第七章 縁をつなぐ
いま何時なのか、あいかわらず知るすべがなかったが、そろそろ夕食の準備ができた頃じゃないかと、階下へ下りていった。
青年部の面々が何人かの束になり、順次、玄関からロビーへ上がってくるのが見える。そのため、踊り場から降りられずにいる。
青年部の人たちは廊下を進み、食堂に入っていくようだ。
これでは、しばらく食事を取ることは無理だなと諦めて、部屋へ上がっていこうとした。
「なかのくん!」
と声をかけられた。「はい」と、振り返ると、羽根が僕を仰ぎ見ている。
「ごはんを一緒に食べよう」
彼は笑顔で誘ってくる。僕は嬉しくなり、階段を駆け下りていった。
「大型バスは全部で21台なんだって、支部ごとに時間が違うので、しっかり聞いて、停める場所を指示しないといけないんだ」
羽根は食堂に入りながら、さあ大変だぞ、とでもいうように説明をした。
「僕たちは、言われたとおりに働けばいいだけでしょう」
少し不安になり、羽根に尋ねる。
「もちろんそうだけど、ある程度は把握しておかなければね」
二人、食堂の壁にそって立ち、話していた。
入口から次々と青年部員たちが食堂に入ってくる。隊ごとに振り分けられたテーブルに進んでいく。何人かが、僕に手を振っていくため、自分もこの人たちの仲間になっているのだと、照れくささはあったが、悪い気はしなかった。
「ああ、座っていなよ」
平塚が入ってきて、僕たちに声をかけた。二人して彼女についていく。
「中野くん、いるかー!」
大きな声が食堂に響いた。駒塚が入口に立って、僕を捜しているようだ。
「あっ、はい」
と、僕は立ち止まり、駒塚に顔を向けた。
「君は、お母さんと一緒に食事をするそうだから、本部へ行ってくれ」
駒塚は大きな声で指示を出した。すると、「え、おかあさん?」と言う声が上がり、みんなが一斉に僕を見る。
とても恥ずかしくなり、思わず下を向いてしまう。大きな声で言わなくてもいいのにと、駒塚を恨んでしまう。
隣にいる羽根がフッと笑った気がしたため、いたたまれなくなり、足早に出口へ向かった。
僕の背中を追いかけてくるように、「あの子のおかあさんって、メッチャ綺麗な人でしょう」という話し声が聞こえてきて、少しは救われた気がしたが……。
夕陽に照らされている駐車場へ出て、かまうもんかと、石段を駆け上がっていった。無理して2段跳ばしで上がっていく。
朝方とは反対側から大神殿は夕陽を受けて、黄金色に輝いている。僕は正面に立ち止まり、太陽殿を見上げる。
朝とは若干違って、鈍く輝いているように見える。その輝きに、教祖が見たであろう、黄金色に染まった世界を重ね合わせようと試みる。
唐突に寂しさがこみ上げてくる。なぜなのだろうと考える間もなく、悲しくなってくる。その気持ちに促されて涙が溢れ出てきた。
僕は戸惑ってしまった。なぜにこんなに寂しいのかと。自然と母の姿が頭に浮かんでくる。無性に母が恋しくなってしまったのだ。すぐに母に会いたい、母の顔を見たい、という衝動に貫かれ、僕は本部へと走った。
同時に、そんな気になってしまった自分がとても惨めで、その弱さが、あえて弱さだと認識したが、恨めしかった。
本部に入り談話室へ上がる。階段下に、西条が立っているのが目に入った。
「こっちだ」
西条は僕を認めると、付いてくるようにと言った。「自分は母と一緒に」と、断ろうとしたのだが、西条がさっさと階段を上っていくため、慌てて彼のあとを追う。
西条は2階に上がると、奥に向かって歩き出した。僕はとりあえず西条が目指している場所までいこうと、黙ってついていく。
2階の突き当たりに分厚い両開きのドアがついていて、西条は、よいしょ、と片方のドアを手前に引き開けた。
覗くと、中には長細いテーブルがあり、その周りに10ほど椅子が置いてある。食堂になっているようだ。三方を窓が囲んでいたが、いまは分厚いカーテンが覆っている。
