第八章 聖少女 ~その壱~
食堂から、母と一緒に退出する。
日は暮れていて、廊下はゆるめのシーリングライトのため、薄暗い。来るときは急いでいたので気に留めていなかったが、廊下には黄土色のカーペットが敷かれている。
『会議室』、『集会室』と記されたいくつかのプレートを見やりながら、母の後について歩いていく。
母はツカツカと端まで歩いていき、食堂と反対側にある、重厚なドアの前まで来て止まった。
「降りないの?」
僕は母の背中に問いかける。
振り返ることなく軽く頷くと、母はノブを握り、手前に引いた。
社長室のようである。広い窓にはカーテンは引かれていなく、左側から、大神殿を照らす光が入っていて、明るくなっている。
母は少し躊躇したが、足を踏み入れた。
「いいの?」
怖くなり尋ねたが、母は部屋の中へと進んでいく。
窓を背に大きなデスクがあり、その前に、豪華な革製のソファーがコの字型に置かれている。
母はデスクの後ろまで来て正面の壁の方を見た。教祖と教主の写真が飾ってある。その下にガラスケースが設置してあり、書籍と数々の記念品が展示してある。
それにより、ここは教主の部屋であることがわかった。誰かに見つかったら叱られるのじゃないかと、僕はビクビクしながら佇んでいる。
母はデスクの後ろから回り込み、ガラスケースの前に立つ。中を眺めていたが、あるものに気がつき、よく見ようと顔を近づける。
僕も母の隣に寄り、中を覗いてみた。
暗くなっているが、ガラスケースの端に、2L判の写真があるのが認められた。
それには、父と母が、真ん中に教祖を挟んで写っていた。二人とも微笑んで、誇らしい顔で。
写真の中の父と母はとても若い顔をしている。夫婦には見えない。何より、子どもを持っている身にも見えない。写真からでも、若い時分の母がとても輝いていたのが窺われた。
僕は母の顔を窺ってみる。母は一心に写真を見つめている。表情に変化はなかったが、食い入るように見つめているのだ。僕がそばに居ることなど忘れているくらいに。
パッと灯りが点いたため、心臓が飛び跳ねるほど驚いた。
「初めてなんでしょう?」
母もビクッと身体を震わせ、入口に素早く顔を向けた。
開けられたままの扉のところに、部屋の照明を点けた田中が立っていた。背が高く、痩せて、気疲れしているようにも見えるが、少し垂れている目をキラキラと光らせて母を見つめている。
「ここは、普段、福森様が使われているの」
「……知世さんは?」
「入られないみたい」
母はひとつ頷いた。それを確認し、田中は部屋に入ってくる。躊躇うことなく、デスクの前にあるソファーに腰かける。
「座らない」
母を誘い、「君も」と、僕に座るよう促す。僕は、〃君〃と言われて、ドキッとしてしまった。
「何年ぶり?」
母が田中の向かい側に腰かけると、嬉しそうに話しかけてくる。
「私はここから出ないし、あなたは来られないし、ひょっとすると……15年くらい会わなかったかもしれないね」
母は何も応えないが、田中は喋り続ける。
「あなたは全然変わらないのね。さすがだわー。若くて美しいまま」
デスクを背に座った僕は母を見たが、母は謙遜さえしなかった。
「わたしはね」
と、田中は僕を見つめる。
「お母さんの、ストーカーだったのよ」
嬉しそうな表情で、田中はそう告白した。
「え?」
このオバサン何を言い出すのだろうかと、当惑してしまう。
「二十歳前、大学に通っていたけど、色々悩むことが多くてね……。あるとき、いつものように鬱鬱としながら町を歩いていたらね、この人が前をスーと通り過ぎていったの……。私はそれを見て、ものすごく胸を打たれた」
「な、何で、ですか?」
へんな話を聴かなければならないのかと警戒したが、それ以上に興味を惹かれた。
「輝いていたのよ。あたりにオーラを放ちながら、この人は歩いているのよ。もう、見る人見る人がみんな振り返るんだから。……この人が歩いていったあとに、お花が咲くような、そんな感じ」
