小室泰六(SHERLOCK) - 消えた巡査、三通の自首書
消えた巡査、三通の自首書
一 雨の朝に届いた三通
明治二十九年、六月。
神田の町には、梅雨の雨が三日間降り続いていた。
東京の雨は、舗装されていない道をたちまち泥濘に変える。軒先から落ちる雫は絶え間なく、荷車の車輪は泥を跳ね上げ、往来する人々は誰もが少しずつ不機嫌な顔をしていた。
その朝、私、和田進一が小室泰六の住まいを訪ねると、彼は朝食にも手をつけず、机の上に三枚の便箋を並べていた。
「進一君。人間というものは、ずいぶん奇妙な生き物だな」
挨拶より先に、泰六は言った。
「朝から何です。人間が奇妙なのは、今に始まったことではないでしょう」
「自分の犯していない罪を、自分が犯したと告白することがある」
私は濡れた傘を戸口に立てかけた。
「冗談ですか」
「残念ながら、警察から持ち込まれた相談だ」
泰六は一枚目の便箋を私に渡した。
そこには、震えた文字で、こう記されていた。
――神田警察署巡査、村瀬徳三を殺したのは私です。あの夜、万世橋の近くで、私は巡査を突き倒しました。彼は石段に頭を打ちつけ、そのまま動かなくなりました。私は恐ろしくなり、逃げました。どうか、私を捕らえてください。
差出人は、古道具屋の主人、杉本源蔵。
二枚目。
――村瀬巡査を殺したのは私です。巡査は私の弟を捕らえようとしました。私は後ろから棒で殴りました。巡査は倒れ、息をしていないように見えました。私は弟を連れて逃げました。
差出人は、車夫の田島熊吉。
三枚目。
――村瀬さんを死なせたのは私です。私はあの夜、巡査に毒を盛りました。巡査は苦しみながら、私の名を呼びました。私は助けを呼ばず、その場を離れました。どのような処罰も受ける覚悟です。
差出人は、料理屋「松葉」の女中、おきぬ。
私は三通を読み終え、顔を上げた。
「同じ巡査を、三人がそれぞれ殺したと告白しているのですか」
「そういうことになる」
「では、巡査は三度殺されたのでしょうか」
「君は朝から冗談が上手だな」
泰六は笑わなかった。
村瀬徳三巡査は、三日前の夜から行方不明になっていた。
最後に目撃されたのは、万世橋付近。勤務を終え、署へ戻る途中だったという。
制服の帽子だけが翌朝、橋の下で発見された。血痕はなかった。川も捜索されたが、遺体は見つかっていない。
警察は、何者かに襲われた可能性を考えていた。
そこへ、三通の自首書が届いたのである。
「一人は突き倒したと言い、一人は棒で殴ったと言い、もう一人は毒を盛ったと言う。三人の証言が一致しているのは、村瀬巡査が死んだという点だけです」
私が言うと、泰六は首を傾けた。
「いや、進一君。三人は巡査が死んだことを、証明してはいない」
「しかし、全員が殺したと書いています」
「自分が殺したと信じていることと、相手が死んだことを確認していることは、別の問題だ」
泰六は三枚の便箋を揃えた。
「まず、巡査を探そう。死体もなければ、死亡を確認した者もいない。殺人事件と決めるには、まだ早い」
二 古道具屋の主人
杉本源蔵の店は、神田明神下の路地にあった。
古い時計、欠けた茶碗、片方だけの銀の箸、どこの家から流れてきたのかもわからぬ品々が、狭い店先に所狭しと並べられている。
源蔵は五十を過ぎた、痩せた男だった。私たちを見るなり、青ざめた顔で頭を下げた。
「警察の方ですか」
「警察ではない。小室泰六と申します。こちらは和田進一君。少し話を聞きたい」
泰六が名乗ると、源蔵は何度も頷いた。
「私が悪うございました。逃げずに自首すればよかったのです」
「村瀬巡査を突き倒したというのは、いつのことですか」
私が尋ねると、源蔵は三日前の夜、八時頃だったと答えた。
