第三章 夢精
まともに答えることができなかったので、次に会った際には、緊張することなく受け答えができたらいいなと願いつつ、脱衣場に入った。
下着を駕籠に放り、湯船に向かおうとしたら、姿見に自分の裸が映っているのに気がついた。
鎖骨と肋骨が浮き上がった細い体が鏡に映っている。自分でも貧弱だと知っている。下の方には毛が生えてきているが、自分の〃モノ〃が大きいのか小さいのかはわからない。
「女の子みたい」と言われた。確かに大人の体にはなっていない。背も低い方だし、ショウノスケと比べると残念な体格だと思ってしまう。
ショウノスケはバスケットをしていて、背も高いし、背中も広い。とても羨ましいのだ。
ちなみに、タケは美術部に入っているということもあるが、背は僕より低く、体型もポッチャリしている。眼鏡もかけているが、それらを補えるほど頭が良いので、こちらも僕には羨ましい存在なのだ。
二人と比べ、自分にはどういう取り柄があるのだろうかと、考えてみる。
成績はいたって普通。このままでは県立の普通科は無理だと、担任の冨田からいつも言われている。
陸上部では二百メートルを走っているが、いつも予選落ち。
それでも、顧問の斉藤先生は、「お前はまだ自分の才能に気がついていないのだ」と励ましてくれる。
去年の夏の大会で、予選の時、僕は珍しく一位を走っていた。走りつつ、念願の準決勝に進めると喜んだとたん、倒れてしまった。ある感覚に襲われたからだが。そのとき、斉藤先生は僕に付き添って救護室まで走ってくれた。
ちなみに、斉藤先生は母に会ったことがない。だから、信頼できるのだ。
自分の才能……それはいったい何だろう、と考えつつ、曇ったガラス戸を横に滑らせ|湯殿へ入る。
中央の湯船の奥に、僕と同じくらいの年の少年が浸かっていた。
軽く会釈し、反対側へ足を入れる。熱さに思わず声が漏れそうになったが、見知らぬ少年の前で情けない姿は見せられない。
「君は……始めて?」
湯船の縁に両腕をかけ、細い目をより細めて、少年は僕を値踏みしている。
「何が、ですか?」
「ここへ来るのは」
「そうです」
「だよね。見たことない顔だと思って」
少年は腕を湯に入れ、お湯をかき混ぜた。波がこちらまで来たため、僕は沈めていた顎を上げる。
「何年生?」
「四月で、三年生になります」
「小学?」
「……はぁ?」
ムカついてしまう。いくら貧弱に見えるといっても、それはないだろうと。
「冗談だよ。かわいい顔しているからさ」
童顔を指摘されて、よけいに腹が立ってしまった。
「俺は、高校生になるのだ。松本だけど。だから、君のいっこ上だ」
見た感じ、体格はほとんど変わらないが、先輩だと宣言されたわけだ。
「タメでいいよ」
「……は?」
「ここへ来れば、みんな平等だから。先輩後輩はない」
「はあ……」
ちょっと不気味に感じられる。
「君は初めてだということだから、わからないことがあれば、俺に訊いてよ」
と言いつつ、少年はこちらへ、移動してくる。
大きな波とともに近寄ってくるため、僕は身構えてしまった。
「俺の名前は羽根明仁。ここが出来たときから、通っているんだ」
羽根は隣に来て、肩まで湯に浸かった。
「もっとも、赤ちゃんの時だけどさ」
「何が、です?」
「……太陽殿が出来たときさ」
それも知らないのか、という顔を羽根はする。
「宿舎で、割烹着を着ている女の人は……」
「会った? 俺のかーちゃん。聖天祭で、奉仕をしているからね」
「しょうてんさい……?」
「そうだよ。明後日のお祭りさ」
「祭り?」
羽根は僕の顔を不思議そうに見つめる。
「それで来ているのだろう……ひょっとして、何も知らずに来ているわけ?」
僕はただうなずいた。
「そんなことってあるの?」
もう一度うなずいてみせる。
「ふぅーん。誰と一緒?」
「母です」
「教えられなかった?」
「母も、初めてですので、ここへ来るのは」
そう、と発し、名前はと訊かれたので、「中野です」と答える。
羽根は、なかの……なかの……と口ずさんでいたが、思い当たらないようで、もう一度、そう、とだけ言った。
「教祖様が亡くなって、七年経つのよ。それで、天に還られたということで、最初は『昇天祭』と言って、執り行っていたのだよ。それを、いつのころからか、『聖天祭』と書き直して、読みは同じだからさ、一年に一度、教祖様が亡くなられた、三月二十九日に執り行われるのだ」
と、空に指で字を記しながら、羽根は説明した。