「はあぁ……?」
少女マンガをイメージしてしまい、呆れてしまう。
「なんていうの。アイドルっていうか……それじゃあ軽いわね。スターっていうか……とにかく強く惹きつけられてしまった」
田中は身振り手振りを交え、ときに顔を歪めながら話し続けている。その表情の豊かさは、母とまるっきり反対だ。
「それで私は、フラフラとこの人について行ってしまったのよ。魂を抜かれたゾンビのように……」
ここで母を見たが、あいかわらず何の表情も浮かべていない。
「そして、ドライブイン、に入っていったから、私も何の考えもなしに、入ってしまったのよ」
「ドライブイン?」
僕は聞き返した。
「国道沿いにある、大きなお土産屋さんのようなものよ。テレビによく映るでしょう。『道の駅』のことよ」
母は僕の顔を見て説明した。
「使われなくなったドライブインを借りて、本部にしたの」
「そう。入っていくと、すぐに畳敷きの大広間があり、この人が一番前に座ったの。それで私は、一番後ろに座ってしまった」
田中はここで声を上げて笑う。若き日の自分の行為に呆れているのだ。
「次々と人が入ってきて、いつの間にか、その大広間が人で埋まってしまったの。それで、何かお芝居でも始まるのかなと、思ったら……ほんと、何にも知らずに入ったからね……彰様が現れて、色々な話しをなさったのよ」
「知らずに、教祖様の話を聴いたのですか?」
そんな人っているの? と驚いてしまった。
「そう。まったくね……。聴いたというか……大広間が人で埋まってしまい、動けなくなっていたので、聴かざる得なくなったのだけど……。なんか、やけに存在感のある人が出てきて、これは何? とそのときになって、変に思ったのだから」
と、また笑い出す。
「帰ろうとしなかったのですか?」
「覚えていない。とにかく、気がついたら彰様が話し始めていて、まあ、いつもそうだったけど、色々な話が出てくるのよ……。聖書の物語だったり、仏陀がこう言っただの、シェイクスピィアにこういうセリフがあるだの、素粒子がどうだと、突然、科学の話になったり」
「なんでもあり?」
「そう。いきなりセリフが出るのだから。急に難しい宇宙の話になったり、社会的な問題を語り出したり、とりとめがない。だけど、夢中になって聴いている。というか……もうどこへも顔を向けることができない。彰様を見るだけ。見ているだけ。そこへ、あの方の深い、うっとりさせる声が響いてくるのよ。だから、話の内容なんてどうでも良かったんだよね、きっと。というと、『まったく理解しとらん!』と怒り出すけど」
いきなり、「あはははは」と、母が笑った。
声を上げて笑ったので、僕は呆気にとられて母を見る。たぶん、田中は教祖の声を真似て言ったのだ。それが可笑しかったのだ。
「だったでしょう。よく言われたよね。『お前たちは理解しとらん!』て」
母は笑いながら頷く。
「でも、この人は酷いのよ。彰様が怒ると、笑い出すのだから。顔が面白いって笑うのよ。教祖様が怒っているのにもかかわらず。信じられる!」
僕は口を半開きにしてしまった。母は凄い、と。
「でも、彰様は、それを楽しんでいたというか、怒っているんだけど、笑っているような、感じだったね」
うん、うん、と、母は何度か頷く。
「それと……もっと酷かったのは……」
と、田中は含み笑いをしてから、語り出す。
「彰様が、その気になれば一瞬でこの世界を変えることができる、っておっしゃったことがあったの」
ここで田中は母にチラッと視線を送る。母は表情を変えていない。
「どういうことなのです、と尋ねると……世界はきれいになるのだよ、と答えられた」
母は少し眉を寄せる。
「それでみんなは、素晴らしい世界になるのならぜひお願いします、と言うのだけど……彰様は、ただ笑っておられるだけで何もお答えにならない。すると、またもやこの人が、嘘つき、って言ったのよ。……教祖様に向かってよ! もう、みんなは凍り付いてしまった。だけど、そのときも、彰様は笑っているだけだったの」
