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『幼馴染を優先して何が悪い』と婚約者が言うので、私も幼馴染を優先することにしました。――私の幼馴染、隣国の皇帝なんですけど【連載版】  作者: ゆちこんす。
第四章 帝都の十二人

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第二十四話 十年待った人

 朝議は、そこで打ち切られた。

 皇太后が「続きは、午後に」と言ったきり、異を唱える者はいなかった。痩せた大臣は、二人がかりで支えられて出ていった。アレクは宰相とラドミルに囲まれて、書記局の席へ向かった。

 去り際に、一度だけ、こちらを見た。口は動かさず、耳だけが赤かった。

 令嬢方の控えの間は、昼前なのに、夜のように静かだった。カミラは壁際で、折れた扇の骨を指でなぞっている。目が合いかけた人は、みな、先に目を伏せた。

「シャルロット様」

 扉のそばに、淡い金の髪の人が立っていた。深い藍色の袖口。

「お茶を、差し上げたいのです。わたくしのお部屋で」

 イリーナ様だった。あの手を、逸らさずに見ていた人だ。

 断る理由は、なかった。聞きたいことも、あった。

   ◇

 イリーナ様の部屋は、廊下のいちばん奥にあった。窓辺に、藍色の花が一輪、挿してある。窓の下は石畳の裏庭で、その向こうに、小さな門が見えた。

「どうぞ、お座りになって」

 小さな丸い卓に、杯が二つ。イリーナ様は、自分で茶を注いだ。侍女は、扉の外に下げてある。

 私は、いつもの癖で、湯気を手であおいだ。

「あら」

 イリーナ様が、口もとを押さえた。

「噂は、本当でしたのね。お茶を、匂いで確かめる方だと」

 茶葉の匂いだけだった。眠り草の甘い匂いは、しない。

「合格かしら」

「……はい」

「よかった。お話が、長くなりますので」

 イリーナ様は、私より先に、自分の杯に口をつけた。

「先に、白状いたします。白百合の食堂の席のこと。わたくしが、早かったでしょう」

 どきりとした。

「疑って当然ですわ。わたくしの家の者は、書記局に出入りしております。紙の流れだけは、見えますの。女官長の書付の写しを、前の晩に見ておりました」

「それで、あんなに早く」

「ええ。あなたが断ると思っておりました。断ってくださって、よかった。書付どおりの席で、笑って座れる方かどうか、見たかったのです。それと、あなたが給仕をなさった朝は、一拍、遅れましたでしょう。髪留めのことは、存じませんでした。あれは、紙に載っていなかったので」

「……見ておいででしたの」

「ええ。ずっと」

「それほど見えていて、なぜ陛下に、お知らせしなかったのです」

「証が、ございませんでした。それに、あの方に近づけば、書記局の目が、わたくしに向きますもの」

 イリーナ様は、窓のほうを見た。

「南門でわたくしが申しました、『十年、お待ちしておりましたのよ』。あれは、お芝居ですの」

 喉が鳴った。

「皇后候補のなかで、いちばん目立つ者が、いちばん疑われませんでしょう。あの方を『アレク』と呼ぶ、気位の高い、時代遅れの令嬢。そういう役を、わたくしが自分で選びました。書記局の方々が、わたくしを甘く見てくださるように」

「では、お待ちしていた、というのは」

「そちらは、本当です」

 イリーナ様は、笑った。笑いかたが、少しだけ、苦かった。

「今朝、副長官殿が手袋を外されたとき、目が離せませんでした。十三年、隠してきた方の手でしょう。他人事とは、思えなくて」

「十三年前の夜のことを、お話ししても?」

「はい」

「わたくしは、十一でした。公爵家の者が泊まるお部屋は、昔から、ここですの。眠れなくて、この窓に立っておりました。肩に、藍色の羽織をかけて。真夜中に、人が走ってきました。十人ほど。そのうちの一人が、子どもを背負っておりました。銀色の髪が、月に光って」

