第3話 タバコと書斎
午前0時。
半分放心状態の僕はタクシーに揺られて秋葉原の廃ビルの前にいた。
榛真白は『ちょっと着いて来て』と僕の手を引っ張り、僕はされるがままに連れて行かれた。榛はタクシーを捕まえると、秋葉原駅前まで、と運転手に告げた。
秋葉原までは30分くらいで着いた。
運賃は全て榛が払った。
そのあとも、僕の手を引いた。
電気街を抜け、あみだくじのように入り組んだ路地を右へ左へ抜け、辿り着いたのがこの廃ビルだった。
「ここが私の家」
これは人が住むような家ではない、というのが率直な感想だった。
ヒビの入った外壁にはツタが生い茂り、入り口のドアのガラスは割れていた。
ドアを開けて中へ入ると、カビの匂いと埃っぽさが目と鼻を刺激した。
思わず外へ出ようとする僕の肩を捕まえて、半ば強引に廃ビルの中へと進む榛は少し怖かった。
榛が怖いというよりも、その状況が怖かった。
仮にも数時間前に人を殺した人間なのだ。何をされるか分からないという疑いを彼女に向けていた。そう思うのは仕方のない事だし、悪いことでもない。
逃げようとするのは自然なことだ。
けれど、殺人に加担しようとしたのは紛れもない僕の意思だった。
覚悟を決めて廃ビルの中を進むと、電気のついた部屋があった。
外からこの部屋の窓は見えない。
おそらく正面ドアの裏側にあるからだ。
「帰ったよ」
榛はぶっきらぼうにそう言って、部屋の中へ入った。
家という事は、里親がいるのだろうか。
でも、ここは家じゃないし、孤児を受け入れるなんて無理だ。
一体、榛の言う里親って何者なんだ。
「遅かったな」
低く響く声に、男気の強い喋り方だった。
「仕事してた。それよりも、ちょっと紹介したい友達がいる」
「紹介…?そこにいるのか?」
榛が唐突に臨戦態勢を取った。
「大丈夫だ。結城は口が堅い。誰かに言うような人じゃない」
「それは私が決める。さあ出ておいで」
榛は僕の目を見た。
僕も覚悟を決めて、部屋の中へと入る。
そこは書斎だった。
本が壁一面にあり、奥には高そうな書斎デスクがある。
天井には豆電球がついたアンティークなシャンデリアがあって、雰囲気を壊さないように暖色の明かりだ。
他にも何かの機械や、ボロボロの布切れ、彫刻がある。
そして書斎デスクの椅子には、一人の女性がいた。
顔は中性的で、目に光がない。
髪は黒色とインナーカラーが黄色。
服は黒色の…軍服のような…コートのような…ものを着ていた。靴は真っ黒なブーツを履いていた。
しかし一番の特徴は左目と左腕だった。
左目には黒色の眼帯。
そして左腕は義手だった。
銀色と金色のメタルチックな義手で、失礼だが、カッコいい、と思ってしまった。
「君が結城くんね」
「お邪魔してます」
「ふっ、お邪魔って……真白、私のこと結城くんになんて言ってるの?」
「里親」
榛がそう言うと、その女性は大笑いした。
「里親か!それもいいな!」
「あの…あなたは…」
「私の名前は星奈。星奈と呼んでくれ。真白の"里親"さ」
「士郎結城です、初めまして」
「……それで、真白が人を殺してるのを見たんだっけ」
急に雰囲気と声色が変わった。
その声には敵意がこもっていた。
油断ならない、そう思った。
この人は明らかに善よりの人間じゃない。
そして、その人と同じ屋根の下に入る榛は…そこからはあまり考えたくなかった。
「見ました」
嘘はつかない。
「どう思った?」
どう思ったか。
それは異常な様子だった熊野のことか、それともそれを淡々と処理した榛真白のことか。
前者なら、聞きたいことがたくさんある。
後者でも、聞きたいことはたくさんある。
「あの…分からないことが多すぎて、1から教えて欲しいです」
星奈さんは眉に皺を寄せた。
それは明らかに嫌悪感から出る反応だった。
「おい、真白。コイツ何も知らないのか」
「ええ、何も」
「はあ…めんどくせえ」
星奈さんは頭をポリポリ掻いてから、タバコに火をつけた。
深呼吸するように煙を吐き出すと、ゆっくりと喋り出した。
「不治の病はこの世にいくつもある。
筋萎縮性側索硬化症、通称ALS。
パーキンソン病。脊髄小脳変性症。
狂犬病に至っては致死率100%の不治の病だ。
いずれも原因が特定できているが予防が困難だったり、そもそも原因不明だったり。
この世には治せない病気が存在する。
お前が今日見た"異常"も、その不治の病の一つだ。
突発性デフォルミティ精神障害」
聞いたことがない。
「原因は不明。今のところ重度の精神疾患による合併症だ。発症すると情緒不安定になったり、躁鬱になったり、とにかく精神疾患のパレード状態になるわけだ。
だけど、この病気の最大の特徴は、"発症すると通常のヒトにはない新たな臓器を作り出す"ことだ。我々はその臓器を『典臓』と呼んでいる」
典臓。
典は、書物や儀式、規則など格式高いものを表す漢字だ。