「万世橋の石段で、巡査と口論になりました。私は、盗品を買った疑いをかけられていたのです。腹が立ち、胸を押しました。巡査は足を滑らせて倒れました」
「その後は」
「頭を打ったようでした。呼びかけても返事がない。私は、殺してしまったと思いました」
「脈は確かめましたか」
「いいえ。怖くなって逃げました」
泰六は源蔵の顔をじっと見つめた。
「あなたは巡査が死んだところを見たのではない。倒れ、動かなくなったところを見たのだな」
「……はい」
「その違いを、三日間考えなかったのか」
源蔵は俯いた。
「考えました。何度も。ですが、もし生きていたなら、なぜ帰ってこないのか。もし死んでいたなら、私は人殺しです。どちらにしても、私はもう……」
声が途切れた。
私は、源蔵が震えていることに気づいた。恐怖だけではない。三日間、眠れなかった人間の疲労が、その顔に刻まれていた。
店を出ると、泰六が言った。
「彼の話には嘘があると思うかね」
「少なくとも、巡査が死んだという部分は、彼の推測です」
「よろしい。では、彼が嘘をついていない可能性も残る」
「源蔵が本当に押し倒したのなら、罪がないわけではありません」
「そのとおりだ。だからこそ、事実と評価を混ぜてはいけない。彼が何をしたか。それによって何が起きたか。彼が何を信じたか。この三つは分けて考える必要がある」
泰六は雨の向こうを見た。
「人間は、恐怖によって、推測を記憶に変えてしまうことがある」
三 車夫の告白
田島熊吉は、須田町の荷車置き場で働いていた。
熊吉の弟は、以前から窃盗の疑いをかけられていた。三日前の夜、村瀬巡査が弟を追っていたことは、近所の者も知っていた。
熊吉は、私たちの姿を見ると、すぐに言った。
「私がやりました。弟を守るためでした。弟には、何の罪もないのです」
「では、なぜ棒で巡査を殴ったのですか」
「弟を捕まえようとしたからです」
「巡査が弟を捕らえようとすることと、弟に罪がないことは、別の話でしょう」
私の言葉に、熊吉は唇を噛んだ。
泰六が尋ねた。
「棒で殴ったのは、どこだね」
「橋の近くです」
「巡査は倒れたか」
「はい」
「意識は」
「わかりません」
「その後、君はどうした」
「弟を連れて逃げました」
泰六は手帳を取り出した。
「杉本源蔵は、八時頃に巡査を石段で突き倒したと言っている。君はその後に棒で殴ったというのだね」
熊吉は顔を上げた。
「いえ。私が殴ったのは、八時半を過ぎてからです」
「では、源蔵の証言とは時間が合わない」
「私は知りません。私が殴ったのは本当です」
熊吉の声は、かえって強くなった。
そのとき、私は彼の右手に巻かれた布に気づいた。
「その手はどうしました」
熊吉は反射的に手を隠した。
「仕事で怪我をしたのです」
「三日前に?」
「……はい」
泰六は何も言わなかった。しかし、帰り道で、私に尋ねた。
「進一君。君は彼の手をどう見た」
「棒を振ったときに怪我をしたのかもしれません」
「それも可能性の一つだ。だが、彼はなぜ、手を隠したのだろう」
私は考えた。
「怪我を見られたくなかったからでしょう」
「なぜ見られたくなかったのか。そこに、彼の告白を理解する鍵があるかもしれない」
その日の夕方、私たちは熊吉の弟を訪ねた。
弟は兄とは違い、まだ二十歳にもならぬ若者だった。
彼は、三日前の夜、兄が巡査を殴ったことを認めた。
しかし、続けて言った。
「兄は、私を助けるために殴ったのではありません」
私は驚いた。
「どういうことだね」
「私はもう、巡査に捕まっていたのです。兄は私を逃がそうとして、巡査の背後から棒を振り下ろしました。けれど、巡査は倒れたあと、まだ動いていました。私は兄を止めようとしましたが、兄は私を連れて逃げたのです」
