↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/29

25話

 




 ◇



 翌日。

 いつもとは違う心構えで学校にやって来た僕を捕まえたのは、驚いた顔をしながら「話がある」と声を掛けてきた先生だった。

 今日くらいは休んでも良かったのに、と僕を気遣う声に感謝しつつ、本題に移る。


「それで、話ってなんですか?」

「もうすぐ人権週間があるのを、知ってるか? 一年生の時に作文書かされたの、覚えてるだろ? それで、今年もうちの高校からも何本か送れって言われていてな」


 本題に入ってすぐ、先生の顔が渋くなる。

 人権週間。人権デーと呼ばれる十二月十日を最終日とする一週間をそう呼び、世間全体で人権尊重思想を広めるための啓発期間を人権週間と呼んでいる。主に小学校や中学校の義務教育課程において人権尊重思想を考えさせることが多く、僕も小学校の頃は作文を、中学校の頃には偉い人を呼んでの集会があったことを覚えている。当然、未発達な知能しか有さない子供に「人権がなんたら」、など理解できるはずもなく、周りと同様に聞いた話をそのまま書いた薄っぺらな中身の作文が学校掲示板に並んだものだ。


 それがこの学校では情操教育に力を入れているのか、それとも地域性なのか、高校でも一年次に人権週間の取り組みがあって作文を書かされたのを覚えている。

 当時のクラスには「面倒くさい」という空気で満ちていたが、おそらく他の学級でも同じ空気が流れていたに違いない。


 当たり前にあることを改めて考えて文字に起こすだなんて、そんな二度手間のような面倒な真似は出来ることならしたくない。当たり前のことは誰だって分かり切っているのだから。けれどもその当たり前が当たり前であることを再認識するための啓発期間でもあるため、我が校における法務省が望む成果は上々と言えることだろう。


 しかしそれが本題とどう絡んでくるのか。


 まさか二年生になった今年も書かされることになるのかと頭に過ぎるが、そのくらいであればクラスのみんなの前で、ホームルームの時間に伝えるべき内容だ。それをわざわざ僕を捕まえてまで個人的に話がある、なんて言われると、あらゆる可能性が生まれては消えていく。


 言い渋る先生の顔色を覗くと、お世辞にも血色のいい顔色とは呼べない顔色を見て、あらぬ可能性を危惧する。早くなる胸の律動を保ったまま、僕は口を真一文字に結んで先生の口が二の句を紡ぐのを待った。


「それで……、だな。実は、今回の人権週間でも一色に作文を書いてもらいたくてな」

「どうして、僕が?」

「学校側からの要望……、って言っても納得できないよな。これは俺達担任教師に課せられたもので、ある種の推薦みたいなものだ。どうだ、今年も書いてみないか?」

「僕が言いたいのは、何かに入賞したわけでもないのに、どうして僕なのか、ってことです」


 確か去年は、僕じゃない誰かが入賞を果たしていたのを思い出す。その人の作文は全校生徒の前で受賞を称えられていたし、中身も読み上げられていた気がする。そんな文才ある人が同じ学年にいるのに、どうして僕なんかに声が掛かったのか。


「……去年の一色の作文を読ませてもらった。確かに拙さはあったが、俺としては、一番心に響く文章だったからだ。そう感じた上で、俺が一色の書く文章をもっと読んでみたい、と思ったから。どうだ? 納得出来そうか?」

「それって、人権作文じゃなきゃ、駄目なんですか?」

「いやあ、そう言うわけでは無いんだが、良い機会だと思ってな……。でも、まあ、あんなことがあった後だ。無理に、とは言わないさ。心の整理も必要だろうし、嫌なら断ってくれていいからさ。良かったら、考えてみてくれないか?」


 な? と言って肩に手を置く先生。


 先生の真意は分からない。白羽の矢が立つのは僕じゃなくてもいいはずだ。それなのにこの話を僕に持ってきた意味を考えようと、僕は思考を巡らせる。


 だけどもそれを咄嗟に切り上げる。

 いつかのエランさんの言葉を思い出したからだ。


 ──後悔しない生き方を選べ。


 考え方を、捉え方を、視点を変えるのだ。

 全ての物事に意味があるとは言え、全ての意味に納得しようとしていたら、一歩すら踏み出せなくなる。石橋だって叩き過ぎれば砕けて壊れて渡れなくなる。

 ならば、僕に必要なのは、後先考えずに一歩踏み出してみる勇気。僕に足りないのは、その先で順応する力。それを養うためには、一歩踏み出さなければ何も変わらない。

 一歩踏み出すのは、正直言って、怖い。怖いけれど、このまま自分で自分を縛る鎖に雁字搦めにされたまま後悔し続けるより、動いた方がきっと今よりマシな自分になれる。


 そう思ったからこそ、僕は一歩踏み出す。

 どれだけ小さな一歩だとしても、踏み出したと言う事実に相違ない。


 僕はこれを好機だと捉え、去ろうとする先生の背中を呼び止める。


「そうか、やってくれるか!」


 パァッ、と晴れていく先生の顔。反対に、俄かに引き攣る僕の顔。

 用意が良いのか、それともこうなることを見越していたのか。先生の腕の中から現れた原稿用紙を手渡される。一年ぶりの邂逅となったそれに懐かしむことはない。先生は「無理だけはするなよ」と言って駆け足で去って行く。


