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『幼馴染を優先して何が悪い』と婚約者が言うので、私も幼馴染を優先することにしました。――私の幼馴染、隣国の皇帝なんですけど【連載版】  作者: ゆちこんす。
第四章 帝都の十二人

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第二十二話 今朝も朝食を

「ヴォイチェフ」

 皇太后が、宰相の名を呼んだ。

 床に膝をついた宰相の背中が、跳ねた。

「は、はいッ」

 声が裏返った。胃を押さえようとしたのか、両手が宙で迷っている。

「顔色が悪いですね」

「め、滅相もございません」

「今朝は、何を召し上がりました」

 広間じゅうが、息を止めた。死んだはずの人の第一声が、宰相の朝食の話だとは、誰も思わなかっただろう。

「は。茶を、二、いえ、四杯ほど」

「それは、朝食とは言いません」

「は」

「わたくしは、今朝も朝食を残さず頂きました」

 皇太后は、広間の端まで届く声で言った。

「黒パンと、卵と、りんごの煮たものを。皿は、空にしてまいりました」

 誰かが、ごくりと喉を鳴らした。

 皿を空にした人の死を、今朝、この広間は読み上げようとしていたのだ。

 それから、気づいた。最初に宰相の朝食を聞いたのは、凍りついた広間の恐れをほどくためだ。この人は、いちばんつまらない話から始めたのだ。

「陛下」

 皇太后が、隣の玉座を見た。

「皆を、立たせておやりなさい。膝が痛みます」

 アレクの喉が、ひとつ動いた。

「……立て」

 低い声だった。衣擦れが、波のように戻ってくる。私も立った。膝を折っていたせいで、足の裏がしびれている。そっと体重を移した。

 その拍子に、少し離れた席で、ぱきり、と音がした。

 カミラだった。立つときに、落としたままの扇を踏んだのだ。骨が、きれいに折れていた。本人は前を向いたまま、動かない。動けば足元を見られると、分かっているのだ。

 そのとき、宰相ヴォイチェフが、膝をついたまま、ぼろぼろと泣きだした。

「お、お生きで、おいでで、ようございました。私は、今朝からずっと、胃が」

「ヴォイチェフ」

 アレクの声が、頭の上から降った。

「泣くのは、あとにしろ」

「は、はい。あとで、いくらでも」

 鼻をすすりながら、宰相は立った。

「それから」

 皇太后が、右手の大臣席へ目をやった。

「先ほど、幽霊は靴を履かん、と仰ったのは、どなたです」

 大臣席の端で、赤ら顔の老大臣が、中腰のまま固まった。

「わ、私でございます」

「よく通る、お声でした」

「恐れ入ります」

「確かに、わたくしは靴を履いております。——幽霊を、ご覧になったことがおありですか」

「い、いえ」

「では、なぜお分かりになったのです」

 返事はなかった。赤い顔が、胸の上までうつむいて、震えていた。

 笑ってはいけない、と思うほど、肩が揺れた。

「その耳の良さは、予算の数字にもお使いなさい」

「は、はいっ」

 老大臣は、膝から崩れるように座りこんだ。

 ふと、皇太后の右手が目に入った。肘掛けを、握りしめている。指の関節が、白かった。声があれほど静かなのに、手だけは、まだ戻っていない。

 壇の上で、アレクの左手が、自分の肘掛けの上をすべった。皇太后の手のほうへ、指の幅ひとつぶんだけ。触れる前に、止まった。

 それでも、動いたのだ。氷の皇帝の手が、人のほうへ。

 皇太后は、隣の玉座へ目を戻した。

「陛下」

「はい」

「襟が、まっすぐですね」

 アレクの肩が、ぴくりと跳ねた。右手が襟元へ上がりかけて、止まった。触れたら、直したところが消える。今朝も、そう思っているのだ。

「……はい」

 氷の皇帝が、叱られた子どものような声で言った。

「よろしい。その襟のまま、朝議をなさい」

 令嬢方の列で、ぱたん、ぱたん、と扇が二つ鳴った。イリーナ様の扇だけは、動かなかった。藍色の袖口の陰から、目だけがこちらを向いた。目が合った。すぐに、逸らされた。

 顔が熱い。私は、手の甲で頬を隠した。

 視線を感じて、そっと顔を上げた。

 壇の上で、アレクの唇が動きかけていた。

 ま、

 私は先に、首を振った。

 ま、だ、で、す。

 聞かれる前に、答えた。アレクの口が、開いたまま止まった。それから、わざとらしい咳払いに変わった。

「陛下が、むせた」

 大臣席のどこかで、誰かが囁いた。

 氷の皇帝がむせるところなど、初めて見たのだろう。耳まで赤いのを知っているのは、私と、玉座の隣に座る人だけだ。

「陛下。お風邪ですか」

「……いえ」

「ならば、結構」

 皇太后の口の端が、わずかに動いた。

「副長官」

 皇太后の声が、一段、低くなった。

 広間の空気が、また締まった。

 レオニードが、顔を上げた。左手に、巻いた紙を持ったまま。

「は」

「その紙の続きを、読みなさい」

「……皇太后陛下の、薨去の件を、でございますか」

「ええ。最後まで」

 皇太后は、膝の上で手を組み直した。

「わたくしが、聞いておきましょう。自分の死が、この広間でどんな声で読まれるのかを」

 ざわめきが、止まった。

 アレクが、わずかに目を細めた。宰相が、また胃のあたりを探した。

 書記局の席の老人の目が、ゆっくり開いた。唇が、また動いた。今度の言葉も、読めない。後ろの下役の白いほうの顔が、紙より白くなった。

 あの紙に何と書いてあるかは、私も知っている。けれど、レオニードがこの先をどう読むつもりなのかは、まだ知らない。

 レオニードは、左手で紙を持ち直した。

 深く息を吸う音が、ここまで聞こえた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


次話は、七枚目の紙の続きです。副長官は、どう読むのでしょうか。


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