母は目を閉じた。閉じられた目蓋が動いているように見える。僕にとって、目もくらむようなエピソードだ。
「まあ、そんなわけで……いつの間にか、私も本部へ通うようになってしまったの。まあ、そういう人は多かったと思う。美咲さんに惹かれて家津羅会に入った人はね」
潤むような目で田中は母を見つめている。しばしの間の後、口を開く。
「懐かしいね……。5人衆って呼ばれていたものね」
「5人衆?」
時代劇かよ! って、ツッコミを入れたくなってしまう。
「そう。大井さんが名付けたのだけど」
オオイの名前が出たぞ、と僕は構える。
「美咲さんと、私と、おっちゃんと、さっき食堂にいた細江さんね、それと……あなたのお父さん、の五人」
父も入っていたと知り、ちょっぴり嬉しくなった。
「本部の雑用をしていたのね。大井さんの元で」
「おおいって?」
思い切って訊いてみる。
「そうね……急にいなくなっちゃったけど……本部を仕切っていた人なのよ。そもそも、ドライブインを借りてきたのも大井さんだし、事務的なこと一切を取り仕切っていたの。そういう点では、教団の要だったね……。私たちは彼に指示されて、雑用をしていたのだから」
「そうなのですか……」
黒幕なのだ、と理解する。
「それじゃあ、『掌充』は?」
長年疑問に思っていたことを質問した。家津羅会の特徴的な奇跡の技なのだが、東海研修所では行っていなかった。父が重んじていなかったからだ。
「それは、福森さんが採用したの。採用したというのは変だけど。〃奇跡の業〃というのを知っているといって、教団内で行うようにしたのよ」
「教祖様はそれで良かったのですか?」
「何にも言わなかったね。というか……教祖様自身は一度もしたことがないからね」
「マジで!」
「そうなのよ! 嘘みたいでしょう。教祖様は語るだけ。とにかく喋るだけ。そして、信者の方の悩みや相談事をじっと聴いていらっしゃる。だから私はいつも思っていたのだけど……掌充をするよりも、教祖様に話を聞いてもらった方が、病気も治るのだって」
そういえばと、僕は思い出す。
東海研修所でも、父は信者が話すのをずうっと聴いていた。色々な人が父に話を聴いてもらいたく、研修所の大広間は賑わっていた。ただし、父は、相談事に具体的に答えることはしなかった。たぶん、わからないことは話さない人だったのだ。
「だけど……それも昔のはなしで……現在は掌充が主になってしまったからね。だって、聴ける人がいないんだから」
田中はここで、アッ! と言って、わざとらしく口に手を充てる。
「教主様は?」
「もちろん、教主様がいらっしゃいます。またあの方は、聞き上手な方でいらっしゃいます」
と、語ってから、悪戯っぽく頬をゆるませ、
「お店に勤めていらっしゃいましたから」
と語った。
「お店……?」
「3人だけだから、美咲さんがいらっしゃるから言ったのよ。他では言ってはダメよ」
田中は僕に向かって、口にチャックの仕草をする。何ことかさっぱりわからなかったが。
「どうして、知世さんになったの?」
母は何の反応も示さなかったが、ついでとばかり、質問した。
「揉めたのよ……」
町のおばちゃんがうわさ話をするような仕草をして、田中は説明を始める。
「本当は、一年間は喪に服するため、教祖を決めないようにしようと決めたのだけど……ややっこしいよね」
田中はここで笑って、
「信者の方に動揺が広がってしまったので、半年ほどしたら、会議をしたの。連日。誰を後継者にするか、という会議。いつものメンバーで。ただし、それを言い出したのは、山根さんだけどね」
田中はここで母に目配せした。
「まあ、私も……ぶっちゃけ……福森さんがなさると思っていたの。またそう覚悟していた。しかし、澤田さんが、『知世様』、いきなりだよ! いきなり『様』呼ばわりして、『知世様、お教えを継いでください』、と言ったのよ」