「巡査は生きていたのだな」
「少なくとも、私が見たときは」
弟は言葉を切った。
「兄は、私を守ったつもりでいるのでしょう。でも、本当は違います。兄は、私が捕まるのが怖かったのです。私のためと言えば、自分のしたことを少しは許せると思っているのかもしれません」
その言葉を聞いて、私はすぐには返事ができなかった。
熊吉の告白は、完全な嘘ではない。
しかし、彼が自分に語っている物語と、実際に起きたことの間には、少しずつずれが
四 女中のおきぬ
料理屋「松葉」は、神田の表通りから一本入った場所にあった。
おきぬは二十代半ばの女性で、私たちを奥の座敷に通すと、静かに頭を下げた。
「お手紙に書いたことは、すべて本当です」
泰六は、すぐに問い返した。
「毒を盛ったというのは、どのような毒かね」
「薬種屋から手に入れたものです」
「何という薬種屋だ」
おきぬは店の名を答えた。
「村瀬巡査は、何を飲んだのかね」
「薬湯です。私が差し出しました」
「彼は、それを飲んだあと、苦しんだのか」
「はい。胸を押さえ、倒れました」
「君は医者を呼んだか」
おきぬは首を横に振った。
「呼びませんでした」
「なぜだ」
「巡査は、私の兄を探していました。兄は以前、店の金を盗んだ疑いをかけられたのです。私は、兄が捕まるのが怖かった」
「それで、巡査を殺そうとしたのか」
おきぬは顔を覆った。
「はい」
私は彼女の手元を見た。
薬湯を運ぶ盆の縁には、古い染みが残っていた。だが、それが毒によるものかどうか、私には判断できなかった。
泰六は薬種屋を訪ねることにした。
店主は、三日前におきぬが薬を買いに来たことを覚えていた。しかし、彼女が買ったのは、胃の痛みを和らげるための生薬だった。
毒ではない。
「これは、どういうことだろう」
私が言うと、泰六は薬包紙を見つめた。
「彼女は、毒を盛ったと思っている。しかし、実際に買ったものは毒ではない」
「では、巡査が苦しんだのは……」
「別の理由かもしれない。あるいは、彼女が見た苦しみそのものが、別の出来事と混同されているのかもしれない」
私は、おきぬの話を思い返した。
彼女は、巡査が薬湯を飲み、苦しみ、倒れたと言った。
しかし、薬種屋の記録は、それを裏づけない。
彼女が嘘をついているのか。
それとも、何かを見誤っているのか。
「泰六さん。三人とも、何かを隠しているのではありませんか」
「そうだろうな」
「それなら、三人とも犯人なのでは?」
泰六は、私を見た。
「進一君。人間が何かを隠す理由は、罪を犯したからだけではない。恥、恐怖、誰かを守りたい気持ち。あるいは、自分が信じていたことを失いたくないからだ」
彼は帽子を手に取った。
「三人が何をしたかだけでなく、何を恐れているのかを調べよう」
五 巡査の手帳
翌朝、神田警察署から知らせがあった。
村瀬巡査の手帳が、署の裏手にある物置から見つかったという。
手帳には、三日前の行動が記されていた。
午後七時、須田町で窃盗の疑いのある若者を発見。
午後七時半、若者を確保。
午後八時、万世橋付近で古道具商の杉本源蔵に事情聴取。
午後八時二十分、若者を署へ連行する途中、何者かに襲撃される。
その先は、紙が破れていた。
私は手帳を閉じた。
「源蔵と熊吉の証言は、どちらも一部は正しいようです」
「そうだな」
泰六は、手帳の最後の頁を指でなぞった。
「しかし、ここに記された時刻は、誰が確認したのだろう」
「巡査本人でしょう」
「本人が時計を見たのか。それとも、町の時計や鐘を聞いて記したのか」
私は黙った。
泰六は続けた。
