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第二話 表と裏

 「結城、今日空いてる?」


 榛真白からそんなことを訊かれたのは、彼女が僕を助けてくれたあの日から二週間くらい経った頃だった。

 その日はいつも通り、屋上でパンを食べていた。

 

 「空いてるけど、どうして?」

 思わず聞き返してしまう。

 仮にデートだったとしても、僕はデートなんてしたことがなかったし、ましてや異性からのお誘いなんて受けたことがなかった。


 「ちょっと行きたいところがあって」


 彼女の性格的にこれがデートのお誘いなのかは分からない。けれど、二人で行きたいところがあるようだった。

 断る理由もないので、なんでもない風に了承した。

 その日の授業は放課後のことで頭がいっぱいだった。


 ホームルームが終わると、僕は彼女のところへ行って、『それじゃあ行こうか』とスカして言ってみせた。


 向かう道中で行き先と目的を教えてくれた。

 

 行き先は渋谷、目的は都会を満喫したいとのことだった。

 目的を聞いて、本当にデートなのだと実感する。すると妙に緊張してきて、何を話せば良いのか分からなくなった。

 普段から和気あいあいと話しているわけではない。沈黙は僕らにとって静寂と平和の象徴だったし、お互いに無駄な会話はしたくない主義だった。

 でも、この沈黙は何故か居心地が悪かった。

 彼女が転校してきたのは上京してきたからで、都会に憧れを持つのも理解ができたからわざわざ深掘りすることでもなかった。

 僕もまだ転校理由までは知らないので、それを踏み込んで聞いて良いのかも分からない。

 必死に話題を考えても、世間話だとか学校の話だとか、他愛もないことばかりで、デートの時にする話題とは思えなかった。

 

 長い沈黙。

 でも、時間の流れは驚くほど早かった。

 気付くと電車は渋谷駅に着いていた。

 人波に流されて、僕と彼女は電車を降りた。

 ここは僕が一歩リードして渋谷を案内すべきか、それとも彼女に任せておくべきか。

 

 「私、渋谷に来るの初めてなの」

 歩きながら彼女は言った。

  

 「ここへ来る前は秋田の小さな田舎町にいたの。母親が死んで、預かり先もなかったから去年くらいに一人で東京へ来たの」


 彼女が母子家庭ということは知っていたけれど、既に亡くなっていることは知らなかった。てっきり転勤かなんかだと思っていた。

 

 「母親が死んだのはさしてショックじゃなかった。元々体が弱くてずっと病院に居たから、一緒に過ごした時間は本当に少なかった…あ、ここテレビで見たところだ」


 彼女はスクランブル交差点を眺めながら、寂しそうに喋っている。

 やがて信号が変わり青になる。

 人々が一斉に移動を始め、彼女と僕もゆっくりと歩き始める。

 

 「その…里親さんはどんな人なの?」

 「うーん…不思議な人。でも理不尽なことはないし、躾が厳しいわけでもない。私を義理の娘じゃなくて、一人の人間として扱ってくれるし、学費とか生活費とかは出してくれる」

 

 やがてスクランブル交差点を抜けると、どこまでも続くビル街に出た。

 それから2時間くらい歩いた。

 街で不思議なものがあれば彼女が聞き、僕が答える。そんな会話だった。

 他愛もない、何でもない会話だった。

 やがて日が暮れてきて、茜色の空を電光掲示板が照らし始めた。


 「なんか食べる?」

 そろそろ晩飯時だろう。

 僕の腹はかなり空いていた。

 「案内してくれるの?」

 「僕も渋谷はそんな来たことがないけど、頑張るよ」

 「そう、じゃあ一緒に探しましょ」

 彼女は何でもなさそうにそんなことを言ってのけて見せた。僕の心臓は生まれてこれまでにないくらい速く動いていた。

 僕の隣を歩く彼女が何を考えているのかすらわからない。何故かそのことを疎ましく感じない。それが自然なことだと思うし、分からないことが分かることが何故か嬉しかった。

 

 「ここはどう?」

 立ち止まったのは洋食店だった。

 ビストロみたいだ。


 店の前に置かれたメニュー表を眺める。

 カルボナーラをはじめとするパスタ類にマルゲリータなどのピザ類、デザートにはプリンやケーキもあった。

 値段がやや高いけれど、せっかくのデートなのだ。このくらいの出費は何も惜しくない。

 彼女もどうやら気に入ったらしく、ここにすることにした。


 店の中に入ると、洋風のインテリアが僕たちを出迎えた。

 ドアにつけられた鈴が鳴って、やってきた店員さんが丁寧にお辞儀をする。

 案内されたテーブルは二人掛けの、向かい合いになって座るタイプのテーブルだった。

 

