6話
◇
「ん……。あぁ、そっか」
目が覚めて一番に思ったのは、「どこだここ」。
それから間もなくして、いつもの寝床ではないことを思い出して再び布団を被る。
ここは、第一印象から第五印象くらいまで「パッとしない」が羅列されるような、教室でも学校の外でも変わらず冴えない男の家だと言うことを思い出して三度目の入眠態勢を取る。
先週末に彼氏と別れてからビジネスホテルやネットカフェを転々としたせいで快適な睡眠環境に恵まれなかったせいか、いくら寝ても寝足りない現状。行く宛ても無い一週間は精神的にもとにかく追い詰められていたのだけれど、あたしにとってみればまさか学校で授業を受けている方が快適だとは思いもしなかった。
しかしその暇潰しの時間が失われる週末になると、またもや寝床にも困ることになる。いくら親からクレジットカードを奪っているとは言え、連泊によって居場所を突き止められるとそれはそれで面倒だ。連れ帰されるくらいなら、誰かに体を売ってでも寝床を確保した方がマシだと思い、都合の良さそうな人を探した。そうしたらまさか、自分でも驚くほどあっさりと、二つ返事で寝床を確保できたのが昨日までの記憶。
「本当に、バカな男……」
あたしが声を掛けたのは、一色。下の名前は後から知った。一色歩夢という男子生徒。あたしと同じ、教室でも孤立している数少ない男子生徒だ。
声を掛ける候補としての最低条件が、口が堅くて、あたし好みの顔で、頭が良いことの三つ。ただし、あたしが声を掛けた一色歩夢は、あたしの掲げた条件に何一つ当てはまっていないと言うのがミソだ。
一つ、口が堅いこと。
一色歩夢は、口が堅い以前に秘密を共有する相手がいないこと。必然的に、彼の口からあたしのことが漏れる心配が無い。
二つ、あたし好みの顔。
まるで違う。あたしの好みはバイプレーヤーのような渋みを放つ年上男性。あたしの姉から覇気を抜いたような一色歩夢の顔は、むしろ嫌いな方であった。けれど、体を委ねる訳でもないのに気にするだけ無駄だと言うことに気が付いたのだ。
三つ、頭が良いこと。
あたしは馬鹿が嫌いなだけ。一色歩夢は馬鹿じゃなかった。頭が良いかどうかは知らない。
以上。
そんな感じで、まさか月曜の朝まで泊まっていいと言われるなんて思いもしなかった。余りにもあたしにとって都合の良い展開を疑いはしたが、一色歩夢にそんな度胸があるとは到底思えず、ただのお人好しだったという事が判明した。
驚いたことと言えば、実際に話してみれば彼からぷんぷんと嗅ぎ取れたことか。あたしと、同じ匂いを。
これ幸いにと、自分でも踏ん切りのつかないことに勇気を出して誘ったは良いものの、まさかこのあたしの誘いを後回しにされるだなんて思いもしなかった。今こうして寝こけているのは疲労もあるが、主に不貞寝の意味合いの方が強かった。
あたしは、自分の見目の良さを把握し、理解し、自覚している。
自分の体に忌み嫌う両親の血が流れていることは腹立たしいが、この恵まれた美貌を授けてくれたことだけは感謝している。それ以外では、親以前に人としてクズだと思っているけれど。
そして、それに寄って来る男たちも、お零れにあずかろうとする女たちも等しく卑しい下等生物のようにしか思えない。だけど、好みでもなんでもない一色歩夢がどうしても、と欲するのなら一宿一飯の恩として、彼の今後の人生では引っ繰り返っても手が届きそうもないレベルのあたしを貸してあげてもいいと思っていたのに、あの男はあたしに興味を示すどころか、あまつさえ袖にした。
あたしが唯一誇りに持てる部分を蔑ろにされて、女としての尊厳を擲ってでも恩を返そうとしていたのに、だ。
