8話
◇
伸びやかな青空が広がる、五月晴れ。
その空の下、僕らは会話もなく歩いていた。
「……」
僕ら、と言うだけあって僕は一人じゃない。
隣を歩くのは、部屋着姿の揚羽さん。彼女曰く、死に場所探しにわざわざおしゃれをしていく必要はないのだとか。その割には、メイクはばっちりである。
──死に場所探し。
常人が聞けば、縁起でもない、と怒られそうなものである。
僕たちは男女二人が揃おうともデートに行くわけでもない。ただ、自分の死ぬ場所を探すために出歩くのだ。こんな清々しい晴れの日にも関わらず。
そのせいか、彼女はメイク以外適当で、帽子を目深に被ってスマホを覗き込んでいた。
「いろ姉と、どんな話をしたの?」
無言が耐えられなかったわけでは無い。昨日からずっと訊ねたかったことを機会を逃し続けて今、ようやく口に出来ただけだ。
元より、一年以上同じ学級だったにもかかわらず、二日前までまともに会話をしたことが無かった間柄だ。だから僕らの間に会話が起こらないのは当然であるがゆえに、今のような無言は何の弊害も無かった。
だからこそ、僕が今問い掛けたのは、単なる興味であった。
「どんな、って。別に、大したことは話してない」
いろ姉は身内の僕から見ても正直言って、少し変わっている人だ。
そのせいで周りがいろ姉を受け入れることも、いろ姉が周りを受け入れることも難しかった。だから予定より早めに帰宅した時に揚羽さんがいろ姉を敬遠していない様子を見て、僕は心底驚いたのだ。
「あんなに楽しそうにしてたじゃん」
「あれは……。そんなんじゃないから」
僕視点の観測上では、昨日の時点で揚羽さんの表情には穏やかな笑みが浮かんでいて上機嫌だったと記憶している。しかし、朝起きて見ればいつもの仏頂面。もしや、私も泊まると言って聞かなかったいろ姉を無理に帰したのが悪手だったのだろうか。
しかし、いろ姉に関しては仕方がなかった。母さんと叔母さん。姉妹の間にある確執、と言うより、皐月家と一色家の間にある確執によっていろ姉が我が家に泊まることは禁じられているため、帰さねばならなかった。その逆は容認されているのがおかしな話ではあるが、叔母さんと両親の間は長い間折り合いがつかない事態になっているのであった。
そのことを揚羽さんに説明するわけにもいかないため、冷めた目でスマホをタプタプする揚羽さんにいろ姉を帰した理由についてなんて言えばいいか思案していると、揚羽さんの口が開く。
「……彩春さんには、言ってないの? 死にたい、ってこと」
「言ってないよ。言えるわけ、無い。いろ姉は、本気で僕のことを心配してくれてるんだ。だから、これ以上気負わせるようなこと、言えないよ」
所詮、僕の希死念慮は見せかけだけのもの。揚羽さんと言う本物を知る僕からすれば、僕のは偽物。それを打ち明けたところで、こっちが本気じゃないんだ。質の悪い悪戯にしかならない。
本気で死にたいとか、消えたいとか、いなくなりたいとか、揚羽さんみたいに心の底から思っているわけじゃない。この思いはあくまでも自分で消化するつもりのものだ。誰かにぶつけることも、誰かに委ねることもしない。もしかしたら、代わりの感情が見つかるまで、今後一生付き纏う感情かもしれないが、それはそれでいいとすら思っている。
恐らく、そのことは揚羽さんも分かっているだろう。僕が本気じゃないってことくらい。それなのに死に場所探しに僕を付き合わせるのには、一体どんな意味があるのか。僕の心変わりを期待しているのなら無駄だと言ってあげるべきなのか。
「……羨ましい」
「ん? 何か、言った?」
「あんたは優しいお人好しの馬鹿だって言ったの」
「急にどうしたのさ。そんな褒めても何も出ないよ」
「……優しいって、別に褒めてるわけじゃないから」
「そ、そうなの?」
「ぶっちゃけ、貶してると言っても過言ではないわね。むしろ、あたしは基本的にそっちのニュアンスで使う事の方が多いけど」
嘲るように言った揚羽さんの言葉に、僕は素直にショックを受ける。
僕は生まれてこの方、「優しい」以外の褒め言葉を聞いたことがなかったから。
とは言え僕も、薄々感じてはいた。
教室の掃除を適当な言い訳で押し付けてきた女子生徒に「優しい」と言われた時も、席替えで希望の席じゃ無かったからと物言わなさそうな僕に席の交換を押し付けてくる男子生徒からの「優しい」の言葉も、見下されているような気がしていたから。
学校の教師から面談時に聞かされた「歩夢君は優しくて心配りが出来る──」なんて台詞も、結局はそれしか褒める所がないから言っているのだろう。
そう考えると「優しい」なんて言葉に一切の信用が置けなくなってしまうが、逆に「優しい」以外に褒める部分が無い僕自身にも責任の一端はあるとも言える。
彼女の言葉が真理であるならば、僕には何一つとして褒められるところがないという事になる。
分かっていたとは言え、いざ実際にそれを事実として突き付けられると、自分でも思っていた以上に深い傷を負ったのが分かる。
「そっ、かぁ……」
ともすれば足を止めてしまいかねない程に落ち込んだ僕を見てか、揚羽さんが不意に足を止めて、言った。
「……少なくとも、彩春さんはあんたの優しいところを好ましく思っているんじゃないの」