 僕はチーズピザを頼み、彼女はカルボナーラを頼んでいた。

 

 「お腹すいたね」

 「結構歩いたからね」

 どうやら彼女のお腹も空いていたらしく、タイミングは良かったらしい。


 チーズピザとカルボナーラは頼むと5分も経たない内に運ばれてきた。

 どちらも大皿で、それなりに空腹でないと食べきれない。そのくらいの量だった。

 カトラリーケースからフォークを取り出す。そのあとに彼女のフォークを取って差し出す。ありがとう、と言って彼女はそれを受け取ってくれた。


 「いただきます」

 スライサーでピザを8等分にしていく。

 

 「あの日のこと覚えてる?」

 パスタをフォークで巻きながら彼女は聞いてきた。

 あの日がどの日を指すのかはすぐに分かった。

 

 「覚えてるよ」

 彼女は巻き終えたパスタを口に運ぶ。

 何回も咀嚼し、飲み込んだ。

 すると少し微笑んだ。その顔が『美味しい』と言ったのはすぐに分かった。

 それから彼女はそのことについて何も聞いてこなかった。僕も聞こうとは思わなかったし、彼女にとってもあまり触れてほしくないことなのかもしれない。

 

 食べ終わり、店を出る。

 茜色の空は真っ黒な空に変わっていた。

 電光掲示板のネオンの光は存在感を増し、夜空に向かって、何かを訴えるように光り続けている。


 「楽しかった?」

 そう聞いたのは、彼女には楽しんで欲しいと、心の底から思っていたからだ。

 いつも誰とも関わらずに、自分の世界の中にいる彼女は死人みたいな儚さがあった。

 彼女が普段どんなことを考えて、どんなことを思っているのかは、彼女のプライバシーの内だから聞こうとは思わない。

 でも、今日この瞬間だけは、彼女が何を考えて、何を思ったのか、知りたかった。


 彼女は僕の目をじっくりと見ていた。

 その瞬間、世界の時間は止まっていて、世界という大きな空間の外に僕と彼女はいた。

 彼女が首を縦に一回、小さく振ると、止まっていた時間は再開して、僕たちと世界との空間の壁はなくなって、混ざり合った。


 「良かった」

 そう言って、僕たちは帰路に着いた。


 ◆


 時刻は21時15分。

 最寄駅に設置された時計の針が15の針を指していた。

 まだ現実味がない。

 地面に足をついて歩いている感覚がしなかった。

 彼女と二人で過ごせて、嬉しかったのか、楽しかったのか、幸せだったのか。

 この感情がどれに値するのか分からない。


 駅の改札を出て、外へ出る。

 横断歩道を渡って、人通りの少ない住宅地に入る。


 外灯の明かりが僕の影を伸ばしていく。

 前に出来た影は、後ろに移動し、ぐにょんと長く伸びた。

 また伸びて。

 なくなって。

 また伸びて。

 なくなって。

 

 すると影が二つに増えた。

 外灯が二つあるのかと思って真上を見上げたが、明かりは一つしかない。

 振り返る。

 それと同時に、強い衝撃が体全体に走る。

 吹き飛ばされ、地面に激突する。

 顔を挙げると知った顔があった。


 熊野だった。


 「熊野…!」


 その様子は明らかに異常だった。

 焦点のあっていない目。

 黒く荒んだ制服。

 そして何より、両腕。

 あんなに大きかっただろうか。

 足や腹の太さとは不釣り合いなくらいに肥大化した両腕があった。


 何故ここにいるのかは考えても仕方ない。

 迷わず、走り出す。

 地面を強く蹴り飛ばす。

 捕まれば死ぬという確信があった。


 5歩目。

 突然、轟音と衝撃が僕の体を貫いた。

 振り返ると僕がいた場所に大きな凹みが二つ出来ていた。コンクリートの地面はひび割れ、その亀裂は電柱まで走っている。

 その凹みを作ったのは、紛れもない熊野哲郎の両腕だった。


 恐怖という2文字が、瞬く間に僕の体を覆い尽くした。

 両脚だけは止めまいと、必死に動かす。

 