 それから間もなくして朝の予鈴が学校中に響き渡るのだった。


「教科書の六十七頁を開いて──」


 しかし、原稿用紙を受け取ったは良いものの、何を書くかは何も思い付いていない。授業が始まった中でも、僕の目線はチラチラと空席の揚羽さんの席を追ってしまい、原稿にも授業にも身が入らない。


 昔から、作文の課題は苦じゃなかった。


 友達などいなかった小学校時代。僕の相方は本だけだったから、その世界に手を伸ばす行為である作文と言う行為は、むしろ好んでいたとすら言えよう。だがそれは今にして思えば、胸の内を吐き出せない代わりに作文と言う課題にのめり込んでいたとすら言える程に異様だった。何せ、求められている数倍の量の文章を提出していたこともあったくらいだ。しかも、中身は意図も文法もバラバラな文字の羅列のようなもの。当時の担任の先生はさぞ苦労したことだろう。先生に「規定の量で」と注意を受けてようやく止まったが、アレは僕でも分かる、異常だった。


 だけども、あの時の行動は間違いなく子供時代の僕によるSOSだったと言える。アレが無ければ、僕はもっと早くに色々なことを諦めていたと思う。


 だが今の僕がするべきは、助けを求める文章を書くことではない。

 伝えたいことを伝えるために文章を書くことだ。


「人権が、テーマ……」


 授業はそっちのけで、鞄の中の原稿用紙を思い浮かべて思案する。去年の中身は、至ってありきたりな内容を書いた記憶がある。では今書くとしたら、なんだろうか。この教室の嫌な空気感でも書いてやろうか。


 昨日、朝のホームルームの直後、朝一番で早退した僕を見て様々な憶測が飛び交う教室は、以前の夏休み明けの空気とよく似た状況だ。そんな空気に辟易しながら溜め息を零した。


「どうした一色。そんなに俺の授業はつまらないか?」

「い、いえ、そう言うわけじゃ……」

「そうか。なら、まず、教科書を開け。では、ここの──」


 世界史の教員から叱られて縮こまると、教室の端から小さな笑い声が聞こえる。


 昨日までの僕であれば余計に周囲の視線を気にして縮こまっていただろうが、今は違う。

 そんなものにかかずらっているのが馬鹿馬鹿しく思える僕は頭を振って、雑音をシャットアウトする。

 僕が今考えるべきは周りの目でもなければ授業でもない。僕が書くと決めた、作文のことただ一つ。

 この作文は、他でもない揚羽さんに宛てるものにしたかったから。


 ……なら、テーマは、自殺、とか。


 過ぎる思いに笑みを噛み殺しつつ、時と場所を弁えないのは流石の先生にも好まれないか、と浮かんだ思考を横に置く。


 でも、僕と揚羽さんを繋いだのは正しくそれだ。自殺。自分を殺すこと。全ては、誰にも見せない心の闇から生まれた問題だ。


 心の闇、心の淀み、というものに、大人も子供も関係ない。吐き出さなければ溜まる一方。何もしなければ勝手に消えるなんて都合の良いことは無く、そして際限なく重みを増していくという厄介なものだ。その場で不満を言えたらよいものを、わざわざ抱えてしまうような人は、きっとこのクラスにだって何人もいるのだろう。言うに言えないという状況は僕のような小心者に限られた問題では無いのだから。


 ──自分だけが苦しいわけじゃない。


 もっともな理屈だ。だけどそうやって自分の苦痛を見ない振りをすると言うのは、自分自身を傷付けることと同じ。やがてそれが積もり積もって自分を苦しめるのだとすれば、それはれっきとした自傷行為であり、緩やかな自殺に繋がるものである。


 ──自分に嘘をつくな。


 嘘は、自分の価値を下げる行為だ。低く見積もった自分にはいずれ、自分でも自分の価値を見出せなくなる。だから、自分を殺すことに躊躇いが無くなる。自分を消すことに躊躇いが無くなる。だって自分を傷付けることは、ごみを捨てるのと同じ感覚になるのだから。


 どこの誰が、明確にゴミだと認識したものを捨てることに躊躇うだろうか。


「でも、僕には……」


 残念なことに、僕には音楽の才能も演技の才能も無いように、文才など欠片も有されていないのは既知の事実である。


 ではどうやって文章を紡ぐのかと言うと。


「……それでも、書くしかない」


 書くしかない。

 書いて書いて書いて、納得のいくものが出来るまで書き続けるしかないのだ。


 語られていく授業の内容を右から左に聞き流して、僕はノートに綴る。もしかすれば、先生から見ると熱心に授業を受けているように見えるのではないか。いや、そんなことはないか。授業後にノートの提出を求められたら一発でアウトだ。授業には何ら関係の無いポエムが書き綴られたノートなんて、先生の怒りを誘う簡単な方法の一つなのだから。