 息が、止まった。

「顔は、見えませんでした。背中に埋めておいででしたもの。それでも、分かりました。毎日、遊び相手を務めていた子ですから」

「アレクを」

「あの子は、一度も振り返りませんでした。わたくしの声は、出ませんでした。出したら、あの子が捕まる気がして」

 十人が門を出て、闇に消えるまで、この人は窓に立っていたのだ。十一歳の足で。

「そのあと、兵が来ました。裏庭に面した部屋の子どもを、ひとりずつ調べて。男の子を見なかったか、と」

 イリーナ様は、杯の縁を、指でなぞった。

「『見ていません。寝ておりました』と、お答えしました。父が、うしろで、青い顔をしておりましたわ。十一の子が、兵の前で、嘘をつきましたの」

「……それを、十三年」

「誰にも。あの方にも」

 喉の奥が、熱くなった。

 私が砦で、あの子の熱を下げていたころ。この人は、ここで、ひとりで、嘘を抱えていたのだ。

「三年して、あの方が、戻っていらしたの」

 声が、やわらいだ。

「背が伸びて、声が低くなって。わたくしを見て、会釈をなさいました。それだけ。……覚えておられなくて、当然です。ご自分が命がけの夜に、窓の下に誰がいたかなんて」

 イリーナ様は、自分の袖口を、そっと持ち上げた。

「藍色は、あの夜、肩にかけていた羽織の色です。以来、どの衣服にも、袖口にだけ、付けておりますの。いつか気づいていただけたら、と。何に気づくのか、あの方は、ご存じないのに。滑稽でしょう、十年も」

「いいえ」

 声が、勝手に出た。

「いいえ。滑稽では、ありません」

 イリーナ様は、少しだけ目を丸くした。それから、袖口を、目元に押し当てた。藍色の布の陰で、肩が、一度だけ小さく揺れた。

 しばらくして、イリーナ様の声が戻ってきた。

「……ところで」

「はい」

「お顔に、出ておりますわよ」

「何がですの」

「嫉妬」

 茶を、吹きかけた。

「し、しておりません」

「あら。そう」

「……少し」

 イリーナ様は、杯を持ったまま、肩を揺らして笑った。さっきの苦い笑いではなかった。

「十年ぶりに、誰かに妬まれましたわ。嬉しいこと」

「からかわないでくださいませ」

「からかっておりません。安心なさって、と申し上げたいの。毎年、同じ日になると、あの方は、お部屋の机に向かって、何かを書いては、捨てておいででした。庭から、窓越しに見えましたの。十年、毎年」

 心臓が、跳ねた。

「その先に誰がいるのか、わたくしは知りませんでした。今は、知っております。あの方の目は、十年前から、ずっと同じ方向を向いておりました。わたくしの立つ窓ではなく、帝都の外を。ですから、あなたに負けたのだと、納得できましたの」

 それから、少しだけ声を明るくした。

「毎朝、聞かれているのでしょう」

「何を、でしょう」

「『まだか』と。あの朝、食堂で、皆の前で仰いましたでしょう」

 顔が、熱くなった。

「それで、お答えは」

「……まだです」

「まだ」

 イリーナ様は、ゆっくり繰り返した。

「十年待った者より、ずっと意地がお悪いこと」

「ち、違います。まだ、お返事を書いている途中で」

「お返事」

「十枚には、なりそうなのです」

「まあ」

 イリーナ様は、また笑った。笑って、目の端を、袖口でぬぐった。

「では、もう少し、あの方に待っていただきなさいな。待つのは、あの方の得意ですもの。ただ」

 杯が、卓に置かれた。かたん、と小さな音がした。

「待たせすぎては、いけませんよ。十年待った者から、ひとつだけ」

 イリーナ様の顔が、令嬢のそれに戻った。

「さて。お茶は、前置きですの。今朝の朝議。書記局の席の老人のうしろに、下役が二人おりましたでしょう」

「はい。ひとりは紙のように白く、ひとりは、唇を噛んでいました」

「唇を噛んでいたほうの方が、毎晩、ある令嬢のお屋敷の裏口に、通っております。家の者が、見ておりました」

 背筋が、伸びた。

「どなたの」

 イリーナ様は、藍色の袖口を、そっと直した。

「ズザナ様の」

 顔を伏せていた三人のなかの、ひとりだった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


次話は、ズザナ様のお屋敷です。唇を噛んでいた下役の行き先を、シャルが確かめます。


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