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明治の世、SHERLOCK 東京神田で探偵はじめました『東京神田のシャーロック』  作者: 東曌


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『名探偵 小室泰六(SHERLOCK)とサイコメトラー岩村 潔(検事正)の最初の事件記録』 Ⅰ

◾️主要人物

小室(こむろ) 泰六(たいろく) / シャーロック・ホームズ

役職・現状:神田駿河台の貧乏私立探偵。

魂の正体:スイスのライヘンバッハの滝壺へ墜落し、時空のねじれを経て東京で目覚めた英国最高の知性(シャーロック)。



岩村(いわむら) 潔(きよし)

役職・出自:東京地方裁判所検事局・検事正。司法省の若き俊英にして、正義の執行官。


異能(サイコメトラー):物や場所に触れることで、そこに残された「人間の残留思念」や「魂の輪郭」を鮮烈なビジョンとして視ることができる大日本帝国初の公式能力者。

泰六との因縁:ロンドン留学時代に本物のシャーロックに命を救われた過去を持つ。



和田進一(わだ しんいち) / 役割:記録者(ワトソン役)

出自と現状:神田の法律学校に通う、貧乏な書生。小室泰六の洋館の二階(貸室)に同居し、身の回りの世話や探偵の助手を務める。



◾️事件の関係者

正吉(しょうきち)

立場:偽札使用の容疑で警視庁に連行された書生。進一の大学の友人の、そのまた郷里の知り合い。



刑事(警視庁の警部)

立場:警視庁に所属する、薩摩出身の荒くれ捜査官。

捜査方針:人情と暴力、そして拷問至上主義。「貧乏書生が菅原道真の五円札(現在の十数万円相当)なんて大金を持っているのが何よりの証拠だ」と決めつけ、正吉を政府転覆を狙う不平士族のテロ資金洗浄係として締め上げる。

国家の信用というものは、真鍮の板に彫られた一ミリに満たない溝の深さによって担保されている。


明治二十六年の秋。神田駿河台の冷たい空気は、つい先日まで街を騒がせていた、安値競争に狂った伽哩(カレー)の残り香をすっかり洗い流していた。


私の探偵事務所の古びた扉が、まるで悲鳴を上げるような勢いで押し開けられたのは、そんな日の午後だった。


「小室さん……! お願いです、どうか力を貸してください」


滑り込んできたのは、助手であり良き理解者でもある進一だった。

いつもならば、どれほど奇妙な怪事件を前にしても、冷静さを崩さない男である。

しかし今の彼は、外套のボタンを掛け違えたまま、息を荒くして困り果てた表情を浮かべていた。

その顔は焦燥に引きつり、額には薄っすらと汗さえ浮かんでいる。


私は日本橋の薬種問屋から買い集めたばかりの、硝酸の瓶を磨く手を止め、静かに彼を見つめた。


「落ち着きなさい、進一。君がそこまで狼狽するとは珍しい。ドブ板を踏み外して泥水でも被ったか、あるいは丸善に頼んでいた本が他人に買われてしまったかい?」


「そんな暢気な話ではないのです、小室さん!」


進一は私の机に両手を突き、身を乗り出した。

その声は、知り合いを救いたい一心で、懇願するように震えている。


「私の大学の友人の、そのまた郷里の知り合いに、正吉という書生がいるのです。いつか大英帝国の法律を学ぶのだと、夜を徹して机に向かうような実に根が実直な男なのですが……彼が先ほど、日本橋の丸善で、警視庁の者に連行されてしまったのです!」


「お上の警察にか。罪状は?」

「偽札使用の容疑です」


進一は声を潜め、悔しさに唇を噛み締めながら言った。


「彼は今日、郷里の親御さんから届いたばかりの『五円札』を握りしめて、丸善へ行ったのです。これから一生の相棒にするのだと、ずっと憧れていた英国製の万年筆と高級インクのセットを買いに……。

ところが、彼が意気揚々と差し出したその五円札の、手触りの不自然さに丸善の番頭が気づき、その場でお上の警察を呼ばれてしまったのです。正吉は言い開きの余地もなく引っ立てられました。

薩摩出身の荒くれ刑事たちは、彼を『政府の信用を揺るがす偽札製造団の片棒』だと完全に決めつけています。あんな大人しい男が、お上の苛烈な拷問に耐えられるはずがありません。このままでは、無実の罪で彼の前途は完全に閉ざされてしまう……。

私は友人から涙ながらに救いを求められ、もう、あなたを頼るほかないと、ここまで走ってきたのです」


「ほう、五円か」


私はようやく硝酸の瓶を置き、お気に入りのパイプに火をつけた。


五円。現在の価値に直せば十数万円に相当する、書生にとっては命の次に重い大金だ。お札の表面には学問の神様・菅原道真の顔が刷られている。


「しかし進一、合点がいかないな。いくら一人息子の学問のためとはいえ、地方のしがない老親が、そんな額を何の前触れもなくぽんと仕送りできるはずがない。お上の警察が『不平士族のテロ資金の洗浄係』だと色めき立つのも、その点においてのみは合理的だ」


「そこなのです、泰六さん。正吉が言うには、あの五円は普通の仕送りではなく、親御さんが彼の留学費用のためにと、先祖代々の田畑を売却して作った、まさに大金なのだそうです。

それがなぜ、丸善の店頭で偽札に変わっていたのか……正吉本人も、何が起きたのか分からず、ただ取調室で泣き崩れるばかりで……」


「なるほど、実家の財産の売却、か。物語の骨組みが、うっすらと見えてきたね」


私は紫煙の向こうで、冷ややかに、しかし確信を込めて笑ってみせた。


「安心するといい、進一。君のその困り顔をこれ以上見るのは、私の論理的思考の邪魔になる。その正吉という男は、ただの哀れな被害者だ。

今すぐ警視庁へ行って、お上の刑事たちの的外れな見立てを正してこよう」


進一は目を丸くし、すがるような視線のまま硬直した。

「えっ……? 泰六さん、あなたはまだ正吉の顔さえ見ていないのですよ? なぜ彼が犯人ではないと断言できるのですか? 気休めなら、今の私には酷すぎます」


「気休めなど、私の脳内システムには存在しないさ、進一。すべては純粋な論理の帰結だ。そもそも、お上の印刷局の目を欺くほどの精巧な真鍮凹版を自ら彫り、偽札を刷るような本物の職人が、わざわざ自分の足がつくだけの『丸善』に直接出向いて大札を使うような、間抜けな真似をすると思うかい?

偽札は使う側ではなく、本物の資産を奪い取って偽物とすり替えた『刷った側』にこそ、真の目的がある。そしてそのすり替えを確実に成立させるためには、黒幕側が『五円がいつ届くか』を事前に知るための『冷酷な事由』が不可欠なのだ」


私は立ち上がり、懐に小さな試験管と塩酸の小瓶を滑り込ませた。


「さらに言えば、君が先週連れてきた彼の友人は『正吉の指はいつも綺麗なインクブルーだ』と言っていたね。

小室の記憶力は、天賦の才であった。


何万枚もの紙幣を刷る悪党の爪の垢は、洗ったくらいでは落ちないドス黒い化学染料で染まるものさ。


彼の指が綺麗な青であることこそ、彼が白である最初の証拠だからさ…….

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