第12章 黒衣の男 ~その壱~
2010年3月30日
早朝。
薄暗いなか、神明山を登る。
詰め襟の学生服を着て登り始めると、窮屈ではあったが、気分の引き締まるものがある。
本来は式典で着るために用意していたのだが、青年部の制服を着用したため使用せず、今朝登るにあたって、着てみたのだ。
次第に山際が赤くなり、東の空に漂う雲が燃えるように輝きだしてくる。教祖は毎日、夜明けとともにこの山に登り、山頂近くから、上ってきた太陽にお祈りしていたということだ。
その場所に祠が建てられた。
空気はピンと張りつめていて、吸い込む息も胸を掻きむしるように冷たかったが、起きるとすぐに鎮咳粉を飲んだので、安心して山を登り続けることができる。
宿舎を出たときには寒くて震えていたのだが、登りだしてからは身体が暖かくなってきて、軽快に登ってゆく。
低い木々の間の山道を十分ほどかけて登り、祠がある平地に着いた。タイミングよく向かい側の稜線から太陽が顔をのぞかせて、強烈な光を僕に注ぎ始める。
一瞬だけ太陽を見て、目を閉じ、頭を垂れる。たぶん教祖がしたであろう仕草で。
ふと疑問が湧いた。父もここへ来て、太陽を拝んだことがあるのだろうか。ここに本部が移ってからは、教祖の葬式の際に訪れただけだから、父は拝むことは出来なかったのかもしれない。
そうであるならば、とても残念なことだ。教祖のエピソードを数々知っている父は、絶対この時間に登りたかっただろうにと。それなら、いま自分は、父の御霊と一緒に、祠から太陽を拝んだのだと思うことにした。
振り返り、朝日を背に、祠を見てみる。このなかに、教祖の遺灰が収められている。ということは、教祖は毎朝、朝日を拝めているのだ。
僕の長い影の隣に、もうひとつ長い影が伸びてきたのに気がついた。誰かがここへ登ってきたのだ。僕は慌てて振り返る。
背の高い男が、太陽の光を背中に浴びて立っているのが見える。父が現れたのかと錯覚した。自分の願いが叶ったのだと。
胸の内側から熱いものが込み上げてくる。父が目の前に立っているのだ。いまにも自分に話しかけようとしている。僕は感極まって、声をかけそうになってしまった。「お父さん」と……。
だが、その影は、僕を認め驚いているようだ。そのリアルな表情に、僕の気持ちは一気に醒めてしまった。
回り込んで男をよく見てみようとする。男は立ったまま、身体を捻り、移動するこちらに視線を送り続けている。
背の高い男の年齢は五十くらいに見える。焦げ茶色のトレーナーに黒いブレザーを羽織り、黒のデニムのパンツを穿いている。ダークな色合いが似合っていて、おしゃれに見えた。
鼻筋が通っていて、二重の瞼には長い睫毛がついている。薄い唇と顎が尖っているところに酷薄な感じがある。頬が痩けていて、そのうえ幾つもシミがあって少し病的にも見えたが、昔風に言うと、とてもハンサムだといえる。
男は端に立ち止まったまま、僕の顔を見つめている。黙ったまま表情を変えず。こちらも挨拶することなく男を見つめている。
「お祈りをしていたのか?」
男が口を開いた。声は掠れていたが、とても深い響きを持っている。
「はい」
警戒する気を解いて、答えた。
「早朝から……とても感心なことだ」
男は軽く瞳を閉じて、思いついたように目蓋を開けた。
「青年部か?」
「いいえ」
僕は素直に答えてしまった。男は戸惑った顔をした。すぐ表情を消した。何かに気づいたようだ。
「君は……」
「中野です」
訊かれることはわかっていたので、即座に答えた。
男が唾を飲み込んだのがわかる。
「お母さん似だな……」
ため息とともに、男は呟いた。
「良かったな……」
自嘲気味に笑う。
「ひとつ訊いていいか?」
この尋ね方でピンときた、この男の正体が。