 振り返る。

 熊野の姿はなかった。

 しかし、殺意、というものなのだろうか。

 空から嫌なものを感じて、空を見る。

 人影があった。

 それは熊野が跳躍して、空にいたからで、重力がある限り跳躍したなら地面に着地するのがこの世の理だ。

 そして、その着地地点が、僕と重なっていることは嫌でも分かった。

 死ぬ。

 数秒後、間違いなく死ぬ。

 そう思った。

 黒い影は段々と大きくなっていく。

 距離にして1メートルもない。

 走馬灯なんて流れなかった。

 

 反射的に目を瞑る。


 



 が、何も起こらない。

 痛みも衝撃も。何も襲ってこない。

 恐る恐る目を開けると、目の前には熊野ともう一人、見知った人間がいた。


 「ようやく姿を現したと思えば」

 

 冷たい声。

 まるで刃物のように鋭い彼女の声がした。

 

 「榛さん…!?」


 彼女は熊野が振り下ろしたであろう両腕を受け止めていた。そして熊野の両手首を掴むと、そのまま右方向に振り払った。

 よろけた熊野はすぐに反撃の態勢に入った。

 しかし、間髪入れずに彼女の回し蹴りが、熊野の顔面に直撃した。

 熊野は肥大化した右手で顔を覆い、数歩後退り、しゃがみ込んだ。

 

 「どうしてここに!?」

 「説明はアイツを殺してから」

 

 「…殺す…?熊野を…?」


 彼女の口から自然に出た『殺す』は、『食べる』や『寝る』みたいに、そのくらい当たり前の動詞だった。でも僕にとって『殺す』は、少なくとも自分の人生において関わることがないと思っていた動詞だった。

 

 彼女はきっと、必ず熊野を殺す。

 そう思わせるだけの覇気を、彼女は持っていた。


 「アイツはもう人間じゃない」


 熊野とはさして仲良くもなかったし、別に死んだとしても何も思わないだろう。

 それよりも、彼女が殺人を犯すということに強い嫌悪感を覚えた。

 清廉潔白で、高潔で、気高い。

 きっとそれは僕の思い違いだったのだ。

 いや、確かに彼女は清廉潔白で、高潔で、気高い。

 でもそれは彼女のほんの一面に過ぎなくて、彼女の両腕はすでに真っ赤に染まっているのかもしれない。

 つまり、彼女はもう人を殺したことがあるのだと思う。

 一回じゃない。

 何回も。

 今回の殺しも、その何回かの一回に過ぎないのだ。

  

 「熊野を殺すなら、俺も手伝う」

 「足手纏いよ」

 「手伝う」

 

 僕は彼女の目を見てそう言った。

 罪悪感や未来への危機感なんてなかった。

 そのくらい僕は、榛真白という人間に惹かれていた。

 

 「手伝うこともないから」


 彼女はそう言うと、熊野に向けて駆け出した。

 熊野はすぐに両腕を大きく振りかぶった。

 しかし、その両腕が振り下ろされる事はなかった。

 彼女はすでに、熊野の心臓あたりにナイフを突き刺していた。それもこの一瞬で数十回以上もだ。

 おびただしい数の刺し傷が、大量の血が。

 そこにはあった。


 熊野は声も出さずに、絶命した。

 いとも容易く。

 簡単に。

 熊野哲郎は死んだ。

 

 彼女は倒れた熊野の胸部からナイフを抜き取る。

 返り血が彼女の制服を赤く染めていた。

 僕はただ見ている事しか出来なかった。

 彼女の言う通り、何もしていない。


 「まあ、見られたものは仕方ない」

 彼女はゆっくりと僕に近づく。

 彼女の背後には満月があった。


 「一緒に来て欲しいところがある」


 「熊野の死体は…?」


 「……あれ見て」


 彼女は熊野の死体を指差す。

 ただの死体だ。

 地面には大きな血溜まりが出来ている。

 …いや、ただの死体ではない。

 よく見ると、四肢の先がなくなっている。

 しかも、その消滅は現在進行形で、熊野の体が四肢の先からどんどん消滅していた。

 

 「異形者は、ああやって消滅する」


 「異形者…?」


 「不治の病に罹った病人達だよ」


 彼女がそう言い終わる頃には、熊野哲郎の死体はもうこの世に存在しなかった。

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― 新着の感想 ―
xから来ました! 初めは淡い青春の一幕かな?と思ったら「熊野」の存在でひっくり返る展開が面白かったです! リアクションとお星送っておきますね!
Xから来ました。 人ならざらぬ者達が存在していて、そして人として生きている中どうやって主人公たちが化け物と人を見極めてどう生き延びて行くのかが面白そうだと思いました。
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