15話
◇
放課後。僕は陽人君から注がれる視線から逃げるようにして教室を飛び出す。同じように教室から退避してきた揚羽さんと合流して僕らはいつもとは反対方向に進む電車に揺られていた。
「それで、何処に行くか聞いてもいい?」
「……おばあちゃんのとこ」
電車に乗ってしまえば引き返すことが出来ないと分かっていながらここまでわざと沈黙を貫いていた揚羽さんは、吊り革にぶら下がる僕を見上げて気まずそうに言った。
こうして引き返せないところまで引っ張って、喫緊の用事であるからと聞いて身構えていた僕からすれば、もっとこう、裏社会に繋がりのある人物に会いに行く、とか、刑務所の面会に行く、とか。そう言った重たい事情が差し迫っているのではないかと想定し身構えていた分、揚羽さんのおばあさんに会いに行くだけと聞いて、正直肩透かしを食らった気分である。
しかし、揚羽さんの緊急の用事が「おばあさんに会う」、と言うことに疑問を持たざるを得ない。失礼な話、彼女がそんなおばあちゃんっ子であるようには思えないからだ。柄にもない、というのが正直な感想であった。
「……柄にもない、とか思ってるでしょ」
「なんで分かったの? ひょっとして、エスパー?」
「そういう顔をしてたから。……別に、あたしだって行きたくて行くわけじゃないし」
「それじゃあどうして?」
「それは──」
目的の駅に辿り着くまでの間、揚羽さんは事情について教えてくれた。
曰く、揚羽さんは家族にお祖母さんの世話を半ば押し付けられた形であるらしい。おばあさんは今年で齢九十五になる老賢者であるそうで、日本の産業黎明期、いわゆる高度経済成長期にアゲハグループホールディングスをゼロから立ち上げた辣腕の持ち主なのだとか。揚羽さんが生まれるより前に息子さん、即ち彼女の父親に会社を譲って以降会長職として君臨していたのだが、数年前にそれも引退。同時に老人ホームに入居することになったのだが、その際に揚羽さんの両親は揚羽さんに祖母の面倒を全て託したのだと言う。託した、と言うには余りにもお粗末な程に礼を失した、押し付けである。揚羽さんが気付いた頃には、最早彼女一人ではどうすることもできない状態にまで事が進んでいたのだと言う。抗議はしたのかと聞けば、その頃にはもう揚羽さんと家族の仲は冷え込んでいたらしく、秘書を通しての抗議を続けていたものの、親の返答は二人とも「忙しい」の一辺倒だったらしい。
「別に、おばあちゃんの面倒を見るのは構わないの。でも、勝手に全部決められたのが、何よりも腹が立つ。あたしの人生なんてどうだっていいって見下されてるのがハッキリ分かるのが、癪なの」
「それは、確かに嫌かもね」
同意する言葉を口にするが、祖父母との記憶も繋がりも希薄な僕には、彼女の思いの全てを理解することは不可能である。
「本来なら滅多に連絡なんて来ないって話だったの。だから受け入れつつあったんだけど、おばあちゃんは仕事人間だったせいか、仕事から離れた途端に老化が進んじゃって。もうあたしのことだってほとんど覚えてないくせに、何かにつけては呼び出そうとするの。身内が来ないと話にならないとか言ってさ。あたしだって家族ぐるみで施設に迷惑を掛けたいわけじゃないから行かなくちゃいけなくて……本当に、めんどくさい」
「それで、僕を連れて行く意味は?」
「…………今の話聞いて、それ言う? あんた、それ、ノンデリって言うんだからね」
「そ、そういう意味じゃなくて。単純に、僕が指名された理由が分からないってだけで」
「ふーん、あっそ。そう言う事にしてあげる」
疑り深い彼女は、言葉とは裏腹に決して信じてはくれていないのだろう。
だからと言って「それなら一人で行けばいいのでは」、という本音を見透かされた僕がこれ以上言葉を重ねても余計に不信感が募るだけだ。一度疑心を持った彼女の視線は僕が目線を反らしても緩まる気配はなく、僕は目的の駅に着くまで痛いくらいの猜疑に満ちた目で見つめられるのだった。
「──要するに、あたしの父親も母親も、おばあちゃんを疎んでるの。おばあちゃんのお下がりで会社を手に入れた男と、若い頃の美貌だけでちやほやされただけの女ってつまり、どちらも自尊心の塊みたいな人なの。二人とも、介護なんて自分達のような人間がやることじゃないって本気で思ってる。職業差別も甚だしいでしょ? ……あたしがあんな人たちの子供っていう事実でさえ、耐えられないくらい気持ち悪いって言うのに、これ以上人間としての格を落とされたらあたしにまでその評判が届くっつうの」