「人間は、時刻を正確に記録しているつもりでも、実際には出来事の順番を記録しているだけのことがある。『先にこれがあり、その後にあれがあった』。それを後から時計の数字に置き換えるのだ」
手帳には、巡査が襲われたと記されていた。
だが、襲ったのが誰かは書かれていない。
「村瀬巡査は、襲撃のあとに姿を消した。帽子は橋の下で見つかった。しかし、手帳は署の物置にあった」
私は顔を上げた。
「誰かが、手帳を運んだのでしょうか」
「その可能性が高い」
「では、三人のほかに、もう一人いる?」
泰六は、静かに頷いた。
六 雨宿りの小屋
村瀬巡査が最後に目撃された場所から、少し離れた河岸に、小さな道具小屋があった。
そこは荷揚げ人足たちが雨を避けるために使う場所で、普段は誰も気に留めない。
私たちは、近くで働く人足に話を聞いた。
すると、一人の男が、三日前の夜に怪我人を見たと証言した。
「制服を着た男でした。顔から血が出ていて、ひどく具合が悪そうでした。誰かに支えられて、小屋へ入っていきました」
「支えていたのは誰ですか」
私が尋ねると、男は首を振った。
「暗くて、顔まではわかりません。ただ、背の高い男でした。右手に布を巻いていたように思います」
私は、熊吉の手を思い出した。
しかし、すぐに決めつけることはできない。
「その巡査は、どうなりましたか」
「翌朝には、いなくなっていました」
泰六は小屋の中を調べた。
床には古い藁が敷かれ、壁際には空の水桶が置かれていた。隅には、使い古された布が一枚落ちている。
泰六は布を拾い上げた。
「血がついている」
私たちは、近くの医者を訪ねた。
医者は布についた血の状態を見て、数日前の傷から出たものだろうと答えた。さらに、村瀬巡査が過去に診察を受けたことがあると教えてくれた。
「彼は、以前から胸を患っていた。激しく走ったり、強い衝撃を受けたりすると、息が苦しくなることがあった」
私は、はっとした。
おきぬの話が思い浮かんだ。
巡査が薬湯を飲んだあと、胸を押さえて倒れた。
それは毒の作用ではなく、持病による発作だったのではないか。
そして熊吉が殴ったときも、巡査は倒れ、動かなくなった。
源蔵が突き倒したときも、同じことが起きたのかもしれない。
三人は、それぞれ別の時に、巡査が倒れる場面を見た。
そして、それぞれが、自分の行為によって巡査を殺したと思い込んだのだ。
「泰六さん。三人は、同じ夜の別々の場面を見ていたのですね」
「おそらくな」
「では、巡査を最後に助けたのは誰でしょう」
泰六は、血のついた布を見つめた。
「それを確かめるのが、最後の仕事だ」
七 四人目の証言
その日の午後、私たちは再び熊吉のもとを訪ねた。
熊吉は、私たちを見るなり立ち上がった。
「弟はどうなりました」
「弟さんは、巡査を襲ったのがあなたであることを話しました」
熊吉の顔から血の気が引いた。
「そうですか……」
「しかし、あなたが巡査を殺したという証拠はありません」
泰六の言葉に、熊吉は顔を上げた。
「どういう意味です」
「あなたは巡査を棒で殴った。これは事実だ。しかし、そのあと巡査は生きていた可能性が高い」
「私は……あのとき、動かなくなった巡査を見て……」
「死んだと思ったのだろう。だが、君は医者ではない。死亡を確認したわけでもない」
熊吉は、両手で顔を覆った。
「私は、弟を守りたかったのです」
「それは本当だろう。だが、弟を守りたい気持ちと、自分のしたことを正当化する気持ちは、同じではない」
泰六は、厳しい声で言った。
「君が巡査を殴ったことは、消えない。だが、君が殺人を犯したかどうかは、別に調べなければならない」
熊吉は長い間、黙っていた。
やがて、彼は小さな声で言った。
「巡査を小屋へ運んだのは、私です」
私は驚いた。
「あなたが?」