「他にも、教団の重要な行事は……一ヶ月に一度、第一日曜日に、『例祭』が行われる。また、教祖様がお生まれになった、七月八日は、『聖誕祭』といい、盛大にお祝いの行事が行われる。それから、十月十三日は、教団が成立した日だから、『聖立祭』が行われるのだ。その度に、俺のかーちゃんは、奉仕に来るのさ」
少し憂鬱になる。
「全部、来ているのですか?」
「タメ口でいいよ」
「……は?」
「だから、敬語を使わなくていいから」
「ああ……」
「俺は例祭だけ、日曜日だし。だけど、今回は、なんとしても来たかったのだ。ちょうど春休みで良かったのだけど……なんといっても、妃那之様が、初お目見えなさるから」
顔を輝かし、羽根は語った。
ひなの……? ここでも名前が出た。
「そうだ。教えておこう。教団の青年部には、十六歳から二十二歳までの青年が入っているのだ」
「はあ……」
僕は入る気がないけれど。
「明日、施設内を案内するわ」
と話した。
「あ、お願いします」
「教祖様のことは知っているよね?」
「ほとんど……」
父が語る教祖の姿でしか、理解していない。
「毎朝、ゴミを拾っていたのだって」
「……ゴミ?」
何を語り出すのだろうかと、多少混乱する。
「そう。この世界を綺麗にするのだと誓って、太陽が上るとともに起きて、毎朝一時間、町のゴミを拾っていたんだと」
「そうなんだ……」
それが世界を綺麗にすることなのかと、落胆する。
「そこで、章さんが彰様に出会ったのだよ、桂の木の下で」
「なんのこと?」
「いまじゃ教団の伝説さ。彰様が、ゴミを拾って、爽やかな汗を拭きながら、桂の木の下で休んでいたのだ。そこへ、的場の社長の章さんが、たまたま通りかかったのさ。『何故にあなたはそんなに清々しいお顔をなさっているのですか』とお尋ねになり、それから二人の付き合いが始まった。二人は桂の木の下で出会ったから、この教団は、カツラ会、というのだよ」
それを聴いて、「カツラかい!」と、ツッコミを入れたかったが、言わなかった。
「ところで、ひなの、って誰?」
さっと質問を挟んだら、羽根はムッとした顔を向けてきた。
「妃那之様だ。俺にはタメ口でかまわないけど、妃那之様にはいけない」
そう言い、湯船の中にもかかわらず、羽根は一つ頭を下げてみせた。こういう姿に接すると、いきなりテンションが下がってしまう。
「妃那之様というのは……教祖・彰様と、教主・知世様との間にお生まれになった、お嬢様なのだ」
「教祖の娘さん……ああ、お嬢様なのね……」
「そう。二代目教祖になられる方で……というと、変に思うだろう」
「……何が?」
まったくわからず、僕は返した。
「だから、知世様がいらっしゃるのに、なぜ、妃那之様が二代目なのかということよ」
「……ああ、そういうこと」
何だかよくわからなかったが、とりあえず肯定した。
「知世様は教主様なのだけど、教祖代行なのよ」
「代行?」
「そう。それは、それ……大きな声では言えないけどさ」
と、小声で説明し出す。
「こういう組織なんかは、偉大な方がお亡くなりになると、跡継ぎを誰にするかということで、よく揉めるじゃないか。そのため、彰様の直系である妃那之様が成人になるまでの、代行、ということにしたのさ」
「はあ、そう……」
なるほど、『伏魔殿』だ。
というのは、父はその日、教祖の葬儀の日だが、出席したのだ。
しかし、それから後は、ここへ来ることはなくなった。何も語らなかったが、父も跡目争いに巻き込まれて嫌気がさしたのだろう。
「妃那之様の教主就任は、教団設立三十周年祭の時に行う予定になっている。それは二年後なのだけど、ちょうど高校を卒業なさるので……」
〃ニコ上〃、と素早く計算した。
「その前に、今年の聖天祭で、お披露目しようということになっているの。太陽殿においでになるのさ。舞台に立つのだよ」
それで今年は大盛り上がりになっているのだと説明した。
「会ったことある?」
「お目にかかったことは……」
と言い直し、「ない」と言い切った。
「はやく青年部に入りたいのだ。……妃那之様に仕えたい」
夢見るように顔を挙げ、羽根は告げた。
「そうだ、今から『勉強会』に行くのだけど、君も行くかい?」
羽根は僕に視線を戻した。
「そうですね……」
迷っていたら、返事を待たないで、羽根は、「のぼせてしまった」と、湯船から立ち上がった。
体は僕とさほど変わらない。貧弱なものだったが、ただ一つ、目の前にぶら下がっている〃ソレ〃は、明らかに僕のより大きかった。
部屋に入ると、母はまだ戻っていなかった。
布団が二組並んで敷いてある。それを目の当たりして、なんとも照れくさい気持ちになってしまった。それと、ここが肝心なことなのだが、鬱陶しいなと感じた。
