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第4話 夢と現実

 ふと夢を見た。

 それはもう会えない人の顔だった。

 僕のことを抱きかかえ、額にキスをしていた。

 嬉しかったし、懐かしかった。

 もうあまり思い出さないようにしていたけれど、こういう形で再会すると込み上げてくるものがある。

 でも淋しさや悲しみは感じなかった。

 だけどその人は僕を地面に降ろすと、手を振ってどこかへ行ってしまった。

 僕は追いかけようとしなかった。

 追いかけても追いつかないことを知っていたから。

 僕はただ見送った。

 やがて視界は光に包まれた。


 そして、目を覚ます。

 ヒビの入ったコンクリートの壁と、鼻を刺すカビの臭い。

 昨日は暗くて分からなかったけれど、ベッドは比較的新しめで、その純白さをまだ保っていた。

 隣のベッドには榛真白がスヤスヤと眠っていた。

 

 昨日のことを思い出す。

 二人で渋谷に行ったこと。

 彼女が楽しそうにしてくれていたこと。

 熊野に襲われたこと。

 殺されかけたこと。

 そして彼女が熊野を殺したこと。

 怪しい女と出会ったこと。

 異形者のこと。

 

 未だに信じられないことばかりだが、これは間違いなく現実だった。

 彼女は人殺しで、僕もその世界に片足を踏み込んでいること。

 父親のことや、学校のこと。

 日常と非日常が混在していた。

 それらは決して混ざり合うことがない。

 混ざり合うことなく、何の異常もなく、同じ世界に存在している。

 互いに干渉することもなければ、不干渉でもない。絶対に混ざり合わないという法則に従って半永久的に存在し続ける。


 僕と彼女はどちら側にいるのか。

 僕たちはこの世界の別側面に出会ってしまった。日常側を生きていたのに、非日常側の存在と接触してしまった。 

 知らなくていいことを知ってしまった。

 彼女はずっと前から非日常側の存在だった。けれど僕と同じように学校へ通い、渋谷を歩いた。

 人を殺したことがある彼女は、もしかしたら最初からあちら側の存在なのかもしれない。

 きっと彼女は非日常の存在だということをおそらく自覚している。だから、誰とも関わらないようにしていたのだ。

 彼女は非日常から日常へ、僕は日常から非日常へと足を踏み込んだのだ。

 似て非なるものだと思う。

 AからBへ、BからAへ。そんな単純な話ではないのだ。


 僕はベッドを抜け出して、部屋を出る。

 廊下を挟んですぐ隣の部屋を覗くと、星奈さんがタバコを吸いながらパソコンを打っていた。

 

 「おはよう」

 彼女は僕の方を見ずに言った。

 僕は部屋の中へ入った。

 「おはようございます

 ベッド貸してくださってありがとうございます」

 「君と私の睡眠時間が被ってないだけよ」

 

 彼女は感謝に対して嬉しいともなんとも思っていない様子だった。別に無駄な感謝だったとは思っていない。

 

 「学校は行くのか?もう9時だけど」

 「いいえ、気分じゃないのでやめておきます」

 「親には連絡したか?」

 「父親は基本俺に無関心なので大丈夫です」

 「母親は?」

 「幼い頃に死にました」

 「そうか、すまない」


 母親はずっと昔に死んでいる。

 死因は癌だった。幼い頃から病弱だったようで、軽い風邪でも悪化して入院することがあったそうだ。

 父親は母親の葬儀には出なかった。

 そのことが原因で母方の祖父祖母は父親と絶縁し、僕ももうそれ以来会ったことがない。

 父親とはもう随分顔を合わせていない。

 帰ってくるのは日が回って以降だったし、昔から僕に興味がなさそうだった。

 愛していないことはないだろうと思いたいけれど、父親からの愛情を受け取ったのはずっと昔だった。

 母親が死んだ時、泣いていた僕の頭を撫でたこと。それだけだった。


 「おはよう」

 突然、星奈さんは2回目をおはようを言った。不思議に思ったけれど、すぐに理解する。

 「おはよう、榛」

 彼女は寝癖を作って、なんとも眠そうな顔で部屋のソファに座った。いつものクールさとは真逆で新鮮だった。

 「制服が汚れたから今日は学校行かない」

 人を殺した精神的ショックではなく、制服が汚れたからという理由が彼女らしいと思った。全然法律的にも倫理的にもアウトなんだけど。


 「二人とも、行かないのか。ならちょうどいいな」

 「何?仕事?」

 

 おそらく。星奈さんは司令官で、実行部隊は榛なのだろう。

 星奈さんの指示で、榛が異形者の排除にあたるのだろう。

 つまり、ちょうど良いの真意は、ちょうど良い仕事があるから、それに二人で行ってこい。という意味だろう。


 「依頼者は東京都K区T市V小学校に通う小学3年生伊野拓磨くんの母親、伊野清子。

 依頼内容は、担任の教師の性格が急に変わったから調査してほしい、とのことだ」


 星奈さんはパソコンをこちら側に向けた。

 画面には一通のメールが表示されていた。

 

 『件名:担任の教師の性格が急に変わった

 

 本文:

 

 突然のご連絡、失礼いたします。

 伊野清子と申します。


 私には小学三年生になる息子、拓磨がおります。現在、東京都K区T市V小学校に通っており、担任は森川円先生です。


 今回ご連絡させていただいたのは、その森川先生についてです。

 実は、私の長男も以前、森川先生に担任をしていただいていました。そのため、先生とは何度かお話ししたことがあります。長男が学校でお世話になっていた頃の先生は、子供たちの話をよく聞いてくださる方で、少なくとも私が知る限り、子供に手をあげたり、大声で怒鳴ったりするような先生ではありませんでした。