間違いなく、自分の目の前に立っている男は、大井だと。それで、先制攻撃とばかり口を開く。
「大井さんですか?」
男は目を見開いた。ビックリ眼になったのだ。答えなかったが、その驚き方で正解だと知る。
「来られていたのですね」
ハッタリだが、何もかも知っているのですよ、というように言ってみる。
「今朝だよ。いま着いたところ。すぐに帰るから、僕が来たことは内緒にしておいてくれ」
大井は媚びを売るような仕草をした。笑えてしまったが、たぶん、これがある方面ではよく効くのだと、なんとなく判る気がする。
「聡明さは、父親似か……。医者の息子だったからな……」
下を向いて、男は唇を歪めた。すぐ顔を挙げ、
「妃那之さんは、昨日、登壇したか?」
と、訊いてきた。
「はい。登壇なされました」
「それは……良かった」
本心でないのが察しられる。
「この中に何が収められているか、知っているか?」
男は祠を指さした。僕は黙ったままで頷きもしない。それは、秘密を知りたいけれど、媚びてまでとは思わないからだ。
「教祖の遺灰とともに『心・告白』が収められている。知っているか、『心・告白』を? それは教祖の自筆の原稿で、本の体裁を整えていない。しかも、誰も読んだことがないのだ。だから、いったい何が書かれているのか、誰も知らないのだよ。……しかも、この祠の扉を開けるには、三種の神器を揃えないといけない。鏡・勾玉・剣を、祠の台座の穴にはめ込まないと、扉は開かないのだ。……三種の神器は別々の場所に保管してあるからね。それをここに集めるということはなかなかできないだろう。一応、創立三十周年祭のときに開示しようという、取り決めはあるみたいだが……どうだろう、開かれないだろうな……。ひょっとすると、永遠に開かれないのかもしれないな。となるならば、秘密も永遠に保たれるということだ。それを望んでいる方もいるだろうし」
大井は皮肉っぽく微笑んだ後、まじめな顔に戻った。
「僕は君のお父さんをよく知っている。とても正直な人だった。心の綺麗な人でもあった……。あの頃は、正直、鈍くさい奴だと思っていたけどさ。ああ、怒らないでくれ。鈍く光る刀こそ、よく切れるのだからね。……教祖の一番のお気に入りだったしね。僕が思うに……教祖は……」
と言って、チラッと僕の顔を見て、話すのを止める。
少しの間沈黙があった。戸惑っているようにも見える。
「ああ、そうだ……」
大井は顎を少し上げ、細い目をして、問いかけてくる。
「君は……いくつだ?」
「14ですが」
「となると……平成8年生まれか?」
「いいえ。平成7年です」
「平成7年ということは……1995年生まれだな……」
フッと笑ってしまった。なにか重要なことを思いついたような言い方だったが、年号を西暦に代えただけだからだ。
「それじゃ、誕生日は?」
射るような視線を僕に送ってくる。
「誕生日……」
プレゼントでもいただけるのですか、と軽口を叩こうかと思ったが、
「11月1日です」
と、素直に答えてしまった。
じっと考えるように俯いて眉間に皺を寄せていたが、大井は顔を挙げ、笑顔を見せる。
「まあ、君に会えたのが、今回訪れた一番の収穫だ。……くれぐれも内緒に頼むからね。特に、君のお母さんには内緒にしといておくれ」
そう念を押すと、男はくるりと背を向けて、下っていった。
僕は勘が鋭くなっているのを自覚する。男が大井だとすぐにわかった。最後に「くれぐれも」と語ったことで、自分の来たことは、幹部には内緒にしておいてほしいが、母には伝えてくれと、示唆したのだと悟る。
今回、自分と母がここへ訪れることになったのは、大井という男が仕組んだからだと、知っている。その謀のため、一見平穏に見える教団に波紋が生じたのだ。大井はそれを知り、さぞや満足しただろうと。
黒衣の男 ~その弐~ につづく