 それでも僕は、頭に思い浮かんだ言葉を書き綴る。自分の、思いを。短い文章それだけではなんの意味も持たないし、並びもバラバラである。手の動きと頭に浮かぶ言葉とで速度がズレ始め、やがて綴るのではなく、書き殴るような文字の列が出来上がっていくが、僕は止めない。止められない。

 書き殴った僕自身が後でこれを読み返しても、きっと解読できないような文字列が並んでいる。それを見ると、改めて、自分には文章を書く才能など無いのだと思い知らされる。


 だけど才能が無いなんて当たり前のことだ。

 才能とはスタートラインに立つまでの過程と結果。スタートラインに立ってからゴールまで走っていくのは、自分の意思だ。すなわち努力次第という事。才能が無いことは「スタートラインに立たない」、という理由にはなれど、「ゴールまで走らない」という理由にはならない。そして一度スタートラインに立った以上、僕は動き出した足を止めるわけにはいかなかった。


 才能なんてものは所詮、スタートラインの位置が変わるだけのこと。そこからゴールまで走っていくのに、努力は必ず必要なのだ。ゴールまで歩くか、それとも走るのか。

 それはその人次第で決まるということを、ようやくゴールに向かって走り出した僕は今更になってそれを理解できたのだった。


 ──有生は、努力していた。


 弟は……有生は、僕の何倍も努力していた。

 朝から晩まで、まだ未就学児だったと言うのに休憩もほとんど挟まず練習漬けの毎日だった。僕はそれを、両親に優遇されているのだと、贔屓されているのだと嫉妬心から皮相的な見方をしていたのだ。だけど違った。有生は、誰よりも努力していた。僕よりも、ずっと努力をしていたんだ。


 有生が何を考えて、何を理由に努力していたかは、今となっては知りようもない。けれど、弟が僕以上に努力していたという事実は、ずっと前から変わらずにそこにあったのだ。


 今までずっと、僕はその事実から目を背けてきた。

 尋常ならざる努力を重ねたから結果を出していたし、結果を出していたから両親からも見向きされていた。


 僕はあろうことかそれに嫉妬して、努力を投げ槍にしていたのだ。理由をつけて、諦めていたのだ。弟のことを、見ようとすらしないで。


 ──僕はてっきり有生の後ろにいるとばかり思っていたが、もしかしたら有生はずっと、兄である僕の背中を見ていたのかもしれない。


 だからあの日、あの時。有生は僕が自分の前から居なくなると思ったから付いて来ようとしたのかもしれない。兄の背中を追おうとして。


「…………僕は、とんだ大馬鹿野郎だ」

「歩夢?」


 僕を呼ぶ声がしてハッと顔を上げると、そこには心配そうな陽人君の顔が。


「授業終わったのに動こうとしなくて、心配になったんだ。大丈夫か?」


 授業終了のチャイムも号令すらも聞こえないくらい没頭していた僕は、しばらくボーっとした後で、慌てて机の上のものを片付ける。


「ごめんっ、陽人君! 先生に早退する、って伝えておいてくれる?」

「え? お、おいっ」


 鞄を担ぎ上げ、教室を飛び出す。作文を完成させるため、と言うよりは、これは僕が解決しなきゃいけない問題を思い出したと言うべきか。


「歩夢!」


 そんな僕の背に、呼び止める声が一つ。

 短い休み時間の間に廊下に溢れた生徒達からの注目が集まるが、僕は今、そんなことはどうだってよかった。


 振り向いた先で見えたのは、大きく手を振る陽人君の姿。


「終わったら全部、説明してもらうからな!」

「──うんっ!」


 深くは聞かない。陽人君のそんな気遣いがどこまでも嬉しくて。


 ──あんたは、決して一人なんかじゃない。


 そんな言葉の通り、僕は学校でも陽人君がいる心強い気持ちを思い出して、思わず満面の笑みを浮かべて去って行く。


「歩夢のあんな笑顔、初めて見た……」


 溢れんばかりの衝動に突き動かされるがまま、僕は階段を駆け下りていく。早退する人の元気っぷりではないな、と自分でも思いながら。


 僕はずっと、逃げて来た。

 人と、向き合う事から。


 でもようやく、向き合いたい人が出来た。

 向き合わなければならない人が出来た。


 その為には、先に、これまでのツケを払わなければならない。

 そう考えると億劫に思えるけれど、でも、今は不思議とそれが嫌じゃない。


 そうするべきだと強く実感しているからだ。


「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ──」


 走る、なんて柄じゃない。


 でもたまには、柄じゃないこともすべきだろう。


 それに、こうやって走っていると、さっき書き殴れなかった言葉も浮かんでくる。走りながらメモをしたいくらいだ。


 そう、例えば、


 書き始めは──。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。