「もしかして、ホモ、だったりして?」
布団の中でモゾモゾしながらそんなことを考える。
ビジネスホテルと違って、他人の生活感のある環境は神経質になってしまいがちなのに、人の家で安心感に耽ってあたしは何をしているのかと我に返る。あたしはあくまでも急造の客人。先に入っている予定を優先するのは人として当然。当たり前のことすら出来ない人ばかり見て来たせいで、そんな連中にあたしまで毒されてしまったと思うと、ほとほと嫌になる。
一色は明日、日曜日なら付き合ってくれると言っていた。
親も、姉も、教師も、彼氏も、誰も彼もの言うことは信じられなくて頼れなかったのに、不思議とあの男の言うことはすんなりと信じ込める。それはきっと、一色歩夢と言う男を知らないからこそ信じられるのだろうけれど、何よりも彼が奇妙である点が大きく関係しているように思える。
見る限り、彼は無垢を装っている。それがどんな理由があってしているのかは不明だが、懐に入れば見えるくらい明らかな、一枚捲った先にある深い諦観を、あたしのこれまでの人生では見たことが無かった。あたしの心が深い穴だとすれば、彼のはどこまでも広がる水平線が如き平坦。起伏の「き」の字もない。ともすれば希望も絶望も失望も無ければ、嘘も本当も無い平地。
それが却って信頼できると感じられたのは、なんたる皮肉か。
それを味わってからは、こうして誰かの嘘に怯えなくて済む時間と言うのが久しくてあたしは再びぼんやりとしてくる。
背中を丸めて小さくなって眠るのは昔からの癖で、頭まですっぽりと覆う布団の中だけは、誰にも邪魔されない、あたしだけの世界である。
「もうちょっと、寝よう……」
今が何時かも分からないような状態で夢現を揺蕩っていると、不意に、ガチャガチャと玄関の鍵が開く音が聞こえた。一色が帰って来たのだろうか。もうそんな時間なのかと思いながらも、ベッドから出る素振りは見せない。だって、まだ眠いから。
そんなことを思っていると、廊下を歩く足音が部屋の前で止まり、ドアが開く音が微かに聞こえた。
「……ん」
まるで寝ているところを起こさないようにそっと入室してくる気配に、あたしは微かに身動いで応える。
──手を出しに来たの?
所詮、一色も結局は一匹の雄だという事か。
それが嬉しいような、悲しいような。いや、やっぱ普通にキモい。
あたしの魅力に惹かれたか、と茫洋とする頭の中で得意げになりつつ、一方で外から帰ってきてすぐにだなんて、と失くしたはずの恥じらいも思い出す。
それでも、抵抗する気はなかった。
抵抗すると、痛い思いをするのはこちらだから。
布団の中で近付く気配に、半ば投げやり気味にシやすい態勢に動かすと、ほぼ同時に、あたしは自分の勘違いに気付かされる。
「──あ~ちゃん? まだ寝てるのー? もう昼過ぎだよぉ? お従姉ちゃんが目覚ましのキスで起こして、あ・げ・る」
「……ッ?!」
耳に飛び込んできたのは、甘ったるい猫撫で声。
聞こえた途端、微睡みに包まれていたあたしの意識は瞬く間に覚醒していくが時すでに遅く。ガバッ、と抱き着かれ布団を捲られたあたしは、固まった表情のまま声の主と対面するのだった。
「…………」
「…………」
布団を捲られた先で見たのは、漫画やアニメでしか見たことの無いような驚愕の表情を見せる女性。あたしはなんて声を掛ければいいのか分からなくて、見つめ合うあたし達の間にはただただ沈黙だけが流れる。
一分か、二分か。それとも十秒に満たない時間なのか分からないけれど、長い沈黙の末に、目の前の女性が叫んだ。
「──あ、あ、あ、あ~ちゃんが、女の子になっちゃった?????!!!!」
女性はまだ、勘違いしていた。