中程に母が座っていたのが認められたので、僕は安心して中に入っていった。
部屋の天井には、それほど大きくないがシャンデリアが吊り下げられていて、圧倒されてしまう。許可も得ず入ってしまって良かったのだろうかと、立ちすくんでしまった。
見回すと、長テーブルの上座の端に、福森が肘掛け椅子に腰かけているのがわかった。彼は僕を認めると、「おお」と言い、にこやかに笑った。
テーブルの向い側には、山根と細野と母が並んで座っている。こちら側には、僕に背を向けて、澤田と田中が座っていて、その隣に西条が腰をかけた。母は僕に、「こっちへ」と手招きした。
テーブルの上にはお肉や野菜が盛ってある大皿が載せてあり、これから食事が行われるようである。
この部屋は、教団の幹部が食事をする場所だというのが僕にも理解できる。
場違いなのではと、母に確認しようとしたが、意外なことに、彼女は機嫌良さそうに周りを眺めている。そのため、黙って腰かける。
前を向くと、西条と目が合ってしまい当惑したが、西条は、僕の気持ちを察したのか、「いいんだよ」、というように、穏やかに頷いてみせる。
田中はにこやかに僕を見ていたが、澤田だけが、眼鏡の奥から真剣な眼差しをこちらへ向けていた。
「ビールを戴きたいのですが、いいでしょうかね?」
山根が福森にお伺いをたてた。
「ああ、遠慮することはないよ」
にこやかに福森は応える。
「飲む人がいないから、戴きにくいのですがね……」
許可を得ても、山根は愚痴っぽく不満を述べる。
「私も戴きます」
母がはっきりした口調で言った。
僕は驚いてしまった。母がお酒を飲んでいるのを一度も目にしたことがなかったからだ。母の顔を思わず見つめてしまう。
一瞬、テーブルは静まったが、すぐに西条が、
「それでは、僕も戴きます。言い出しにくかったのですが、本当は飲みたかったのです」
と、母の顔を見つめる。母は西条に微笑み返す。
「それでは、というと、後だしジャンケンみたいでみっともないですが、私も戴きます」
澤田が恐縮して言った。
「用意します」
田中がサッと立ち上がる。
「手伝うわ」
母が立ち上がろうとしたが、
「美咲さんは座っていて、大切なゲストなのだから」
と、田中は立たせなかった。
「私が代わりに手伝うわ」
細野が立ち上がりかけたら、
「僕が手伝います。婦人部長は座っていてください」
と、西条は爽やかに言い、細野を座らせた。田中と一緒に、西条は隣のキッチンへ入っていく。
今のやり取りは何だったのだろうかと、訝ってしまう。幹部の中にも〃位〃があるのだろうと察したが。
「美咲ちゃんは、飲めるようになったのかな?」
親しそうに福森が問いかける。
「はい。少しは大人になったので」
母はほがらかに応えた。
「そうか……そうだよな。入ってきたときは、高校生だったよな……。成長したということだ。私は成長しないものだから、未だに飲めないけどな」
福森はそう言い、「うぉっほっほっほ」、と愉快そうに笑った。福森のその親しげな話し振りが、僕にはなぜか癇に障る。
田中と西条によってビールが運ばれてきた。田中は僕にとオレンジジュースも持ってきてくれた。
「ウーロン茶もあるけど、これでいい?」
田中は僕の前に、オレンジ色の小瓶を置く。僕は黙って頭を下げた。
乾杯が行われ、食事に入った。
「朝、お昼と、あなたと食べられなかったから、ここに呼んだのよ」
母は僕に、ここに呼んだわけを説明した。ということは、自分がここに居ることは予定に入っていなかったのだと、把握する。
「母さん。お昼のお弁当が部屋にあるんだけど」
僕は、わざと子供らしく尋ねてみる。
「夜食に戴きましょう」
何でもなさそうに、母は応えた。
