、白かった。男は、そちらを見なかった。見ないようにしている、と分かる見かただった。

 戸の向こうで、湯の音が止まった。息をする音も、聞こえなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


次話は、砂糖を先に入れた男の正体に迫ります。扇を閉じたカミラは、何を知っているのでしょうか。


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