第11章 エネルギー
夕食はカレーライスだった。チキンとニンジンとジャガイモとブロッコリーの入った辛めのカレーだ。
僕にとって、カレーの辛さはきつかったのだが、とても嬉しくて、ハーハー言いながらも、カレー皿に2杯も食べてしまった。というのは、うちではカレーが出ないからだ。
母は僕のためにカレーを作ってくれたことがない。決して夕食の手を抜くわけではないのだが、なぜかカレーライスが出ないのだ。
そのことをマイにメールで送ったら、「カレーは家族全員で食べるものだからじゃない」と、返信がきた。ということは、母は僕のことを家族と思っていないのかと、へこんでしまったが、よく読んでみると、大勢で食べないと余ってしまう、と記されてあった。
だが、父が生きていたときも、カレーは食べなかったような気がする。結局、母はカレーが嫌いなのだと、決めつけていた。
ショウノスケの家に泊まったとき、カレーライスが出て、僕はタケと3人で戴いた。それがとても美味しかったのだ。それは感動的ですらあった。
その想い出があるため食べたいのだが、例によって、僕は母に頼んだことはない。だけど、いま食べているカレーがとても美味しいので、家に帰ったら、例え睨まれようと、母にカレーを作ってくれるよう頼もうと決める。
お腹が一杯になったので、外へ出て風に当たってみることにした。
宿舎から出て、暮れゆく山際を眺めながら石段まで来て、一段目に腰かける。
駐車場を眺めていたら、宿舎から羽根が出てくるのが見えた。嫌みなことを言われたら嫌だなー、と思ってしまう。
羽根は辺りを窺いながら、一度もこちらを見ることなく近づいてきて、何も言わず、僕の隣に腰かけた。
「思い、ってのは……難しいってことを、知っているか?」
暮れゆく空を仰いでいたが、羽根は唐突に僕に問いかけてきた。
「思いって、の……?」
そう返したら、昨夜風呂で、的場が語った言葉を思い出した。
「思うことが一番難しいって、やつ?」
「そう」
羽根は感心したように僕を見る。
「『眞・心』、に載っている言葉のこと?」
「そうだよ。眞・心は読んでいるのだよね?」
「昔は」
「むかし?」
「そう。研修所に行っていたときは、父が読んで聞かせてくれた」
「家には?」
「置いてない」
羽根は意外そうな顔をしたが、それぞれ事情があるだろうからと、聞き返してこなかった。
「そうか……。で、書いてあることは……思うことは考えることになるのだ。考えることは行動することになるのだ。……だから、正しい行いをしようとすれば、正しく考える必要があるし、正しく考えようとすれば、正しく思うようにしないといけない、となる」
「……うん」
ややこしいと思いながらも、肯定する。
「そう書いてあるのだけれど……実は、その前にもう一つあるのだよね」
「何が?」
「思うっていうのは……感じるから、思うんだよね」
「え、どういうこと?」
『眞・心』をまともに読んだことがないので、そんなことが書いてあったのかと、父の言葉を思い返そうとした。
「誰かから何かをされたとき、自分の中にリアクションが起きるじゃないか。例えば……怒られたら、悲しくなるだろう」
「……そうだね」
と返しつつも、怒られたらこっちも怒る、と思ってしまう。
「だから、心のリアクションがあるわけなのよ、最初に」
「ああ、そういうこと……。それが感じるということ」
そう言われて、何となく分かる気がした。
「だから、正しく思うためには、正しく感じなければならない、となるわけさ。それが最初にあるのだよ」
どうだといわんばかりに、羽根は少し顎を上げて僕を見る。
「だけど、その感じるというのは、自分ではどうすることも出来ないのだよ。思うとか考えるとかだと、自分が行うことだから変えることはできるけれど、感じることは反応だから、どうにもならないのさ」
「それが?」
「そこに、人間の罪があるのだよ」
「……えっ?」
「原罪というものだ」
いきなり話がでかくなったので、目眩がしてしまう。
「その自分ではどうしようもないところを、どうやって正しくするのか、がテーマなんだよね」
「えっ? 哲学?」
『復活の哲学』、と言う言葉が浮かんできた。
「宗教さ」
「家津羅会の?」
「そう」
「……教義?」
羽根はただ黙ってうなずく。
父の解説してくれたところの、家津羅会の一番曖昧であるという部分が埋められる気がした。そこで、僕は考えつつ話し始める。
「でも、わかるような気がする……。というのは……思いが変われば世界が変わるわけでしょう」
「そうだね。そう書いてある。だけど、その前に、感じ方を変えないといけない、ということなのだよ」
「なるほど……」
だから難しいのか、と理解した。
「さっき……式典が終わり……」
さあ来たぞ、と僕は構えてしまう。きっと妃那之のことを話題にするからと。
