小室泰六 (SHERLOCK) - シカゴ万博の殺人ホテル編 Ⅱ
太平洋をフルノットで横断する帝国郵船の遠洋定期客船の甲板は、吹き付ける冷たい塩風に白く煙っていた。
「小室くん。君と進一、二人が英国で会話を始めると、私はこの東洋の雑音を飛び越えた異国の地で、ただの異分子になったような気分になるよ」
仕立ての良い外套の襟を立て、司法省検事正・岩村潔が、まともな静けさを湛えた声で呟いた。
その手には、お上から下された「シカゴ万国博覧会・司法視察団」の公文書が厳重に握られている。
それは、帝国の威信をかけた国家公務の重みであった。
「岩村くん。国費による万博視察の私設随行員として、僕と進一を推薦してくれたことには感謝するよ。
アメリカの地で、君の心理誘導がどこまで通用するか、僕の論理思考システムにとっても良い観察結果になる」
小室の肉体に宿った、英国の知性シャーロックは、手元に広げたアメリカ大陸の地図に目を落とした。
横浜港を出港してから、太平洋の荒波に揺られること、およそ十四日間。
帝国郵船の一等客船から、サンフランシスコの港へと降り立った瞬間から、3人の旅路の算法はさらに超加速した。
彼らはすぐさま大陸横断鉄道の鉄路へと乗り換え、蒸気機関車の黒煙を吹き上げる様子を眺めながら、広大な新大陸を不眠不休で東へと駆け抜けたのだ。
さらにそこから、鉄路に揺られること、およそ五日間。
日本を出発してから計二十日間に及ぶ長い、長い旅路の果てに――。
ようやく、3人を乗せた鋼鉄の機関車は、ついに、目的地であるシカゴの「グランド・セントラル駅」の巨大なプラットホームへと、滑り込んだ。
「……ここが、世界最大の博覧会の街、シカゴか」
列車を降り、インクの染みがついた白紙のノートを大切そうに抱えた若き書生――和田進一が、神田にいた時と変わらない実直な瞳で、初めて踏みしめる新大陸の土を踏みしめた。
駅舎の外に飛び出した瞬間、彼らの視界をハッキングしたのは、神田の景色を過去のものにする、圧倒的な文明開化の「光」だった。
街のあちこちを縦横無尽に走る路面電車、そして万博会場の不夜城を稼働させるために張り巡らされた、眩い電気の配線図。
海の向こうで一体どんなおぞましい怪物が暗闇に潜んでいるのか、その時、3人はまだ誰も知るよしがなかった。
「岩村くん。長旅の休息をしている暇はなさそうだ」
小室は巻きタバコに火をつけ、笑った。
「進一、ノートを開くんだ。シカゴの地に足を踏み入れた瞬間から、僕たちの論理思考システムは、この新大陸に眠るすべての不条理を暴き始めることになる」
「公式の万博視察は明日からだ。
だが、この街の空気の底には、警察の目を盗んで蠢く、別の悪辣な犯罪の匂いがするな。面白い」
岩村潔が、メンタリストとしての冷たい微笑を浮かべた。
英語が話せる二人の知性と、言葉の壁を越えて人間の心理の隙を見透かす、一人の男。
3人は、光あふれるシカゴの喧騒に、多少の興奮をおぼえていた。




