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『幼馴染を優先して何が悪い』と婚約者が言うので、私も幼馴染を優先することにしました。――私の幼馴染、隣国の皇帝なんですけど【連載版】  作者: ゆちこんす。
第四章 帝都の十二人

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第二十五話 ズザナの家

 夕暮れに部屋の前へ戻ると、廊下の床にアレクが座っていた。

 外套にくるまって、膝に剣。朝議のあとの皇帝がすることではないのに、この人は、昨日までと同じ場所で、同じ格好で待っている。

「おかえり」

「ただいま戻りました。午後は」

「義母上と、書記局の記録を洗った。長官の名で出た紙が、去年の冬からどれだけあるか、数えさせている」

 アレクは立ち上がって、外套の埃を払った。

「あの白髪の老人は、ガブリエルという。長官付きの秘書官だ。午後は、席にいなかった」

「お身体でも」

「長官の看病だそうだ」

 看病。匙も持てない人の。

「それより」

 灰色の目が、私の顔を見た。

「何を話した」

 イリーナ様の部屋に呼ばれたことは、ラドミル騎士長の耳に入ったのだろう。

「秘密です」

 言ってから、身構えた。この人は、聞くだろうか。

「……そうか」

 アレクは、それだけだった。

「お前が約束したなら、聞かない」

 前にも、同じ言葉を聞いた。胸の奥が、きゅっとなった。約束はしていない。けれど、あの人の十三年は、私の口から言うものではない。

「アレク。いつか、あの方の口から、お聞きになります」

「分かった」

 短く言って、灰色の目が、少しだけ細くなった。

「シャル。まだか」

「まだです」

 いつもの返事に、今日は、ほんの少し間が空いた。十年待った人の袖口が、頭をよぎったからだ。アレクは、間に気づいたらしい。何も言わず、耳だけが赤くなった。

「ひとつだけ、お話しできることが」

 私は声を落とした。

「書記局の下役が、毎晩、ある令嬢のお屋敷の裏口に通っているそうです。ズザナ様の」

「ズザナ」

「朝議の列で、ずっと顔を伏せていた方です。帝都にお屋敷がありますので、夜はお家に戻られます。午後のうちに、ラドミル様の人に、裏の路地を見てきていただきました。勝手口の脇に、薪が積んであるそうです」

「ラドミルが午後から落ち着かなかったのは、それか」

「お叱りは、あとで」

「叱らない。……次は、私に先に言え」

「はい。今夜も、来るかもしれません」

「見に行く」

「私が参ります。陛下は」

「私も行く」

「アレク」

「扉の前が私の場所なら、裏口の前もだ」

 理屈が、むちゃくちゃだった。けれど、この顔は、折れない顔だった。

「後ろで、薪の陰に座っていただきます」

「座る」

「声は、出さずに」

「出さない」

 廊下の端で、ラドミル騎士長が、そっと天井を見上げた。

   ◇

 月のない晩だった。

 ズザナ様のお屋敷は、貴族の家が並ぶ通りの、いちばん奥にあった。表は門灯がともっていたけれど、裏の路地は暗い。勝手口の戸の脇に、薪が高く積んである。その陰に、暗い色の外套をかぶった二人が、並んでしゃがんだ。路地の両端には、ラドミル騎士長の人が、すでに潜んでいる。

