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明治の世、SHERLOCK 東京神田で探偵はじめました『東京神田のシャーロック』  作者: 東曌


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『小室泰六(SHERLOCK) - crisis management』- Ⅱ 改訂版

白雪が激しく降り積もる、

本郷の地。


その路地の奥に佇む新興宗教の教団本部の密室に、

私と、

私の横に並び立つ和田進一は、

足を踏み入れた。

張り詰めた空気のなか、

部屋の奥の座布団には、

ロシア製の、雪豹の毛皮のコートを優雅に羽織った教祖、

神沼さえこが、

静かに佇んでいた。


彼女の周囲には、

殺気立った数人の信者たちが取り囲み、

机の上には若旦那が白山の蔵から持ち出してきたあの偽物の木彫りの円空仏が、

ぽつんと置かれていた。

進一の横顔を、

私は視線の端で見た。


彼の瞳の奥には、

私の思考回路へ追いつきたいという、意志が感じられた。


「小室さん、和田さん、

我が教団の聖なる円空仏を前にして、

一体何の御用でしょうか」


神沼さえこが、静かに微笑みかけてきた。


私は、手元から一本の巻きタバコを取り出すと、

それに火をつけた。

そして、

彼女の不気味なカリスマを前にしても、

正義の講釈や道徳の算法など、

一文字だって流すつもりはなかった。


「神沼殿、

いや、

その、神沼さえこという名前が、

ただの偽名(Alias)であることは、

すでにこちらの有能な老番頭の手によって調べられている。


君の正真正銘の本名。

それはね、

山田マサコというのさ」

私の言葉に、

彼女の微笑みが、

ふっと冷淡に凍りついた。

周囲の信者たちが、

衣服の裾を震わせ、

一斉に腰の刃物へと手をかけようとする。

しかし、

私は紫煙を静かにくゆらせながら、

冷酷にこの交渉の場を支配した。


「刃物をしまいなさい。

私は、警察ではないし、

君たちの詐欺罪を告発しにきた正義の味方でもない。


事態がどうあれ、

これはあの白山の家が抱えた、

切実な破滅への危機管理(クライシス・マネージメント)の問題さ。


私は、

一族の家名と資産を守るための、

冷徹な相談役(コンサルタント)としてここにいる」


「危機管理、ですか」

偽名(Alias)を剥がされた教祖、

山田マサコが、

雪豹のコートに身を包んだまま、

瞳の奥の理知を鋭く走らせた。


「作用。

君たちが仕組んだ円空仏の共同投資というねずみ講は、

すでに内部から破綻している。


全財産を失って首が回らなくなった信者のひとりが、

その死角を突いて、

昨日白山の主を蔵の密室で襲い、

軽傷を負わせた。


このまま主が、死に物狂いで警察を動かせば、

君たちの教団の破滅だけでなく、

維新の闇のなかで新政府の役人が君たちの投資詐欺と結託していた、

あの国家への背任行為の裏帳簿までもが、

すべて露見することになる。

そうなれば、

山田マサコ殿、

君も、

新政府の黒幕も、

全員が破滅だろう」


部屋の中は、完全な静寂に包まれた。

「だからこそ、

ここで互いの損切りを提案しに来たのさ。


若旦那が君に貢ぐために持ち出した、

円空仏の名を騙ったその偽物の木彫りは、

私がここで静かに回収する。


その代わりに、

君たちの教団の破綻を示す本当の裏の帳簿は、

我が相棒の進一の手によって、

お上の目が届かない闇のなかへと完璧に処理してあげる。


お上としては、

身内に売国奴がいたという大醜聞を公式の記録に残すわけにはいかないのだから、

この危機管理のロジックに乗ることが、

君にとっても唯一の生存の道のはずさ」


教祖、山田マサコは、

自らの仕組んだ薄情な計算の最果てを、

私の冷徹なコンサルティングによって完全に完封され、

その提案を呑むしかなかった。

彼女は、

静かに裏の帳簿を進一の前へと差し出してきた。


「ええ、

わかりましたよ、

小室さん。

この破滅のデータを、

僕のまっとうな良識だけで、

完璧に処理してみせます」


進一は、

その帳簿を受け取ると、

自らの外套をはおり、

私の横へと静かに並んだ。

女の罠に騙されていた若旦那の肩を、

進一は静かに叩き、

「お父上の待つ白山へ戻りましょう」と、

良識だけで静かに説得して、

私たちはその密室を後にした。

大衆から騙し取った、

あの巨額の金。


それはね、

白山のあの地下金庫に眠ってなどはいなかったのさ。

白山の主が、

さらに巨万の富を得ようとして、

狂ったようにあずき相場へと総てを注ぎ込み、

大幅な赤字を出していた。


あずき相場とはね、

現物のない小豆を将来の価格で売り買いする、

この時代で最も荒れる先物取引の場であり、

一度歯車が狂えば、


大豪商の全財産すら一瞬で吸い尽くす底なしの泥沼さ。


主はその冷徹な相場の波にのまれ、

大幅な赤字を出して、

すでに跡形もなく総てを溶かし尽くしていたのさ。


金庫の奥底に残されていたのは、

キャッシュなどではなく、

あずき相場で破滅した、

巨額の赤字の山を示す、

ただの冷たい裏の帳簿(損切りのデータ)だけだった。


一族の破滅を未然に防ぎ、

家名を守り抜くという、

これ以上ないほど冷徹で完璧な危機管理(コンサルタント)業務。


私たちは、

神田の事務所に戻り、

冷え切った部屋のなかで、

再び鉄瓶の湯気を見つめていた。


小室さん。

僕の良識だけで、

隠した偽名(Alias)の嘘を解き明かせるか、

試してみたくなりました。


和田進一という男の、仕事に対する、プロフェッショナルな一面が、完全に覚醒した。

明治二十六年の、十二月の或る朝。


本郷の教団密室から山田マサコの裏帳簿を回収した小室泰六と和田進一は、神田駿河台の、貸家へと帰還した。


白山の旧家の主があずき相場に没頭して巨額の赤字を出し資産を溶かしていた事実を前に、泰六は静かに煙草をくゆらせる。


覚醒した進一は、一族の破滅やスキャンダルを防ぐための冷徹な危機管理(クライシス・マネージメント)を自ら執行すると申し出る。


進一は、あずき相場の大赤字の帳簿を、山田マサコの投資詐欺の被害によるものへと書き換え、

主を襲った犯人を暴漢として処理することで、家名を完全に守り抜くという完璧な損切りの手続きを遂行する。


進一のプロフェッショナルとしての成長と、冷徹な手際を目の当たりにし、小室泰六は、満足気だった。


それは、和田進一が、小室の相棒として、歩み出す姿そのものだったからだ。


神田駿河台の重く低く垂れこめた、雪雲の隙間から、

輝く陽光が顔をだしていた。

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