「妃那之様を間近で見たとき、僕のなかで弾けるものがあったのだよ……。まさに感じたんだ。それを言葉にするのは難しいのだけれど……一つ思ったのは、僕の考えていたことは間違っていなかったってことさ。まさに、正しく感じられたからこそ、正しく考えられたのだよ」
「何を考えていたの?」
「自分の使命さ。妃那之様に仕えるというミッション。会ってもいないときから、そう信じていたのだから」
「そっちかい!」、心の中でツッコミを入れた。せっかくいい話になったのに、結局はそこへ戻ってしまう。
僕に言わせれば、それは『思った』のではなく、『思い込み』になってしまう。
それなら、思い切って話してしまおうと、決心する。
「昨日の夜、ご飯を本部の2階で食べて、外へ出たのだけど……」
「ああ、お母さんと一緒に夕飯を食べたっての?」
羽根を見たが、べつに皮肉っている感じではなかった。
「知らずに、本部の裏に出てしまったの」
「庭があるところだろう」
「そう。それで帰ろうとして真ん中まで歩いてきたら、ベンチがあるところがあって……」
「あるね。町が見えるところだ」
「そのベンチに……妃那之様が座っていたの」
羽根はパッとこちらに振り向いたが、何も言わなかった。
「そう、座っていたのね。それで、僕は凄く緊張したのだけど……そのため、喘息息になってしまった」
「ぜんそく、いき?」
「そう。僕には喘息の気があって、何かの拍子に咳が出るんだよ。出だすと、止まらなくなってしまうの。とても苦しくて、たまに気絶してしまうこともある」
と、話を盛って説明した。
「それは怖いね……大丈夫なの?」
「普段はね」
「そう……。それで?」
「すると、妃那之様が、僕に、掌充をしてくれたの」
「あっ……そう……」
羽根は間を取って、おおきく頷いた。
「助けてもらえたのか……」
怒り出すかと思ったけれど、羽根はむしろ感動的な顔をして、話の続きを待っている。
「そう。おかげで咳が止まった。僕は復活することができた」
「それで、妃那之様は?」
「そのまま帰っていったよ」
羽根は何かを考えるように、視線を僕から外すと、何度も瞬きをする。
少ししたら、ハッ! と閃いた顔になった。
「エネルギーだ!」
「……エネルギー?」
「そうだよ。エネルギーの循環が起きたのだよ」
「なに……?」
「西条さんが、勉強会のときによく話して下さるのだけど……あの人は理科系の大学院を卒業されたのね。理系の人だからっていうのもあるけど、エネルギーで奇跡の業を解かれるのだ」
だから、「掌充はできない」と、言ったのか。
「妃那之様から掌充を受けた君の中に、妃那之様のエネルギーが注入されて、それが溜まっていたのだよ。……そして先ほど、君が妃那之様に掌充をしたとき、君の中に貯まっていたエネルギーが、妃那之様に逆流したのだ。だから、復活なさったのだ」
ようやく合点がいったと、羽根は嬉しそうに頷いた。要は、君の力ではないのだと、言いたいのだ。
「君を指名した理由もそこにあったんだ……」
と、何度も反芻するかのように、呟いた。
そう指摘されてもまったく嫌な気はしなかった。機嫌よく告白を訊いてもらえたので、僕はとても満足した。
「それでわかるじゃないか、掌充をしたあと、君は立ち上がれなかっただろう。エネルギーが出て行ってしまったから。一時的に動けなくなっていたのだよ」
「なるほど……」
腹の底から湧き出た熱いものが腕を通って、妃那之の掌に流れていくのを確かに感じた。
「そうだ、勉強会へ行かないか。エネルギーの話もして下さるし、昨日も話題になったけど。これから素晴らしことが起きるのだって。世界が変わるのだ。その魁に僕たちがなれるかもしれないと、西条さんは語っていた」
羽根は積極的に誘ってきたのだが、僕は、「行かない」と答えた。行けば完全に、〃ミイラ〃に成ってしまうからと、警戒したからだ。
……
部屋に戻ると、母は正座をしていた。僕を待っていたようで、自分の前に座らせて、「何があったのか」と、尋ねてきた。
僕は緊張してしまった。なぜなら、ただならぬ雰囲気を母は醸し出しているからだ。機嫌を損ねてしまったのかと怖くなったが、正座をした僕は、昨夜、本部の裏庭で妃那之に会ったことと、式典が終わって、控えの廊下で、妃那之に掌充をしたことを手短に説明した。
「なぜ、掌充をしてみようと思ったの?」
黙ったままで、無表情で最後まで僕の説明を聴いた母は、質問してきた。
「思わなかった、掌充をしようなんて……。気がついたら、手を握っていたんだよ」
よくわからなくて、そう答える。
「あなたは、一度も掌充をしたことがないでしょう」
「うん」
「私は知らないし、お父さんも教えなかったでしょう」
「うん」
「じゃ、なぜ出来たの?」
「……わからない」
「やり方も知らないでしょう」
「知らない」