 肩が、触れた。

 石畳から冷えが這い上がってくる。身じろぎしかけたとき、肩に、外套の端が掛けられた。無言だった。

「……あなたが冷えます」

 囁くと、息だけで返事が来た。

「慣れている」

 待つことには、と言いたいのだろう。私は、そのまま、外套の端を握った。

 半刻ほど経った。

「来る」

 アレクが、耳もとで言った。

 私には、何も聞こえない。それでも少しして、路地の入口に、足音が現れた。ひそやかに急ぐ、革靴の音。

 外套の襟を立てた男が、勝手口の前で止まった。左右を見て、戸を叩く。二つ、短く。一つ、長く。

 戸が、内側から開いた。細い光がもれて、男の横顔を照らした。朝議の席で、唇を噛んでいた下役だった。

 小さな角灯を持って立っていたのは、小柄な令嬢だった。おとなしい顔。朝議の列で、ずっと顔を伏せていた人。ズザナ様が、自分で、裏口の戸を開けている。

「遅いわ」

「申し訳ございません。朝議のあと、書記局は大騒ぎで」

 下役は、懐から細い封書を出して差し出した。ズザナ様は受け取ったけれど、読もうとしなかった。

 下役の声が、震えていた。

「副長官殿が、あの紙を、皇帝陛下の御前で」

「見ておりました。破られましたわね」

「はい。それで、お嬢様。私は、もう、ここへは」

「来られない、と言うの」

「書記局を、調べ始めた方々がおります。私は」

「あなたが来なくなったら」

 ズザナ様の声も、細く震えていた。

「わたくしは、兄上に、何と申し上げればいいの」

 下役は、答えなかった。

「兄上は、何も教えてくださらないのよ。わたくしは、お手紙の宛先なの。あなたが持ってくるものを兄上に渡して、兄上のお返事を、あなたに渡す。それだけ。中に何が書いてあるのかも、知らない」

 角灯の光が、手の震えを拾っていた。

(……この人は、悪い人の顔を、していない)

 怯えた人の顔だった。自分が何を運んでいるのかを、知らないまま、運ばされている人の。

「お嬢様。お耳に入れたいことが」

 下役が、声を低くした。

「ガブリエル様のことです。このところ毎夜、長官の寝所に上がっておいでで。人払いをして、一刻も」

「看病でしょう」

「看病に、人払いは要りません」

 ズザナ様は、息を止めた。

「何かを探しておいでのように、私には見えます。何を探しておいでなのかは」

「……分からないのね」

「はい」

 ズザナ様は、長いこと黙っていた。それから、懐から油布の小さな包みを出した。

「兄上のお返事よ。持っていって」

 下役が受け取る。包みは、掌に収まるほどだった。

「これが、最後になるかもしれないわ」

「お嬢様」

「お行きなさい。誰かに見られる前に」

 戸が閉まった。下役は、包みを胸に押しこんで、足早に路地を戻っていく。薪の陰の二人には、気づかなかった。

 アレクが、動いた。立ち上がりかけた肩を、私は押さえた。

「お待ちください。追わせるだけで、今夜は触らずに」

 アレクは、しばらく黙って、それから腰を戻した。路地の端の影が、ひとつ、音もなく動いた。

 屋敷の窓のひとつに、灯がともって、消えた。

「悪い者の顔ではなかった」

 アレクが、低く言った。

「ええ。宛先、と仰いました。持たされているだけの方ですわ」

「兄」

「手紙の先は、兄上。そして、書記局の中の誰かが、この方々をつないでいます」

 顔の見えない手は、紙の上だけではなかった。人の家の裏口にまで、伸びている。

「ガブリエル」

 アレクが、つぶやいた。

「今夜も、長官の寝所にいるのか」

「人払いをして、一刻。……何を探しているのでしょう」

 夜ごと副長官の引き出しに入っていた封と、夜ごと長官の寝所へ上がる老人。二つの夜が、どこかで結ばれている気がした。

 外套の端が、また肩に掛け直された。

「確かめる」

 アレクの声は、静かだった。

「明日、ガブリエルに会う」

 私は、うなずいた。握っていた外套の端が、いつのまにか温かくなっていた。

 路地を出ると、遠く宮殿の北の翼に、灯がひとつだけともっていた。長官の寝所の窓だと、アレクが言った。灯は、馬車が動き出しても、消えなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


次話は、ガブリエル老に会いに行きます。長官の寝所で、夜ごと何を探しているのでしょうか。


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