「殴ったあと、巡査は息をしていました。私は、弟を逃がすためにその場を離れました。けれど、しばらくして戻ったのです。巡査を置き去りにしたままでは、どうしても気になって……」
「それで、小屋へ運んだのか」
「はい。医者を呼ぶ勇気はありませんでした。私が殴ったと知られれば、捕まると思ったのです。だから、せめて雨に濡れない場所へ移しました」
「そのあと、巡査は?」
「意識を取り戻しました。私に向かって、署へ戻らなければならないと言いました。私は怖くなり、逃げました」
泰六は、静かに頷いた。
「では、巡査は生きていたのだな」
「はい」
「なぜ、それを自首書に書かなかった」
熊吉は答えられなかった。
自分が殴ったことだけを記せば、すべての責任を自分で背負える。
しかし、巡査が生きていたこと、助けようとしたこと、そして最後には逃げたことまで書けば、自分の行為を単純な物語にできなくなる。
熊吉は、自分が悪人であると決めることで、かえって自分の心を整理しようとしていたのかもしれない。
そのとき、泰六が言った。
「村瀬巡査は、今どこにいるのだろう」
熊吉は顔を上げた。
「知りません。小屋を出たあと、私は見ていません」
私たちは、再び河岸へ向かった。
そして、道具小屋から少し離れた船着き場で、荷を運ぶ人足たちに話を聞いた。
一人の老人が、三日前の夜、巡査らしい男が船頭に支えられて船に乗ったと証言した。
その船頭を探すと、彼は巡査が生きていることを知っていた。
村瀬は、襲撃で頭を打ち、意識が混濁していた。船頭は彼を医者へ運び、数日間、療養させていたという。
「なぜ警察に届けなかったのですか」
私が尋ねると、船頭は困った顔をした。
「巡査は、自分が何者かも、どこで怪我をしたかも、はっきり覚えていなかったのです。ようやく話せるようになったのが、今朝でした」
八 巡査の帰還
村瀬巡査は、神田警察署へ戻ってきた。
額には傷があり、顔色も悪かったが、命に別状はなかった。
彼は、三日前の夜の出来事を、断片的にしか覚えていなかった。
古道具屋の主人と話したこと。
橋の近くで若者を連行していたこと。
誰かに殴られたこと。
そして、雨の中で目を覚ましたこと。
「私を助けてくれた人の顔も、よく覚えていません」
村瀬は言った。
「ただ、私はあの夜、三人に会ったのだと思います。杉本さんには事情を聞き、田島さんには襲われ、おきぬさんの店では薬湯を飲んだ。けれど、順番が正しいかどうか、自信がありません」
泰六は、その話を注意深く聞いていた。
「あなたは三人を、全員覚えているのですね」
「はい。ただ、どの場面で何が起きたのかは、はっきりしません」
「それで十分です。記憶が曖昧なところを、無理に埋めようとなさらないでください」
私は、その言葉に感心した。
泰六は、証言の欠落を無理に補おうとはしなかった。わからないことを、わからないまま残していた。
三人の自首書は、どれも完全な真実ではなかった。
源蔵は、巡査を突き倒した。熊吉は、巡査を棒で殴った。おきぬは、巡査に薬湯を出し、彼が苦しむ姿を見た。
三人とも、自分の行為を隠してはいなかった。
しかし、三人とも、巡査が死んだと確かめたわけではなかった。
そして、三人とも、自分の行為が巡査の死を招いたと信じていた。
三通の自首書は、三人が犯した罪の記録であると同時に、三人が自分自身に下した判決でもあったのだ。
九 誰を裁くのか
数日後、私は泰六の書斎で、今回の事件について話していた。
「巡査が生きていて、本当によかったですね」
「そうだな」
「しかし、三人がしたことは、決して軽いものではありません。巡査を突き倒し、棒で殴り、助けを呼ばなかった。どれも、責任を問われるべき行為でしょう」
