『名探偵 小室泰六(SHERLOCK)とサイコメトラー岩村 潔(検事正)の第二の事件記録』旧家に消えた唐寅の軸 Ⅲ
「裁判所より発付された令状に基づき、臨検を行う!」
夜の帳が下りた神田の町。司法省の正式な【捜索押収令状】を掲げ、ダブルの三つ揃え(3ピース)の、極めて仕立ての良いスーツを着こなす岩村潔検事正を先頭に、私と進一、そして武装した警察の部隊が、悪徳美術商の薄暗い倉庫へと乗り込んだ。
埃っぽい倉庫の奥へ進むと、そこには新聞で『名探偵・小室泰六が発見した!』と大々的に報道させるために罠として配置されていた、あの『唐寅の掛け軸』が、歴代の鑑定人の箱書が記された本物の桐箱ごと、もっともらしく安置されていた。
「凄すぎる! 素晴らしい……!
岩村検事正の能力は、本当に本物だったんですね!」
背後で進一が、その純朴な熱情のままに声を震わせ、岩村のサイコメトリーを心の底から褒め称えた。
「あの七条家の座敷の柱に触れて『青い炎と薬品の匂いが視え、男の影が視える』とサイコメトリーされた通り、本当にこの倉庫に本物が隠されていました! 岩村さんの超能力は、やはり本物だったんだ……!」
「ハハハ! 進一、君のその美しい純真さには恐れ入るよ。私も、一瞬、彼のオカルトに騙されかけた」
私は、冷ややかに、しかし最高に愉しそうに岩村を見つめた。
「だが、もういい加減、その自称サイコメトラーの芝居はやめたらどうだい、岩村検事正殿」
進一がぎょっとして私を見る中、岩村は仕立ての良い襟元に手をやり、無表情のまま私を見つめ返した。
「……何のことかね、小室くん」
「君のメンタリズム(心理誘導)は見事だった。
君は最初から、超能力でこの倉庫を当てたんじゃない。君はロンドン留学の経験があるからこそ知っているはずの、占い師のテクニック――『コールドリーディング』と『ホットリーディング』を完璧に駆使したのさ」
私は一歩、岩村に歩み寄る。
「君が数日前、七条家の座敷で『青い炎が視える』と芝居を打った時、君の視線は柱ではなく、クミコ未亡人の色褪せた訪問着の袖に付着した『極小の焦げ跡』と、手指の『微かな震え』をミリ単位で観察していた。君は彼女の心理から、この屋敷に時限発火装置が仕掛けられていることを、私より一瞬早く、純粋な『理性』だけで心理分析していたのさ。
さらに君は事前に、この悪徳美術商が明治火災の重役と裏で接触していたという『ホットリーディング(事前情報)』を掴んでいた。
確実な物証がない段階で、強引に【捜索令状】を切るための正当な大義名分(理由)を作るために、さも超能力で予言したかのように演じてみせたんだ。君はオカルトじゃない。相手の心をハッキングする、大日本帝国初の『メンタリスト』だ!」
「な、何だって……!?」
進一が驚愕のあまり声を失う中、岩村潔は冷徹な仮面を崩し、最高に愉しそうに微笑んだ。
「ハハハ……! さすがは帝都一の天才探偵だな、私の心理誘導の算法まで見破るとはね」
「ま、待ってください、小室さん!」
進一がたまらず二人の間に割って入った。その顔は、完全に混乱に陥っている。
「岩村さんがメンタリストだというのは分かりました。
だけど……じゃあ、あの最初の『五円札事件』の時、どうして手紙の封筒に触れただけで、あの神田川沿いの川崎財閥の偽札工場を言い当てられたんですか!? あれだけは、絶対に超能力じゃなきゃ無理だ!」
「いいかい、進一。それこそが彼の最もあくどいメンタリズムさ」
私は進一を振り返り、その種明かしをニヤリと告げた。
「あの時、取調室にいた薩摩刑事の『肉体』を思い出すんだ。
刑事は岩村が入室した瞬間、直立不動になりながらも、その右足のつま先を『神田川の方角』へ向け、制服の袖口には警視庁にはない『石炭の煤』と『真鍮の微粒子』が微着していた。
刑事はここへ来る直前、すでにあの工場の存在を裏で掴みながら、財閥からの賄賂で隠蔽しようとしていたんだよ。岩村は取調室に入った数秒で、刑事の動揺と衣服の汚れからそれを看破した。
だが普通に追及しても、刑事は組織の壁を盾に白状しない。
だから、さも手紙から残留思念を読み取ったかのように『黒煙、鉄の音、金色の塵が視える』と芝居を打ったのさ。
刑事は自分の悪事を霊視されたと錯覚し、恐怖のあまり自ら工場の名前を白状した。……ねえ、検事正殿。すべては君の計算通りだ」
岩村は、ダブルのスーツのシワを静かに伸ばしながら、降参だと言わんばかりに両手を軽く挙げた。
「完璧な種明かしだよ、小室くん。ああ、その通りさ。だがもちろん、私のこの芝居は法を破る罪にはならない。国家の正義を執行するための、ほんの少しの『技術』だよ」
私は満足げに笑ってみせた。
「罪になるどころか、私は君に深い敬意を表しているよ、岩村検事正……
私のこの脳内論理システムを、これほど美しく完璧に騙してみせた男は、君が初めてだ。
この極東の地で、これほど優秀なメンタリストを相棒に持てたことを、私は誇りに思うよ」
己を騙せるほどの、底知れぬ知性に出会えた歓喜。
岩村潔もまた、その鋭い双眸に無上の愉悦をたぎらせ、私を見つめ返した。
オカルトの仮面を脱ぎ捨て、本当の意味で対等な「お互いの脳を認め合う最強の怪物の同盟」が、今この瞬間、暗闇の中で完全に結ばれたのだ。
「光栄極まりないよ、小室くん。さあ、私の仕掛けた『心理』を君の『論理』で100%の物証に変え、この悪徳美術商を完全につむとしようか」
「そこまでだ、西洋かぶれの探偵先生!」
その時、倉庫の闇の奥から、不気味な足音とともに、冷酷な声が響いた。
振り返れば、銃を手にした美術商の残党たちが、私たちの退路を完全に断ち、暗闇から幾人も這い出てきている。しかし私は、ニヤリと不敵に笑い、懐の塩酸の小瓶にそっと手をかけた。
「お上の令状執行を妨害した。……その銃を抜いた瞬間に、君たちはすでに全員『公務執行妨害罪』で有罪確定だよ」
明治の世、いつ何時、爆弾低気圧が生じても、不思議ではないご時世。
それは、和田進一にとって、眼前でおきた、小室泰六(SHERLOCK)の審美眼からの粛々と言い放たれた、岩村潔検事正の観察結果の報告であったのだった。