もし、熊野の肥大化した両腕が、典臓によるものなら、皮肉な話だ。
「典臓は体中どこにでも現れる。両腕両脚はもちろん、眼球や爪、果ては臓器と一体化する、とにかくなんでもありだ。臓器というよりは超能力と考えたほうが分かりやすいかもな」
なるほど。
熊野は僕と榛との関係を妬んで、ああなったわけか。
でも精神病の合併症なら、熊野が元々精神病でないとおかしい。
「熊野哲郎の自宅から見つけたものだ」
星奈さんは引き出しの中から、PTPシートが入ったポリ袋を取り出した。
「炭酸リチウム、薬品名はリーマス。
そしてバルプロ酸ナトリウム、薬品名はデパゲン。
いずれも双極性障害の患者に処方する薬だ。
熊野哲郎には会ったことがないが、話を聞く限り、人は見かけによらず、ってことだな」
まさか。熊野が躁鬱だったなんて。
信じられない。
バスケ部のエースで、いじめっ子で、取り巻きもいるボスみたいな人間だったのに。
「私が初めて会った時…あなたを助けた時、もう熊野は異形者だった。
見た目に変化はほとんどなかったけれど、異形者特有の雰囲気…これに関しては本当に勘ね。
確信したのは彼の手を掴んだ時だった。
だから、私が彼を脅したから発症したわけじゃないってことは分かっておいて。
私は彼に揺さぶりをかけただけ。
本当なら、あの屋上で殺してもよかったけど、取り巻きがいて出来なかった」
なるほど。
だから、僕を助けたってことか。
そうすれば熊野の腕を、自然に触れる。
「僕を渋谷に連れ出したのは?」
「それは…」
何やら言い淀んでいた。
きっと何やら策があるんだろう。
「とにかく、私たちは突発性デフォルミティ精神障害を発症したものを異形者と呼び、異形者を排除する仕事をしている。
依頼人は個人から国までだ。危険があれば慈善活動をする。
さしづめ、私たちはダークヒーローってことだな」
大体分かった。
自分でも不思議なくらい、星奈さんの説明を理解できていた。
数時間前に殺されかけて、殺人現場を目の前で見たのに、驚くほど冷静だった。
それは自分が人殺しの世界に片足を踏み込んだ為だろうか。
超能力者といえど、ただの精神病に罹った人間だ。
きっと悪人じゃない。
それでも、殺す。
悪人じゃないと分かっていても、善人だったとしても、殺す。
そのことに、強い嫌悪感を覚えている自分がいた。
「今日は帰れないだろう。
隣の部屋が寝室になってる。今日はそこで寝てくれ」
星奈さんは吸い終わったタバコを灰皿に押し付けた。灰皿は30本以上の吸い殻でパンパンになっていた。
「こっち」
榛が僕の袖を引いた。
その力が弱かったのか、それとも僕が彼女について行きたくなかったのか。
自分でも分からない。
袖を引いた力ではなく、自分の足で彼女へ着いていく。
隣の部屋には、大きなシングルベッドが二つあった。
「ここは私と星奈の寝室。
星奈は多分さっき起きたから、星奈のベッドを使って」
「ありがとう」
榛はそういうとまるで、ここにいたくない、そう言ってるみたいに部屋を後にした。
彼女はどう思っているのだろうか。
熊野から僕を助けたのではなく、熊野を調べる為に、僕を助けたこと。
僕は仕方なく助けられたわけだ。僕と交わした会話も、日常も、全ては熊野に近づくための準備だったのではないか。
彼女が僕の最寄駅にいたのも、熊野が僕に襲いかかってくることを分かった上で、僕を尾行していた、ということになる。
もちろん感謝している。
間違いなく命の恩人だし、彼女に対して何かを言おうだとか、疑いだとかは一切思っていない。
ただ、彼女の意思で僕を助けてくれたわけではなかったのだ。
そのことが寂しくて、悲しかった。
彼女にとっての僕は、なんなのだろう。
どうして僕をここに連れてきたのだろう。
彼女は今、何を考えているのだろう。
◆
「どうして渋谷に行ったの?」
星奈はタバコを吸いながら、私に訊いた。血のついた制服を脱いで、血のついた部分と、ついてない真っ白な部分。
その境目をじっくりと眺めた。
『少しでも、普通の女子高生でいたかった』
そんなこと、この人には言えなかった。
この人は異形者を心の底から憎んでいる。
その為に自分の全てを捧げた。
時間もお金も、人生も。
異形者を滅ぼす者、という役割を受け入れた。
だから、こんなこと言えない。
でもきっと、彼女は私が何を思っているかなんて、頭が良いから分かっているんだ。
分かった上で、訊いてくるし、私が答えられないことも分かっているんだ。
彼女は私を哀れんでいる。
心の底から哀れんでいる。
『お前が普通の女子高生でありたいなんて、思っちゃいけないんだ』
そう言ってるみたいだった。
だから何も言わない。
私は星奈のことが好きだ。
それなりに尊敬しているし、死んだらきっと泣くだろう。
でも、彼女とは永遠に分かり合えない。
絶対に。分かり合えない。
私服に着替えて、部屋を後にする。
忘れるな。
私は。




