小室泰六 (SHERLOCK) - シカゴ万博の殺人ホテル編 Ⅰ 改訂版
『シカゴ万博の殺人ホテル』編
【主要登場人物】
• 小室 泰六:ライヘンバッハの滝から明治に輪廻した英国最高の知性。
圧倒的な「論理思考システム(ロジック)」のみを武器に、実在の殺人迷宮をデバッグする。英語を完璧に操る。
• 岩村 潔(検事正):司法省の若きエリート。
お上から「シカゴ万国博覧会・司法視察団」の大任を拝命する。英語は話せないが、容疑者の瞳孔の散大や視線のノイズから嘘を見抜く、剥き出しの「メンタリスト」
• 和田 進一:神田駿河台の書生長屋から、岩村の公務の私設随行員(記録・翻訳係)として同行した実直な「書生」。
現地の書類や新聞の正確なデータ管理に徹する。
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H・H・ホームズ:シカゴ万博会場の南側で「万博ホテル」を経営する、実在のアメリカ最凶の殺人鬼。
極めて紳士的で人当たりの良い人間を演じている。
現地のシカゴ警察を酒やタバコで手懐けて懐柔している。
施工会社や大工を、次々とクビにして変えることで、ホテル内部の全貌を知る者は、彼以外にはいない。
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【本作をお読みいただくにあたり】
当時の新大陸アメリカの影で蠢いていた、厳然たる歴史の一次資料をご案内致します。
◾️マジェット家の「血脈の数理」
本作の宿敵であるH・H・ホームズ(本名:ヘンリー・ハワード・マジェット)の家系図は、当時の植民地開拓記録により、「1640年代のイギリス(イングランド)からの移民」まで完璧に遡ることができます。
一族はアメリカ合衆国という国家が誕生する遥か昔から、ニューハンプシャーの地で厳格なメソジストの家系として、250年、7代以上にわたって完璧に公的記録に刻まれ続けた「名家」でした。周囲からは完璧な見た目の誠実さで、信頼されていたその血脈の最果てに、近代社会のシステムの隙を突く怪物が誕生したのです。
◾️殺人ホテル建設の「悪辣な資金工面」
万博会場の南側にそびえ立つ、あの誰も内部構造を知らない巨大な「殺人ホテル」
その莫大な開業資金を工面するにあたり、ホームズは実実の財産などという綺麗な手続きは1ミリも使っていません。
彼は近代都市シカゴの金融・商業システムの死角をフルスロットルでハッキングし「100%他人の金」だけであの地獄の城を完成させました。
・夫を亡くしたホルトン未亡人の薬局へ薬剤師として入り込み、彼女の脳内システムを完璧にハッキングして店を乗っ取った最初の種銭。
・名前だけの「架空会社」を大量に設立し、地元の建築資材業者から最高級の煉瓦や鉄骨、暗殺用のガス配管にいたるまでをすべて手形で購入し、完成と同時に会社を計画倒産させて踏み倒した建築費。
・端正な容姿を武器に、地方の資産家令嬢たちと同時並行で結婚詐欺(二重結婚)を働き、彼女たちの実家からハッキングした数千ドルの持参金。
薬局の乗っ取り、手形詐欺、結婚詐欺――。
近代ビジネスのバグを徹底的に悪用して建てられた、100%詐欺の結晶である暗黒の殺人ホテル。
―1893年、電流戦争の光あふれるシカゴの喧騒へ、ようこそ。
明治二十六年の秋。
東京・神田駿河台の書生長屋は、どこか張り詰めた、静寂に包まれていた。
ドブ板の悪臭と人力車の轍が刻む東洋の雑音に囲まれながらも、無名の私立探偵・小室泰六の肉体に宿った英国最高の知性シャーロックは、ただ一人、机の上に広げた英字新聞の文字列を冷徹にプロファイリング(観察)していた。
彼の鋭い双眸が捉えていたのは、海の向こうの米国でフルスロットルで開催されている、歴史上最も巨大な祝祭――『シカゴ万国博覧会』の記事だった。
テスラとエジソンが電流戦争の最果てで激突し、会場のすべてが最新の「交流電流」による眩い電飾で白夜のようにハッキングされているという、近代科学の最高峰の光。
スマホの画面で他人のタイムラインを鵜呑みにして安心している現代人には、到底理解できない、世界がひっくり返るような地鳴りが、その紙面からは確かに響いていた。
「……面白いな。だが、光が強ければ強いほど、その足元に落ちる影もまた、どす黒く計算され尽くした算法を描くものだ」
泰六が巻きタバコの煙をふぅと燻らせた、まさにその瞬間だった。
部屋の扉が、静かに、しかし威厳を持ってノックされた。
「小室君、君のその冷徹な論理思考システム(ロジック)を、今度は世界規模の『霧の関門』を解き明かすために使ってみる気はないかい?」
現れたのは、仕立ての良い外套をまとった、司法省検事正・岩村潔だった。
その顔立ちにはいつも通りのまともな静けさがあったが、その瞳の奥には、容疑者の精神の防壁を言葉ひとつで内側から破壊し尽くす、メンタリストとしての冷たい光が脈打っている。
「岩村検事正殿、司法省の重鎮がわざわざ何のご用かな?」
「国家の公務だよ。――先ほど、政府より正式な命が下った。
私、岩村潔は『シカゴ万国博覧会・司法視察団』の全権として、新大陸アメリカへ渡ることになった」
岩村は懐から、菊の御紋が鮮やかに捺された公文書をデスクへと滑り込ませた。
「だが、知っての通り私は英語を解さない。新大陸の法制度や、万博会場の裏で蠢く異国の悪党どもの脳内を私の心理誘導で、正確に掌握するためには、完璧な通訳(知性)が必要だ。
……そこでだ小室君と、君と、君の身の回りの世話をしている実直な書生、和田進一の二人を、私の『私設随行員(通訳・記録係)』として国費で同行させたい」
「随行員、か。お上の懐で新大陸の最新技術を観察できるというのは、退屈しのぎには悪くない旅だね」
小室は不敵な笑みを浮かべ、上着の袖を少し捲り上げた。
「小室さん、岩村さん! 渡米の準備なら、いつでも100%完了しています!」
部屋の奥から、インクの染みがついた新しいノートを大切そうに抱えた若き書生――和田進一が、弾んだ声を上げて顔を出した。
小室の助手である一人の書生。しかし、彼の持つ実直なデータ管理能力と、現地の書類を正確に整理・翻訳する実務能力は、小室の論理を支えるために不可欠なピースだった。
「よし、進一。
そのノートに、これから僕たちが出会う新大陸のすべてを記録してもらう。
岩村くんが言葉の壁を越えて人間の瞳孔の散大や指先のノイズから嘘を見抜き、進一が助手としての正確さで現地のデータを記録する。
そして、僕がその全てのロジックを100%の理詰めでデバッグ(統括)するんだ」
3人は、国費による公式な万博視察という鉄壁の通行証を胸に、駿河台を後にした。
窓の外には、新時代を告げる清々しい秋の風が吹いている。
しかしこの時の3人は、アメリカ・シカゴで言葉巧みに観光客を誘う「最凶の客引き(H・H・ホームズ)」が待つ、あの殺人ホテルの気配すら感じていなかった……..