「それは……」
「それに──」
電車を降り、最寄りの駅を離れた途端、揚羽さんの悪態はエスカレートしていく。
僕は終始彼女の愚痴に耳を傾けている間に、数回の乗り換えを経て、電車は目的の駅に辿り着くのであった。
「──それで、あんたを連れて行く理由、だったわね」
一頻り毒を吐いたお陰か、すっきりした様子で振り向いて言う。
「おばあちゃん、若い男が好きなんだよね」
「……は?」
しかし、僕には告げられた言葉の意味は全く以て理解不能。
分からないまま、僕は間抜け面を晒して駅からタクシーに乗り込む彼女に付いて回るのであった。
「──着いたよ。ここ」
「お、うおぉ……」
揚羽さんに連れられてやって来た場所は、都心から電車で一時間半。リゾート地の片隅にひっそりと、どころかデカデカと建つ、見上げるほど大きいホテルかと見紛うほどの建物だった。
世間一般で言う老人ホームや、病院のような施設を想像していた手前、その想像をはるかに凌駕する高級感溢れる雰囲気に僕は圧倒されるばかり。
そんな僕を見て、揚羽さんは不思議そうに眉を寄せた。
「口、半開きじゃん。そんなに驚くこと?」
「ここ……本当に老人ホームですか?」
「なんで敬語なの。初めからそうしてなさいよ。……そうなんじゃない? あたしはここしか知らないし」
「いや、普通の老人ホームはワンフロア丸ごとロビー、なんてことないよ」
僕が呆然としている間に受付を済ませた揚羽さんに、天井のシャンデリアを指差して驚きと興奮のままに解説するが、彼女は「ふーん」とだけ言って一切興味の無い様子でエレベーターを待っていた。
僕も世間一般からすれば裕福なのかと思っていたが、大企業の社長令嬢と比べると所詮は一般庶民であることを今更になって思い知る。文字通り、住む世界がまるで違うのだろう。
大した音も揺れも無く、シームレスに動くエレベーターに乗って移動した先は二十一階。老人ホームで二十一階なんて、聞いたことが無い。
「こっち」
そう言って先導する揚羽さんの後ろを、ついていく。
長い廊下だ。もしもここで一人置き去りにされたりでもしたら、無事に帰ることすら危ういかもしれない。そう思えるくらい、ワンフロアが異常なまでに広い。情けなく、いつもよりぴったりと彼女の後ろに付いて歩いていると、静寂が耳に痛いくらいだったにもかかわらず、歩を進めるごとに賑やかな喧騒が聞こえてくる。その音が歩みを進めるほど大きくなっていっているのに反して揚羽さんの歩幅は小さくなっていく。
彼女の心情を表わしているかのような歩幅を気に掛けて揚羽さんを覗き込もうとしたところでようやく、彼女の歩みが止まった。
「──ロン! 倍満だね。ハハハ! またあたしの勝ちだ!」
「また負けたぁああ!」
「八重ちゃ~ん、強すぎるってぇ」
「もう一戦!」
足が止まったのは、娯楽室の前。
喧騒をかき鳴らしている音の出所であり、揚羽さんは無言でその中に足を踏み入れ、数ある雀卓のうちの一つ、最も盛り上がりを見せている雀卓に脇目も振らずに歩いていく。そうして近付いてくる揚羽さんに向こうも気が付いたようで、視線が向けられた。
「おばあちゃん」
「……みんな、今日はここまでだ。勝ち逃げで悪いね。また明日、挑んできな。山崎ぃ! 茶ァ、用意しな!」
「かしこまりました」
「ほら、小僧。手ぇ貸しな」
「え、あ、はい」
揚羽さんの声で目の前の老女が彼女の祖母であることを知って、僕は気が付けば杖代わりにされていた。
煙草を吸って卓を囲んでいた姿は、聞きしに勝る豪快さ。彼女が口にしたような老いぼれの姿などどこにもなくて、生き生きとしていた。
しかし、話に聞いていたような老化の進行した老人と言う話が嘘のように思えたのも束の間、僕の腕に掴まって反対の手で杖を突いて歩く姿を見ると、年相応なのかとも思える。そのギャップが、僕には老女がたった今老いたように目に映り、言いようのない不安に駆られるのだった。
「それにしても、翔子。前に見た時よりも印象が変わったね」
「……それはお姉ちゃん。お姉ちゃんは面会に来たことすらないでしょ。あたしはお姉ちゃんじゃない。あたしは美命。出来の悪い方」
「あぁ、妹の方だったのかい。これはまた、随分と綺麗になったもんだ。こりゃあ、気付けないな。なあ、山崎?」
「ええ、そうですね。お綺麗になられた」
「……チッ」