大皿から小鉢に母が僕の分をよそってくれて、それを食べていたが、味はほとんどわからなかった。たぶん美味しいのだろうと思いながらも、周りが気になって、僕は大人たちの会話に聞き耳を立てていた。
「中野さんの……」
ゲップ! と辺りを憚ることなく放出し、山根は話し始める。
エッ! と、僕は身を乗り出して、山根を見てしまった。山根はすでに朱くなっていて、コップを持ちながら、福森に語りかけている。
「気持ちがわからんでもないのです。奥さんが来ておられるから、話すのですが……」
山根は母を見ることなく、しかも、母のことを、『奥さん』と、呼んだ。
「悔しかったと思うのです」
「その話はいいだろう……」
少し顔を顰めて、福森は窘める。
「お言葉ですが……こういう機会ですから、話すべきだと思うのですよ」
と、手に持ったコップを揺すりながら、山根は話し続ける。
「だって、ねぇ……あの時ですよ、彼は……中野さんは、勾玉を持ってきたのですから」
西条が鋭い目つきで山根を見たのが、僕にはわかった。
「ちょうどそのとき、三つ揃っていたのですから……。そうですよね……的場さんもいらしていたし……」
僕は母を盗み見した。母は微笑みを消しはしたが、感心なさそうに食事を進めている。
「開けることもできたんです。というか、中野さんは、開示することを要求したんですよ。副代表だって、賛成なさったじゃないですか」
山根は、コップを突き出しながら、福森に迫った。
「副代表ではなかったけどな、あの時は」
福森は目を伏せて応える。
「そう! それが肝心なことなんです。私はそれを言いたかったんです! 誰も決定する権利はなかったのですよ。あの時は!」
ここで、あの時というのは、教祖の葬式の日のことだと、理解できた。
「彰様の次の位、あえて位と言いますが……立場の福森様だって、賛成なさっていたのに……教団の人ではないんですよ、その方が反対なさった。それで、うやむやになってしまったんですから」
福森を盗み見ると、彼は苦い顔をしてうつむいていた。
「それは悔しかったと思いますよ。それで、二度と来なくなったのですから」
父は何が悔しかったのか、僕にはわからない。伏魔殿だと吐き捨てていたが。
「まあ、酔っぱらってしまったので……申し訳ありません……ここだけの話としておいてください。みっともないことを言いましたが……」
と、山根は恐縮してみせる。
「美咲ちゃんもいるんだから……」
「そう、奥さんも、どう思っていたのかと……いや、どう思っているのかと、思ったりしたのです」
福森の発言を受けて、山根は呟いた。もっとも、母を見ることはなかったが。
ふと眺めやると、周りのみんなが、母を窺っているのが感じられた。黙ってしまったからだ。
僕は悟った。これは仕組まれた会話だったのだと。母の来訪の真意を確かめたいから、福森と山根がいまのような会話をしたのだと。
それで、僕も母を見つめる。
「私は……」
母は箸を置いてから話し始める。
西条が背を伸ばしたのが目に入った。
「中野から、何も聞いておりません」
母は涼やかな声で話している。
「中野は、葬儀の日のことを、何一つ語りませんでした」
顔を上げて福森を見つめた。福森はまぶしそうに母の顔を見ている。
「ですから、何も知らないのです」
こう言い切ると、皆の緊張が解けたのが僕にも感じられた。一堂ホッとしたという空気だ。だが、母の次の言葉が、ふたたびみんなに緊張を強いた。
「ただし、手紙は戴きました」
「手紙ぃ?」
福森は上ずった声をあげた。
「中野が、です。アキラさんの亡くなる……」
田中が、エッと驚いた顔になったのを、僕は見逃さなかった。それは、母が幹部たちの前で、教祖のことを、〃さん〃付けで呼んでしまったからだ。
すかさず、山根が咳払いをする。かまわず、母は話を続ける。