そう言い、田中は目を見開いてみせる。
「そう……」
ピンとくるものがあったのか、母は何度か頷いてみせる。
「どっからそんな言葉が出てくるわけ! って、ビックリ! も、ビックリよ! 開いた口が塞がらないってやつ……。みんな知っているわけじゃない。あの方の出自を。いくら奥様だといっても、教団におられたわけじゃないのだし、家津羅会のこと何にも知らないでしょうって! にもかかわらず、澤田さんが……たぶん、本人の考えじゃないでしょうがね……」
ここで、田中は母に目を見開いてみせた。
「その会議には……的場さんも、的場さんがいらっしゃったのだけど……まあ、義兄弟ですから。それが良い、とおっしゃって、誰も口を挟めなくなってしまったの。福森さんもそうだけど、山根さんも驚いたまま、何も言わなくなってしまった。というか、言えないよね、義兄弟ですから。で、決まり」
「知世さんは、受けたの?」
「まさか。無理ですって、ずうっと固辞なさったのだけど、無理だと言えば言うほど、なんというか……わかるでしょう。もうこの人でなければならない、という強固な空気が出来てしまったのよ。それで、他の人を推薦できなくなってしまったの。で、とうとう本人も、代行ならば、ということで、正式に次の教祖が決まるまでの代行ということで受けられたわけ」
これが大人の会議なのかと、嫌な気分になってしまう。
「そこでみんなは、ハッ! と、気がついた。次の教祖が決まるまで、の意味をね」
田中は唇を結び、やられたなー、という顔をしてみせる。
「これで福森さんの目はなくなった。……でも、あの人も偉いわね。知世さんが、私一人では何もわかりませんから、どうぞ助けてください、とお願いしたら、わかりました、とすぐに副代表をお受けなさったから」
〃タヌキオヤジだ!〃、と、心の中で唸る。
「あっ、そうそう。知世さんをと言ったとき、西条君も、なぜか賛成したのだって」
「そう?」
母は少し眉を顰めてみせる。
「面白いよね……。まあ、たぶん、そこらへんは……もとお店の人の、魔術をつかったのかもしれないけど……」
チラッと田中は僕を見て、言葉を濁した。
「それで、西条君が賛成すれば、青年部は知世さんを推すということになるから、決定打になったのね」
こんどは面白くなさそうな顔をしてみせた。
「細野さんは?」
「わからない。あの人は読めない。何を考えていらっしゃるのかわかりません」
「そう……」
母は俯いた。何を感じたのだろうかと気になってしまう。
「でもね、ほんと嬉しい。あなたが来てくれて。決心してくれて」
田中はソファーから身を乗り出し、母を見つめる。手を取らんばかりに。
決心とはなんぞや、と訝ったが、何も訊かなかった。
「私は常にここに居るでしょう」
「……ここ?」
母は顔を上げて、不思議そうな顔をする。
「そう。私の住まいは、この建物の3階にあるの」
「え……? そう……」
「はい、私は未だ、独身です。あなたにふられたからね」
口を少し開けたが、母は何も返さない。
「それで、教団と結婚したのですよ、わたしは」
と言い、田中は笑う。
「で、ある意味、私はここの主なのよ。わかる?」
「……えっ?」
「宿舎には、オッチャンが居るでしょう。あの人も独身で、ある意味、宿舎の主は、おっちゃんなの。わかる?」
母は感情を表さなかったが、構えているのがわかる。
田中は僕に顔を向けた。
「えっ?」
と、田中を見つめ返す。
「大神殿の主はまだ現れないの」
「そうなのですか?」
と応えてしまった。
「私とオッチャンは、美咲教の信者なのよ」
田中は私の目を覗き込んで語った。母の反応を窺っているようだ。
「もう……」
意外にも、母はふてくされたような顔をした。それを見て、田中は心底嬉しそうに笑った。
どれだけ笑うんだよ! とツッコミを入れたくなるくらいに。
聖少女 ~その弐~ に続く