僕が母と一緒に寝ていたのは、父が亡くなる小学六年までで、ここ三年間は一人で寝ている。
布団に横になり、勉強会に行った方が良かったかなと、少し後悔していた。
羽根の話によると、青年部を中心にした若い人たちの集まりがあり、教団について、世界について色々と語り合うのだそうだ。そこに、中心的な人物がいて、その人の話がとても勉強になるということだ。
名前は西条孝太郎といい、若きカリスマとのこと。
ふと気がついた。きっとその集まりには、あの綺麗な人も参加するだろうと。少し残念だ。
そんなことを考えつつ、布団を被ったら、すぐに眠りに入ってしまった……。
ハッと目が覚める。薄暗い部屋の中に人の気配を感じ、横に顔を向ける。
母が、布団の上で横座りし、顎を挙げ、床の間を見つめている。教祖の写真を見ているようだ。
僕はドキッとしてしまった。母は浴衣の片方をずらし、片手で自分の乳房を触っていたからだ。ぐっと握ったのがわかった。
僕は目を瞠ってしまった。すると、母がこちらの方を向いた。目が合ったが、無表情で何も言わない。ただ僕の目を見ている。
握られ潰された大きな乳房が、浴衣からはみ出ているのが見えている。
なぜだか痛々しく感じ、怖くもなり、堅く目を瞑る。
胸の動悸は激しかったが、目を瞑っているうちに、眠ってしまった……。
\\僕は研修所から出てきた。とその時、父が慌てて飛び出してきて、ダンプが父の姿を掻き消した。叫び声を上げようとしてダンプの運転席を見ると、教祖が運転席に座っていて、不気味な笑みを浮かべていた\\
\\母が布団の上に寝かされていて、教祖が覆い被さっている。母は抵抗していたが、教祖に両腕を押さえられ動けないようになっている。僕の方を見つめ、涙を流していた\\
唐突に、下腹部に熱が集まってくる感覚に襲われた。
ソレが熱を帯び膨らんできたのだ。ギリギリまで膨らんで今にも弾けそうになっている。
すると、疼くような快感が全身をはいずり回ってきた。
次第に下腹部に集まりだし、めくるめく気持ち良さに僕はのたうちまわった。
次の瞬間、溜まりに溜まったエネルギーが、ソレから迸り出ていくのを感じた。
ドックンドックンと律動し、一気に弾け、飛び出していったのだ。
パッと目覚める。
今まで経験したことのない不思議なことが自分の身に起きたのだと悟った。
部屋の中は暗く、それでも、隣に母がすやすやと眠っているのが感じられる。
僕は静かに上体を起こしてみる。下腹部のソレには、腫れているように、かゆみを伴った痛みがあった。
両足の間がネチャネチャしている。手をパンツの中に入れてみると、ベチョッと生暖かい液体が粘り着いてきた。
僕はすぐに気がついた。それは、ショウノスケが自慢げに語っていた、『射精』なのだと。
僕は眠っているうちに、『射精』をしてしまったのだ。
自分の身にも起きたという驚きとともに、誇らしい気持ちも湧いてくる。言い換えれば、大人の仲間入りを意味しているからだ。
だが、現実の問題は、パンツが濡れてしまったことだ。
気持ち悪いとともに、簡単には拭えないとわかり、どうすればいいのかということだ。母に知られると嫌なので、途方に暮れてしまった。
思案していると、地下にある風呂の隣に、ランドリーがあったのが思い浮かんだ。
僕は静かに起き上がり、そっとドアを開ける。洗濯しようと決めたのだ。真夜中に。
廊下の照明は落ちていたが、駐車場からの明かりが漏れてきていて、暗くはなかった。
裸足のまま、足音を立てないよう急いで階段を下っていく。そのまま地下まで一気に降りていった。
幸い誰にも見られることはなかった。
しかし、地下の照明は落ちていて、非常灯の明かりだけが仄かに灯っているだけだ。
だが、今は怖さよりも恥ずかしさの方が勝っている。立ち止まることなく地下に降りて、壁を触りながら手探りで進んでいく。
男湯を過ぎ、女湯を過ぎて、ランドリーの入口に辿り着いた。
壁際のスイッチを押し、明かりを点け、スウェットパンツを脱いだ。
白のブリーフを脱ぐと、白濁した液がベットリと付いているのが見える。
スウェットパンツも、股の辺りに滲んだ丸い跡ができていたため、迷ったが、ブリーフと一緒に洗濯乾燥機の中に放り込んだ。
僕はTシャツ一枚の姿で、スイッチを入れ、ベンチに腰かける。
お尻が剥き出しのため冷っとしているが、地下室の奥にはボイラーがあるため、比較的暖かい。
今夜は色々ありすぎて疲れ切っていて、ベンチに腰かけたまま、いつの間にか眠ってしまった……。
第四章 三種の神器 ~その壱~ に続く




