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『幼馴染を優先して何が悪い』と婚約者が言うので、私も幼馴染を優先することにしました。――私の幼馴染、隣国の皇帝なんですけど【連載版】  作者: ゆちこんす。
第四章 帝都の十二人

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第三十一話 砂糖を取る順番

 男は、空の杯の前に立ったまま動かなかった。

 女官が、茶瓶を傾けた。琥珀色の茶が、砂糖の上へ落ちていく。黒い粒が、ゆっくりほどけた。

 私は、男の指を見た。荒れていた。荷を扱う手だ。筆を握る手ではない。

「お国は、どちら?」

 イリーナ様が、世間話の声で聞いた。

「帝都の生まれにございます」

 早すぎる答えだった。聞かれる前から、用意してあった声だった。

 帝都の者は、茶を先に注ぐのに。

 男は杯を取って、熱いはずの茶を、一息に飲み干した。

「ごちそうさまにございます」

 頭を下げたとき、がたん、と椅子が鳴った。

 カミラ様が、立ち上がっていた。

「失礼いたします。急に、頭が」

 裾をつまむために、扇を椅子の上へ放り出した。そのまま戸口へ向かう。足がもつれていた。誰も、引き止めなかった。

「わたくしも」

 誰より先に戸口へ走ったのは、ミレナ様だった。

 令嬢たちが、ひとり、またひとりと席を立つ。使いの男は、卓の端に小さな包みを置いて、もう一度頭を下げ、振り返らずに出ていった。

 あっというまに、茶室は、イリーナ様と私だけになった。

「わたくしは、何も見ていないわ」

 イリーナ様は、空いたカミラ様の席を見たまま言った。

「鼠の声のほかは」

「イリーナ様」

「約束は守ったわね。誰も、傷つけなかった」

 まだ、傷つけてはいない。けれど、あの扇の音は、傷つく前の音に聞こえた。

「あの扇、預かって差し上げたら? お返しするのも、あなたの仕事でしょう」

 イリーナ様は、片目をつぶって出ていった。

 卓の端に、男の置いていった包みが残っていた。お詫びの品、と言っていた。

 ほどいてみた。黒砂糖の飴が、数粒。あの壺と同じ、癖のある匂いがした。

 飴を包んでいた紙を、指でこすった。ざらりと、繊維が立つ。

 麻だった。厚くて、目の粗い。

(紙、北方産の麻)

 ガブリエル老の手帳の、小さな字が頭をよぎった。

 そのとき、給湯室の戸が開いた。

 出てきたアレクは、右手を左手で押さえていた。指のあいだから、赤いものが一筋、袖口へつたっている。

 後ろで、ラドミル騎士長が、割れた陶器を盆に乗せて、天井を見ていた。

「湯呑みは、握るものではないと、申し上げました」

「割る気は、なかった」

「割る気のない方の手は、そうはなりません」

 私は、アレクの手首をつかんで、卓の前に座らせた。手巾を出す。

「かすり傷だ」

「血が出ています」

「ミレナ嬢の言葉よりは、浅い」

「それは、比べるものではありません」

 布を巻く指が、少し震えた。腹が立っていた。この人にではなく、血が出るまで握らせた言葉に。

 結び目を作って、きゅっと締める。

「痛い」

「我慢してください」

「痛い、と言った」

「我慢してください、と言いました」

 アレクは、結び目を見下ろした。小さな、きちんとした結び目だった。

「……半月、と言ったな」

「ええ」

「半月ももつか、と」

「ええ。それが」

「もたないのは、お前のいない私のほうだ」

 ラドミル騎士長が、盆を持ったまま、梁の数を数え始めた。

 私は、結び目を持ったまま、顔を上げられなかった。

「……そういうことは、手当てが終わってから、仰ってください」

「終わっている」

「終わっておりません。まだ、端を切っていません」

 切る糸など、なかったのに。アレクの口の端が、ぴくりと上がった。

「それから」

 アレクが、咳払いをした。

「あの声は、忘れろ」

「ちゅう、ですか」

「言うな」

「お上手でしたわ。特に、二度目が」

「ラドミル」

「は。鼠が一匹では、不自然と存じまして」

「私が鳴く必要は、なかった」

「ミレナ様のお顔の色が変わりましたので、効果は絶大かと」

 梁を見上げたまま、ラドミル騎士長の肩が揺れていた。

 アレクは、結び目を見下ろしたまま、小さな声で付け足した。

「……お前が笑ったから、いい」

「なお」

 ラドミル騎士長が、盆を抱え直した。

「ミレナ様のご退場は、予想の三倍の速さでございました。賭けではなく、個人的な観測です」

「聞いていない」

「夕刻のあとの精算に、含めておきます」

   ◇

 卓の端に座り直して、私は話した。先に言う、と約束したから。

 男が黒い壺から砂糖を取ったこと。茶より先に落としたこと。帝都の生まれだと、早すぎる声で答えたこと。包みの紙が、北方産の麻らしいこと。そして、カミラ様の扇が閉じたこと。

「北か」

 アレクは、その名を言わなかった。言わないまま、灰色の目だけが暗くなった。

「カミラ様が、あの男をご存じなのかどうかは、まだ分かりません。ご存じないのに、顔色が変わっただけかもしれません」

「お前が決めることだ」

「ええ。ですから、まだ決めません」

「使いの男には、茶室を出たところから、影をつけてあります」

 ラドミル騎士長が言った。

「トマシュを」

 四半刻ののち、トマシュが戻ってきた。給仕の服ではなく、騎士の装束で、息が切れていた。

「使いの男は、貴族街の奥へ入りました。ズザナ様のお屋敷の、裏口に」

「表からではなく」

「裏口です。ただ、表の門番に確かめましたところ、今日、病のお嬢様に代わって使いを出した覚えはない、と」

 ズザナ様の家の使いではなかった。ズザナ様の家に、裏口から出入りできる使いだ。

「兄上の使いでしょうか」

「妹の名を借りて、何を見に来た」

 アレクが言った。

「お前の茶会を、見に来たのだろう」

 背中が、冷えた。見るつもりが、見られていた。

 窓の外が、橙に傾き始めていた。夕刻の使いまで、あと一刻。

 アレクが立ち上がった。

「長官の部屋へ行く」

「はい。……少しだけ、お待ちを」

 椅子の上に、扇が残っていた。預かったものを返す前に、骨に傷みがないか確かめるだけ。そう自分に言い訳をして、手に取った。

 親骨の根もとに、小さな花が彫ってある。花びらの先が、浅く割れている。桜草。

 閉じた骨を、そっと開いた。

 骨と骨のあいだに、細く折った紙が、挟まっていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


次話は、カミラの扇に挟まっていた紙を開きます。夕刻の使いも、もうすぐです。


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