「数日前に、手紙が中野に届きました。中野はそれを読みましたが、私には見せませんでした。ですから、手紙の内容は知りません。また、手紙がどこに片つけてあるのかもわかりません。しかし、こうは言えます。手紙が届いたから、中野は本部に行ったのです」
西条が、うーん、と唸ったのが聞えてきた。
福森はキツネに抓まれたような顔をしている。たぶん、始めて聞く話なのだろう。教祖は亡くなる前、父に手紙を出していたのだ。
僕は頭の回転を速くした。研修所のなかのことを、父と対面していた場面をいくつもいくつも思い出して、集中する。
「……研修所の金庫に入っている手紙のこと……」
何気にそう呟いてしまった。
「えっ! あるの?」
母は呆気にとられたような顔をして、僕を見つめた。
テーブルを囲んでいる大人たちが、一斉に僕を見る。
パッと周りを見ると、いままでまったく無視していた山根までが僕の顔を見つめていた。ただし、苦々しい表情に見えたが。
「うん。もしその手紙なら……お父さんが僕に読んでくれたことがある」
「マジか……」
西条が呟いた。
山根以外の大人たちが、呆気にとられて僕を見ている。
「何て書いてあったの?」
母が僕に問いかけた。初めて見る真剣な表情で。
「僕は読んでいなくて……お父さんが聴かせてくれたのだけど……」
「内容をね」
「そう」
母は先を促すため、頷いてみせる。
「縁を繋ぐ」
「……え?」
母の顔が一瞬空白になったように見えた。
僕は母しか見ていなかったが、周りの大人たちが、真剣に聞き耳を立てているのが肌で感じとられた。
母のその表情に接し、父の亡くなった朝、母が父に渡した手紙にも、〃縁を繋ぐ〃、と記してあったことを、思い出した。この場に出したということは、心のどこかに、その言葉が引っかかっていたのだ。
「縁を繋ぐ、というのが手紙の内容だったのかい?」
西条が僕に確認した。
「そうです」
「それだけ?」
「それだけです。父が話してくれたのは」
ほーん、と唸った西条は、テーブルの端へ顔を向ける。それは、「だそうですが」と、福森の見解を求めているように、僕には見えた。
「縁か……そうだよな……。彰様は、縁の大切さをいつも説いておられた」
それならよくわかる話だと、福森は頷いてみせる。
「ですけれど、なぜそれを中野さんへ送ったのでしょう」
山根が福森に尋ねる。
「それは……居ないからだよ。他のみんなは近くにいるが、彼だけが遠いところにいたからだろう」
実に当たり前だと、福森は解いてみせる。
「寂しさをお感じになっていらっしゃったのではないですか……」
それまで一言も話さなかった、細野が語った。もう少し語りたいようだが、自ら口を噤んだ。
「決して君のことは忘れていないよって、ことなのでしょうね」
西条が捕捉するように言った。
福森は微笑んで見せた。山根は苦い顔をしている。たぶん、西条の話と、なにより、その言い方が気にくわなかったのだ。
僕はそれらを見ていて、思わず含み笑いをしてしまった。そして満足した。なぜなら、ちょっとだけ嘘をついたからだ。それは、手紙の文句を少しだけ変えて、伝えたのだ。
『縁を繋ぐ』と記してあったのではなく、『縁を継げ』と書いてあったのだ。
これで僕にもようやくわかった。教祖は、父に自分の跡を継ぎなさいと、伝えたのだ。自分の死が近いことを悟り、父に教祖を嗣いでくれと願ったのだ。
それで、父は葬儀の日にここへ来たのだ。教祖の伝言みたいなものがここにあり、それの公開を父は求めた。だが、誰か知らないが、実力者によって拒否され、父は絶望したのだ。
本来なら、父こそが二代目教祖になっていたのだ。
トン! と、母は飲み干したコップをテーブルに置いた。
僕はハッとして母を見る。母は若干目を細め、テーブルを見つめていた。たぶん、僕が理解したことを母も理解したのだ。
「ごちそうさまをしなさい」
母は僕に顔を向け、そう言った。完全に無表情に戻っていた。
第八章 聖少女 ~その壱~ に続く