娯楽室の賑わいの中、俄かに剣呑な雰囲気を放つテーブルはとにかく居心地が悪い。中でも、感情の行き場に困っている様子の揚羽さんがばつの悪い顔をしながら苛立っているのが分かる。それを宥めようにも、彼女の身内で固められたテーブルで不用意な発言は出来なかった。こんな場所でも慎重を期す臆病な僕は、救いを求めるように揚羽さんへと視線を向けるのだが、彼女はそれに気付くことなく、おばあさんに鋭い眼光を向けていた。
「……そういうのはどうでもいいから。なんで呼び出したの」
「先に、例の物を出しな。持っているんだろ?」
「山崎さんに買ってきてもらえばいいじゃん」
「こいつは融通が利かんから駄目だ。あたしがいくら頼み込んだって、医者から止められているから、の一点張りだ」
「八重子さんの為を思ってのことなんですから」
「医者の手先め! 見てみな。この、善良な振りをしている顔が何よりも癇に障る。差し入れならお前が黙っていれば済む話だ。ほら、そっぽ向いて見ない振りしてな!」
「お医者様にまた怒られても知りませんからね」
「カカッ! あたしの方から死神を呼び寄せてやってんだ。むしろ医者からは感謝されるだろうよ。我儘な患者が減って助かるってね!」
立てば枯れ枝、座れば暴君。豪快な話しぶりはやはり健康体そのものにしか見えない。
早く寄越せ、と手で催促するお祖母さんに対して溜め息を吐く揚羽さん。
完全に蚊帳の外である僕には例の物、と言うのが何か分からず一抹の不安が胸を過る。
そんな中で揚羽さんが机の上に取り出したのは、コンビニの袋だった。
「おお! これよ、これ」
「揚羽さん……、これって」
「ああ、ごめん。あんたのこと忘れてた」
「ひどい……」
自分で呼び出しておいてこの仕打ちはなんと言うか、非道い話だ。
揚羽さんが机に取り出した例の物、と言うのは、コンビニのホットスナック群だった。
高級感あふれるホテルラウンジの如き娯楽室の雰囲気にはミスマッチのポリ袋と紙包み。しかし当人たっての希望だったらしく、おばあさんは若さを取り戻したかのごとく例の物、の物色を始めていた。
「はぁ……。紹介するけど、覚えなくていいから。これが、あたしのおばあちゃん。揚羽八重子。で、おばあちゃん。彼は、一色歩夢」
「この子とは、どんな関係だい?」
「……友達?」
「ま、そんなところ」
「ほう、珍しいね。美命が彼氏以外を連れて来るなんて、今までに無かっただろ?」
「覚えてるの? さっきまであたしの顔すら忘れてたくせに?」
「……忘れてるから聞いてんだろう。ほら、さっさと答えな」
「あるし。……一回くらい」
ホットスナックを摘まみながら、カッカ、と笑う八重子さん。目の前に広げられたホットスナックの量は男子高校生でも躊躇するほどだが、九十五歳にもなる八重子さんは躊躇うことなく大量の油に向けて次から次へと手を伸ばしていく。なるほど、揚羽さんが健啖家なのは、おばあちゃん譲りなのか。
「そんなことより。いい加減、変なことで呼び出すのはやめて。いい迷惑なの」
「変なこと? はて、何かあったかい?」
「大怪我したから見舞いに来い、だなんて、冗談でも言っていいことと悪いことがあるでしょ。案の定、ピンピンしてるし……」
「一か月に一度でいいから顔を見せに来いと言っているのに来ないのはどこのどいつだい?」
「……あたしとお姉ちゃんの区別も出来なくなってるくせに」
横で会話を盗み聞いている限りだと、揚羽さんの破天荒さもまた、お祖母さん譲りのような気がしてならない。
「でも、話があるのは本当だよ。ま、それはあたしじゃなくて、山崎の方だけどね」
ポテトを口に放り込みながら言ったおばあさんに釣られて視線を横に向けると、山崎、と呼ばれる担当の介護士がぺこりと会釈する。その立ち居振る舞いは背筋に鉄の棒でも入っているかのようで、介護士と言うよりホテルマン、コンシェルジュと言った方が正しいような気がする。
揚羽さんは溜め息を一つ零してテーブルから立つのを見て僕も、と腰を挙げようとしたところでおばあさんに「あんたはここにいな」と、いくつ修羅場を乗り越えれば宿せるのかと思えるほどの眼光で睨まれ、仕方なく腰を下ろす。
揚羽さんは、僕のことを振り返りもせずに重い足取りで向かって行ってしまうのだった。
「…………さて、と」
「え?」
「下らない演技は無しにして、あたしらはあたしらで実りある話をしようじゃないか」
揚羽さんの姿が見えなくなるや否や途端に雰囲気が変わったおばあさん。
背もたれにもたれて悪戯が成功した子供みたいに悪辣な笑みを浮かべるおばあさんに対して、僕は困惑に満ちた表情で固まることで精一杯だった。