「でも、できたわけね」
「……うん」
「妃那之さんは、元気になられたの?」
「たぶん。立ち上がって、そのまま行ってしまったから」
母は僕の目から視線を外さず、少しの間黙っていた。なぜか真剣勝負のような気がして、僕も母から視線を外せずにいる。
「その場には誰がいたの?」
「羽根君と、羽根君のお母さんと……西条さん」
「……だけ?」
「そう」
と言ってしまってから、長野がいたことを思い出した。が、付け加えなかった。美しさでは母に劣らないと思ったからだ。
二度ほど軽く頷いた母は、唇を細め、長く息を吐いた。どう対処したらいいか考えているのだろう。
「あなたを、誰も無視できなくなってしまったね」
「……どういうこと?」
少し身体が冷える気がする。せっかく暖かい気がしてきたのに、またもや落ち込まなくてはならないのかと。
「何も出来ない子どもだと思われていたでしょうにね……」
母はそう応えると、スッと立ち上がり、部屋から出て行った。たぶん、管理室に行くのだろうと。藤田に相談するのだろうと。それは間違っていないという確信があった。
何も出来ない子どもには違いないけれど……。
その何も出来ない子どもが掌充をしたのだ。しかも、妃那乃に。
事実は噂となって教団内に広がるのだろう。
そこで改めて、なぜ掌充ができたのかと、考察してみる。
掌充など一度も施したことがなく、それどころか、誰かが掌充を行っているのを見たこともない。
父も、僕の前では一度もしたことはない。掌充について語ってくれたこともない。
前日、始めて、妃那之に施してもらったが、それを真似て行ったのかと。とてもじゃないが一回見ただけで行えるものではない。
そこまで考えてみると、突然、閃いた。妃那之が僕に合図をした際、軽く顎を引いただけの仕草だが、それを合図だと僕は捉えたのだが……そこから、僕は妃那之に操られたのではないかと……。
まず、『掌充』という文字が空中に浮かんだ。僕にはその文字がくっきりと見えたのだが、それは、彼女が僕に、〃見させたのだ〃。
続いて、何も考えることなく妃那之に近づいた。そこには僕の意志はなかった。続けて手を前に出し、彼女の手を包んでいた。包んでいたのだ、包もうという意志もなかった。ということは、僕は妃那之に完全に操られていたのだ。
おまけは映像を見せられた。部屋の中から庭を見下ろした映像だが、今ならわかる。あれは妃那之が見た映像なのだ。それを僕に見させたのだと。
前日、庭で、妃那之は僕の心を読んだ。僕が抱えている辛い過去の一端を妃那之は見た。それで、父を事故で亡くしたことを知ったのだろう。お返しにとばかり、自分の秘密にしている場面を見させたのではないだろうかと。
ここまで考えてきて、間違いないと確信する。
自分でも不思議に思うけれど、妃那之に操られて悔しいという思いは起きなかった。それどころか、心が弾んでくるような気分になった。なんだかとてもスリリングなことが自分の身に起きたのだと。
しかも、暗闇に一人でいても、ぜんぜん寂しくなかったことが思い出されて、父がことあるごとに言っていた、『縁』の一端が感じられたのではないかと、嬉しくなった。
そう、縁、なのだ! 妃那乃は僕に縁を感じさせてくれたのだ。
妃那之は凄い! という思いが強く湧いてくる。
妃那乃は素晴らしい、と思っていると……これが三国無双なら、どのくらいのポイントがあるのかと思いを巡らしてしまう。
攻撃力は未知で、防護力は、セーラー服を着ているくらいだからEだろうけれど、それらをカバーする、絶対的な魔力があるのだと。間違いなく特Sだ!
それなら、自分も、羽根じゃないけれど、彼女を守るために仕えてもいいかなとまで思えてくる。
妃那乃の傍らで、ナイトになった自分の姿を妄想してしまった。
夢を見ていた。研修所のなかで父に会った。祭壇の前で正座をしている。その笑顔を見て、とても懐かしくなり、涙が出そうになってしまった。
「どうして死んでしまったの……」
僕は父に尋ねた。父は答える代わりに微笑んで語り始める。
「教祖様は光を見たのだ。その世界は生まれることもなく、消えることもなく……」
教祖が父の前に座っている。
「すべては空だ」
「……くう?」
父と教祖が向かい合って座り、問答をしている。
「空とは何ですか?」
「何もない始まりだ」
「なにもないはじまりですと……」
桂の大きな木が見えた。夕陽をバックに輝いている。
その木の下に、教祖が立っていた。汗を拭きながら笑っている。
僕が近づくと、教祖は何かを僕に手渡そうとした。
自分の両手を見てみる。箒とちり取りを握っているのが見える。
これで何を掃けというの……?
フワッと身体が浮き上がって、いつの間にか大きな木の上にいた。
夕陽に輝く世界の中を、僕は漂いだした……。
第12章 黒衣の男 に続く