「そのとおりだ」
泰六は、珍しくすぐに同意した。
「彼らが苦しんでいるからといって、罪が消えるわけではない。だが、罪を問うためには、何をしたのかを正確に知らなければならない」
「自分を責めている人間の告白であっても、事実の代わりにはならない、ということですか」
「そうだ。自分を責めることは、真実を知ることと同じではない」
泰六は窓の外を見た。
雨は、ようやく上がっていた。
「進一君。三人のうち、誰が最も悪いと思うかね」
私は考えた。
源蔵は、巡査を突き倒して逃げた。
熊吉は、巡査を殴り、弟を連れて逃げた。だが、その後、巡査を雨宿りの小屋へ運んだ。
おきぬは、巡査に毒を盛ったと思い込み、助けを呼ばなかった。しかし、実際に買ったのは毒ではなかった。
誰が最も悪いか。
簡単には答えられなかった。
「わかりません」
私は正直に答えた。
「それぞれの行為を比べることはできるでしょう。でも、その人が何を知っていたのか、何を恐れていたのか、何をすることができたのか。それを知らずに、一人だけを選ぶことはできません」
泰六は、満足そうに頷いた。
「よろしい。君は、すぐに答えを出そうとしなかった」
「答えを出さないことが、正しいのですか」
「いや。答えを出すべきときもある。ただし、わからないことをわからないと認めるのは、答えを出すことから逃げるのとは違う」
彼は三通の自首書を机の引き出しにしまった。
「この事件で、私たちは巡査の行方を突き止めた。三人が何をしたかも、ある程度は明らかになった。だが、彼らの心の中にあるものを、すべて知ったわけではない」
私は頷いた。
人間は、自分がしたことを、いつも正確に理解しているわけではない。
まして、他人が何をしたのか、その人が何を考えていたのかを、すべて知ることなどできない。
それでも、私たちは互いに判断し、責任を問い、時には許し、時には許せずに生きていく。
その難しさを、私は初めて、事件の一部として考えた。
十 自首書の行方
事件が一応の決着を見たあと、私は泰六に尋ねた。
「三通の自首書は、どうするのですか」
「警察へ返す。証拠として必要だろう」
「三人は、殺人犯ではなかった」
「少なくとも、村瀬巡査を殺したという告白は、事実ではなかった」
泰六は、言葉を慎重に選んだ。
「しかし、彼らがしたことについては、別に調べる必要がある。私たちが決めることではない」
私は、彼の言葉を聞きながら、ふと思った。
もし村瀬巡査が見つからなかったら。
もし三人が自首書を書かなかったら。
もし、誰かが三人の告白をそのまま信じ、彼らを殺人犯と決めつけていたら。
その場合、何が起きていただろう。
真実は、ただそこにあるだけでは、人間を救わない。
誰かが調べ、問い直し、思い込みをほどかなければ、真実は見つからないままになる。
「泰六さん」
「何だね」
「今回の事件で、一番難しかったのは、犯人を探すことではなかったのかもしれません」
泰六は、私を見た。
「では、何だったのかね」
「自分が悪いと信じている人間の言葉を、どこまで信じてよいのか。その人の言葉を疑いながら、その人自身を疑いすぎないことです」
泰六は、しばらく黙っていた。
やがて、彼は小さく笑った。
「和田君。君は時々、私が見落とすものを見る」
「泰六さんも、私が見落とすものを見ているでしょう」
「それなら、我々はしばらく、よい相棒でいられそうだ」
窓の外では、雨上がりの神田の町が、少しずつ明るさを取り戻していた。
三人の自首書は、誰もが自分自身に下した判決だった。
だが、人が自分に下す判決と、事実に基づいて下される判決は、同じではない。
私はそのことを、忘れないようにしようと思った。




