第五章 変性意識 ~その壱~
「君はいったい誰なの?」
「中野です」
「それは何度も聞いたけど……」
本部の建物を出ると、駒塚が、特別扱いをされているようだがどうしてなのかと、質問してきた。
素直な疑問だとは思ったが、何も答えられなかった。それは秘密にしているからではなく、本当に何も知らないからだ。
これで朝食にありつけると向かいかけたら、本部の入口から田中が出てきて、駒塚に、式典の準備のことで話しがあるから入って下さいと、声をかけてきた。駒塚は、はい、と返事をして、本部へ引き返していく。
一人残されてしまった。食事をしようと、行けばなんとかしてもらえるだろうと期待し、太陽殿の前まで歩いてきた。すると、大神殿の正面階段を上っていく母を見つけた。
姿勢良く登っていく姿に朝日が当たり、凜とした厳かな雰囲気が醸し出されている。そのため、他の誰かが上がろうとしても遠慮してしまうだろうなと思われ、誇らしくなってくる。
「教嗣。上がってきて」
母は僕に気がつくと、大神殿に上がるよう促してきた。
「ごはん、まだなのだけど……」
階段を三段ほど上がって、母に訴えた。
「見せたいものがある」
一つため息をつき、大階段を上まで上っていく。15段+15段を上ると、足がしびれてきて、最後には息を切らしながら、母がいる回廊まで上がった。
回廊の幅は大きくとってあり、三人くらい並んで歩けるようになっている。正面に、とても大きな釣り鐘型の観音開きの扉が二つ付いていた。木製で、表面には太陽が炎をくねらせて照らしている模様が刻印されている。壁の色は黄色に塗られていて、扉の横には、扉と同じ形をした、大きな窓が四枚ずつ着いていた。
「あっちを見なさい」
扉を開けようとすると、母は、扉を背にして右前の、谷を挟んだ、反対側の山を見るよう言った。
「何があるの?」
先ほど神明山の上から周りの景色を見たので、注目されるものなどないと知っている。
「山の上にある建物よ」
母は、谷を挟んだ、こちらより低い山の上を指さした。
平らにされた山の上に、大きな建物が幾つも並んでいる。工場だとわかる。
「工場?」
「そう。的場製薬の工場よ」
母はそう答えた。
「的場って……僕の飲んでいる薬を作っているところでしょう」
昨夜乗った、タクシー運転手の話を思い出した。
〃この町は、家津羅さんと的場さんのおかげです〃
山波に囲まれた細長い町、かやま町、それを挟む形で、家津羅会と的場製薬が山の上に鎮座しているのだ。
「人口四千人ほどの小さな町だけど、隣の松本市に吸収されなかったのは、的場製薬があるからよ」
「会ったことある?」
「誰に?」
反対側の山を見つめていた母が顔をこちらへ向ける。
「彰様の義兄弟に?」
母は答えず、僕の顔を見つめた。義兄弟という言葉を口にしたため、戸惑っているのかもしれない。たぶん嫌いなのだと。
「明日、会えます」
母はそう言い、「行きなさい」と、僕を解放してくれた。
階段を降りようとして、山の上で澤田に会ったことを思い出し、報告しようと振り返った。母の反応を知りたかったのだ。母は階段下を見つめていたので、何だろうと、ふたたび下方へ体を向ける。
西条が一人で階段を上ってくるところだった。
「中野君、君は……」
と、すぐそばまで上がってきて、西条は顔を上げたが、呆然と立ち止まってしまった。少しの間沈黙する。
こいつもだ……。僕にはその仕草の意味が理解できる。
西条は僕を認め話しかけたのだが、横に立っている母に気がつき、その美しさに圧倒されたのだ。
「な、中野君の……」
西条は慌てて階段を上りきり、二人の前に来る。
「お母さんか……?」
「そうです」
僕は胸を張った。
「西条と申します。家津羅会では主に事務を取り仕切らせてもらっています」
西条は丁寧に自己紹介した。その声が回廊に響き渡る。
母は軽く頷いたが、無表情で、西条の顔を見つめている。
「あの……入られるところですか?」
戸惑いつつも、西条は尋ねた。
「何が?」
涼しげな声が回廊に響く。
「太陽殿の中へ」
母は答えず、少し目を細めて西条の顔を見つめた。損得を測っているのだ。
見つめられて、西条の頬がポッと朱くなったのを、僕は見逃さなかった。
「ここへ来られるのは初めてですね?」
「……ええ」
「幹部の方にはお会いになられましたか?」
「いいえ」
母は必要最低限の受け答えしかしない。
「ご案内させてもらいますが……」
西条を警戒する気が失せた。母は完全に西条を籠絡したと判断したからだ。
「おねがいします」
母は西条に微笑んでみせた。
「はい」
西条は張り切って扉を開けて、実際その扉は重いため、力を充分籠めないと開けられないのだが、母を導き入れた。
「食べてきなさい」
母は太陽殿に入りながら振り返り、そう指示した。
チラッと中を覗いてみる。扉の中はロビーになっていて、その向こうに、劇場についているような扉があるのが見えた。
「青年部は食べ終わったから、賄ってもらえるよ。羽根君もいるはずだから、一緒に食べるといい」
西条は扉を両腕で押さえながら、僕にそう話し、母を伴って中に入っていく。
目の前で、扉が、バタン! と大きな音を立てて閉まった。
見学したかったが、空腹は限界まできていたので、僕は階段を駆け下りていった。
宿舎に向かいつつ、それにしてもと、呆れてしまった。教団の若きカリスマが、簡単に素顔をさらけ出してしまう。
どうしてそうなってしまったのか、自分なりに分析してみることにする。