てっきり重い足取りのまま揚羽さんの背を黙ってついて行くことになるかと思っていた僕は思わずと言った形で頭を上げる。今、僕の顔には素っ頓狂な表情が張り付いていることだろう。
「──」
「何その顔」
「いや……、もしかしてだけど、今、揚羽さん、気を遣ってくれたの?」
「は、ハァッ?! そんなんじゃ、ないから……」
「優しいんだね、揚羽さんって」
「ハァ?! うざ、うっざ!!」
「ぁ痛~!」
顔を真っ赤にさせてミドルキックを放つ揚羽さんに、僕は一発KOされるのであった。
「……この、クソ童貞が」
「な、なんか聞き捨てならない言葉が聞こえて気がしたんだけど?」
汚れを払って立ち上がる傍ら、盛大に舌打ちを打った揚羽さんに聞き返すと、体が一回り縮むんじゃないかと思えるくらい大きな溜め息と共に悪態を吐く。
「あたしに手を出さないあんたは枯れてるんじゃないか、って言ったの。自慢じゃないけど、あたしってば男からすれば垂涎ものじゃない?」
「本当に自慢できる事じゃないね。と言うか、藪から棒になんてことを言うのさ。僕だって性欲は人並みにあるつもりだけど、仮にも揚羽さんは泊まるところがなくて困っていた人でしょ? それじゃあまるで、弱みに付け込んでいるようなものじゃないか。そもそも、恋人でもないのに手を出す人がどこにいるのさ」
「……泊める見返りで、とか」
「そんな心無い人が居るわけない……とは言い切れない現実が憎いね。でも、そんなのって、おかしいよ」
「そうかもね。現実は、おかしい世界なの」
言いながら、フッ、と嘲るように笑う揚羽さん。そんな彼女の横顔を見て、僕はようやく笑顔が見れた、なんて能天気なことを考えるのだった。
「無駄話はこのくらいにして、本題に移りましょ。あんたは自殺って聞いて、何が思い浮かぶ?」
「どこに行くかも聞いてないのに、突然だね……。まあ、思い浮かぶとしたら、手段。自殺の方法、とか? 首吊り、練炭、リストカット、それから……飛び込み、とか」
「あんたは、どれか一つでもやったことある?」
「いや、無いけど」
「あたしはね、全部ある」
「えっ?!」
「だけど、どれでも死ねなかった。必ずどこかで不備が起こるの」
根性無し、とでも言われるかと思いきや、揚羽さんは見やすいようにまくった袖口を見せつけ、淡々と言い放つ。彼女の左の手首には二本、痛々しい程に残酷なリストカットの痕がくっきりと残っているではないか。
何の気なしに放つには衝撃の大きすぎるカミングアウトに、僕は何か言い返す素振りすらできず、ただ無力に口を開閉するばかり。
「自殺ってね、思ってるより簡単じゃないの。自殺を図って失敗に終わる人は、実際に自殺に成功した人の何十倍もいるらしいし。アメリカじゃ、青年の自殺一件に対して百件もの自殺企図が行われているくらい、自殺の成功率は高くないの」
「……」
それはまるで、登山にTシャツ一枚で来た登山客を叱る登山玄人のような口調で揚羽さんは自殺に対して物語る。
それもそうか。自殺初心者の僕と比べれば、彼女は自殺玄人とも言えるのだから。その称号が栄誉あるものではないことは重々承知ではあるが。
「だからいい加減、あたしはあたしを殺さないと気が済まないの。だから、付き合ってよ」
「それは君が……、揚羽さんが、死ぬまでってこと?」
「そう。あたしが、死ぬまで」
それは彼女なりの悪意の表明なのか、悪戯に笑って見せる。
揚羽さんは瞳孔の開いた目をこちらに向け、口元だけで笑顔を作って僕を指差す。その仕草はまるで、死期を目の前にした老婆のようでもあり、指を差されたぼくは怖気に身を包まれるのだった。
「あたしの死に目を見るのは、あんただけ。あたしを道具としか思わない父親でも、口を開けば下衆張りばかりの母親でも、悲劇のヒロイン面する姉でもない。あたしの死に目に会えるのは、血の繋がりも何もない、あんただけ。これって……、傑作じゃない?」
「……そんな立場、僕は光栄には思わないよ」
「あんたがどう思おうが、知ったことじゃないの。それに、あんたかがもし本当に死にたいって思えるようになった時のためにも、社会科見学って意味でも有用だと思わない?」
「……僕に、死ぬつもりは無いよ」
「一緒に死ねって言ってるわけじゃない。あれだけあんたを思ってくれてる人がいるのに、そんな図々しいお願いが出来るわけ無いでしょ?」
「それくらいの分別がついているのなら、尚更。……なら、どうして」
「理屈じゃないの。それくらい分かるでしょ? あんたもあたしと同じ。死んでしまいたいって思いを少なからず抱えているんだから」
彼女の血反吐を吐くように紡がれた言葉に、僕はただ、「分かった」と答える他なかった。
これ以上引き下がることは互いに無益であると分かっていたし、ここで僕一人が来た道を戻ったところで、彼女の意志が揺らぐとは思えなかったから。それに何より、揚羽さんを一人にしてはならない。彼女の手を取った瞬間からずっと、それだけは揺らいでいなかった。
「分かったなら黙って、付いて来てよ」
それが気のせいかどうかは分からないが、その後僕と揚羽さんの間に会話らしい会話は生まれず、ただ黙ってスマホで道案内をする彼女の後ろに付いて行くのであった。