 ところが、最近になって、先生の様子が急に変わったように感じています。

 息子の話によると、以前は子供たちが騒いでいても落ち着いて注意していた先生が、些細なことで突然怒鳴るようになったそうです。先日は、授業中に言うことを聞かなかった児童の腕を強くつかみ、激しく叱責したそうです。

 最初は、息子が何か勘違いをしているのではないかと思いました。しかし、同じような話を何度も聞くようになり、以前の先生を知っている私としては、どうしても納得できません。

 

 特に気になっているのは、先生がここ最近になって、まるで別人のように感情的になっていることです。

 何か先生に事情があるのか、それとも別の理由があるのか、私には分かりません。

 息子を学校に通わせている以上、先生を一方的に疑いたいわけではありません。ただ、このまま何も分からない状態でいることにも不安を感じています。

 学校側に相談してもいいのですが、森川先生は親身になって子どもに寄り添う先生の鑑のような方だと信じております。

 なので辞めさせられたり、なにか懲戒処分が下されたりはして欲しくはありません。

 可能でしたら、一度森川先生について調査していただけないでしょうか。

 お忙しいところ恐れ入りますが、どうぞよろしくお願いいたします』

 

 内容を見る限り、確かに異形者に見られる、突発的に攻撃性が高くなる、に当てはまりそうだけれど、このくらいならどこにでもいるんじゃないか、と思ってしまった。

 それに腕を掴み、激しく叱責したというのも、その子の日頃の行いが積み重なった結果によるかもしれないし、場合によってはそれが妥当だったのかもしれない。

 それにメールの文章からも、伊野清子が森川先生を過信している節が見られる。


 「うーん、これだけじゃ異形者か分かんないね」

 榛も同意見だった。

 「その通り。これだけじゃ森川円が異形者なのかは分からない。

 それを調べるのが、私たちの仕事だよ」


 ◆


 というわけで、電車に揺られ、歩くこと1時間。

 東京都K区T市V小学校へ到着した。

 校門はザ・校門の見た目をしていた。校舎も東京の小学校というわけだけあってひび割れもなく、綺麗だった。

 時刻は20時50分。

 クラブがなければほとんどの小学生が下校したくらいだろうか。


 森川円の顔は伊野清子がメールで顔写真を添付していたので、校門から出てくるところを尾行する、という算段だ。

 進行程度によっては戦闘になるかもしれない。とのことらしい。


 「戦闘って、攻撃性が増しただけで運動神経は人間の常識範囲内なんだ…」

 そこまで言って、熊野を思い出す。

 熊野は両腕が肥大化していたが、脚は普通の人間だった。

 それなのにあの跳躍力。手を使っていたとしても、あの高さから受け身も取らず落下すれば骨折は間違いなくするはずだ。

 もしかして、異形者は身体能力も人外の域なのか。

 「その通り」

 榛は僕の考えを見抜いていた。

 「異形者はもう人間とは全く別の生き物。

 典臓部位に限らず、筋力は並の人間を一撃で殺せる程度になってるし、銃弾を跳ね返すくらい頑丈にもなってる。

 気性も荒くなってるし、殺人衝動もある。

 そんな生き物を放っておけば、人なんて簡単に死ぬわ。


 だから殺さなくちゃならない

 たとえ、まだ人を殺していなくても。

 人を殺す前に、殺さなくちゃならない」


 彼女は自分に言い聞かせるようにそう言った。

  

 やがて校門から教師らしき人物が次々と出てきた。彼らは僕らを気にも留めていない様子だった。

 一人一人顔を確認する。

 森川円はまだいない。

 

 「見つけたら、尾行するんですよね」

 「するけど、敵意だとか殺意とか、そういう自分に対する視線に異形者は敏感に反応してくる。だからなるべく意識を逸らして」

 本当に人間じゃなくなってる、そういうわけか。

 

 すると、森川円が校門から出てきた。

 僕らは彼女に気づいていないふりをして会話を続けた。

 大体15メートルくらい。

 彼女の背中がだんだんと小さくなってきたくらいで、榛が歩き始めた。

 

 「この距離でも気づかれる?」

 「私が前に殺した異形者は50メートルの距離でも気づいてたよ」

 

 森川円は左に曲がり、右に曲がり、また左に曲がった。

 そして、また左に曲がった。


 「気づかれてるかもしれないわね」


 気づかれた?

 何故分かったんだ。

 「左に3回曲がったわね、次に左に曲がったら、尾行がバレてるわ」

 

 そうか。同じところに戻っているからか。

 アクション映画で前に見たことがある。

 警察に尾行されている殺人犯が右に4回曲がって、尾行されていることに気づいていた描写を思い出す。


 森川円は歩いてた。

 彼女の目の前にはT字路があった。


 彼女はそこを左に曲がった。


 すると榛はどこからかナイフを取り出した。


 「彼女は異形者だ。間違いない。

 ここで殺す」


 熊野を思い出す。

 また戦うのか。

 拳を握る。

 額に汗が流れて、自分でも驚いた。


 「多分、そこの角で待ち伏せしてるはず」

 

 そう言って、彼女は走り出した。

 初速からまるで亜音速の速さだった。

 右側の家の塀の壁を蹴り飛ばし、弾丸のように左に曲がった。

 慌てて走って追いかける。

 左に曲がる。


 「クソ、巻かれた」

 そこには一人立ち尽くす榛の姿があった。

 「まだ近くにいるの?」

 「分からない。私にはそこまで分からない」

 

 彼女は携帯を取り出して、誰かに電話をかけた。おそらく星奈さんだ。


 「森川円は異形者だ」


 そう短く告げると、すぐに電話を切った。


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