母の美貌が西条から冷静さを奪ってしまった。それはたぶん、正式に紹介されたならば、ああはならなかったはずだ。いきなり目の前に現れたから、自分を守ることができなかったのだろう。
感心してしまう。母の攻撃力は半端じゃないなと。これが『三国無双』だと、〃無双モード〃に入った、『貂蝉』と同じじゃないかと。絶世の美女で大好きなキャラだ。ただし、普段は弱い。Dクラスだ。
母は普段から強いのだ。攻撃力は特Sだなと見極めた。反して、体力と防御力は低いだろうと。DとEか。剣で切られたら防ぎようがない。
だからこそ、自分がいるのだと考えてみた。母を護る自分は戦士なのだと。しかし、自分の攻撃力は……Eじゃないかと、中学生だから。体力には少し自信があるが、Cくらいかと、まだ体ができていないから。防御力は、逃げ足が速いから、正確には防御値に反映されないかもしれないが、Bマイナスくらいいくだろうと、これは自慢できるなと考えた。でも、それでは、どこが戦士なのだと呆れてしまう。
こんな数値でどうして母を守れるのだと悩んでしまった。それなら、いっそ魔法使いになろうと、自分は魔法を使うのだと決めた。人を意のままに操れる魔法を身につけようと。となると、魔法力はSだ。特Sだ。よし、そうなろうと……僕の妄想は暴走していた……。
気がつくと、正面階段を降りかけていた。普段は使わない大きな石の階段を。先ほど西条が降りていくのを見て、傲慢だなと感じたが、自分も降りているのだと気づいた。
誰もいない広い階段を下りているので、ちょっと怖くなり、さっと駆け降りた。幸い駐車場には誰もいない。宿舎はどうだろうかと見てみると、廊下には人影が見えないので、誰からも見られなかったと、安堵する。
なぜだか、東海研修所の床の間にかけてある、掛け軸が脳裏をよぎる。
『真』・『善』・『美』と墨で記してある。その中で、『美』という文字がクローズアップされてくる。その『美』は、〃力〃を意味するのではないかと閃いた。美こそが力なのだ。
父から何度説明を受けても理解できなかった。たぶん、父もよくわかっていなかったのだろうと勘ぐっているが。それで、『正しい行い』・『良い行い』・『美しい行い』と、言い換えていた。それなら自分にも理解できる。
三つある象徴的な言葉の本当の意味は、まだ理解できていない。未だ、『真』と『善』はわからない。ようやく、『美』は力を意味するのだと理解した。
美しさは強さだ。最強の攻撃、最高の武器だと。美しさの前には、人はただひれ伏すだけだ。美を前にすると無防備になり、無抵抗になってしまうと。これこそ、最強の力なのだ。
真・善・美、の美。家津羅会の教義の中心にある言葉。『眞・心』に載っている。
家津羅会では、『三種の神器』を、〃真は鏡〃、〃善は刀〃、〃美は勾玉〃、に顕している。美の象徴である、『勾玉』を、父は教祖から賜った。そして、母を娶った。美の象徴二つが、東海研修所にあったわけだ。すなわち、東海研修所は最強だったのだ。だから誰もが畏れたのだ。
そう理解したら、誇らしくなった。思わず含み笑いをしてしまう。
「なかのくぅぅぅぅん!」
大きな声で呼びかけられ、自分は宿舎の前まで来ていたことに気がつかされた。入口のガラス戸が開かれていて、ロビーに羽根が立っているのが見える。彼が僕の名前を叫んだのだ。
恥ずかしくなってしまった。見られていたと。石段を降りてくるところも、今の自分の含み笑いも。バツが悪くなり、顔を伏せたまま、僕はロビーに入っていく。
「待っていたのだよ。西条さんが、中野君と一緒に食事を取るように、っておっしゃったから」
羽根は恩着せがましく言った。
「あざぁぁぁす!」
陸部で使う感謝の言葉を返した。
靴を脱ぎ、羽根と一緒に食堂へ入っていく。
とたん、魚を焼いた匂いが僕を捕らえ、体がへなへなと萎んでしまう。力が抜けてしまい、羽根の向かいに倒れ込むように座った。
広い食堂のなかには、六人掛けのテーブルが横二列で八つならべてある。大きな窓が三つあって、さきほど裏手で見た、畑のポールが見えている。
今は二人の他に誰もいなく、訊けば、青年部の大半は、ここへ登ってくる道路の清掃をしに行っているとのことだった。
「焼き魚と、卵焼きだけど……」
昨夜会った、割烹着を着た羽根の母親が、トレイに朝食セットを載せ、二人のテーブルに近づいてきた。
「ああ、いいのに……」
羽根は立ち上がって、トレイを受け取ろうとする。
「おまえのじゃないよ」
羽根敦子は羽根をかわし、テーブルまで運んできた。
「みそ汁はまだ熱いから、気をつけるのよ」
僕にそう説明し、ニコッと笑って、
「納豆が付いているけれど、食べられる?」
と、小さな子供に尋ねるように、顔を近づけてくる。
「大丈夫です。毎朝食べています」
「そう。感心ね……」
さすがに頭を撫でることはしなかったが、満足そうな表情をあらわし、羽根の母親は厨房へ戻っていく。
それを面白くなさそうに見ていた羽根は、厨房のカウンターへ朝食セットを取りに行った。
僕の家では朝食に納豆が出る。それを温かいご飯に載せて食べるのだが、友達のショウノスケもタケも、朝はトーストを食べるという。一時期それが羨ましくて、母に、「パンにしないの?」と訊いたことがある。母は無表情で、「しません」とだけ答えたが。
トレイの上の納豆を見て、僕は推理してみた。教祖も朝は、ご飯に納豆を載せて食べていたのかもしれない。だから、うちも、この宿舎でも、出るのだろうと。
変性意識 ~その弐~ につづく




