第9話 産地表示は飾りではありません
市場の検査官は、店員が走っていってから四半刻ほどで来た。
クレール・デュランと名乗った女は三十代後半で、黒髪を顎の下で切り揃え、灰色の上着へベルメール商業組合の銀章を留めている。右手には試料箱、左手には記録板を持ち、店の前へ集まった人々を見ると細い眉を寄せた。
「見世物ではありません。通路を空けてください」
よく通る声だった。
人垣が少し下がる。完全には離れなかったが、荷車一台が通れる幅はできた。
クレールは店主から仕入れ証明を受け取り、次にハーディの任命札を確認した。
「アルカン塔の巡回視察員が、素材表示へ異議を出したと聞きました」
「異議というより、確認です」
「表示と違うと思う根拠は?」
ハーディは箱から一本を取り出してもらい、赤茶色の表面を指した。
「染める前の繊維が灰白色です。撚りを戻すと三つに分かれる。火蜥蜴の腱はもっと細い繊維が束になり、切断面に赤い光沢が残ります」
「鑑定魔法ではなく、外見と手触りですか」
「匂いもあります。大禍の山の山蜥蜴は、乾燥させても石と獣脂に近い匂いが残ります。子供の頃、罠と弓具に使っていました」
店主が腕を組んだ。
「山蜥蜴の腱を全部覚えているのか」
「少なくとも、これと同じ物で何度か指を切りました」
「妙な覚え方だな」
あの跳ね紐、張り方を間違えると容赦なく戻るんだよな。痛かったことは、よく覚えてる。
クレールは腱糸を短く切り、二つの皿へ載せた。一方へ水を垂らし、もう一方を小さな加熱具の上へ置く。
水を吸った繊維は三方向へほどけた。熱を加えた方は、すぐには燃えなかったものの、端から縮んで固くなる。
「火蜥蜴の上等品なら、この温度で形は変わりません」
「保管が悪かった可能性は?」
店主が尋ねる。
「あります。産地が違う可能性も、品質等級が違う可能性もある。今ここで詐欺とは決めません」
クレールは記録板へ結果を書き、箱へ封止札を貼った。
「この一箱は販売停止。未開封の同一仕入れ分も確認します」
「全部か?」
「同じ証明番号の分だけです。問題がなければ今日中に戻します」
店主は不満そうだったが、拒まなかった。棚の奥から同じ印の箱が四つ出される。
そのうち二箱には、赤茶色の腱糸が入っていた。残る二箱は、少し暗い赤色で、繊維も細い。
クレールが両方を並べた。
「同じ産地、同じ等級、同じ証明番号です」
店主は組んでいた腕をほどき、二箱の間を指した。
「自然素材なら個体差はある」
「個体差で繊維の作りまでは変わりません」
店主の声が低くなる。
「うちは証明を見て仕入れた。組合の検査も通っている」
「だから、どの段階で入れ替わったかをこれから調べます。あなたが入れ替えたとは言っていません」
店主は口を閉じた。
ハーディは二種類の腱糸を見比べた。
染めて外から分かりにくくしてあるのに、同じ箱で揃える手間は省いている。
雑なのか、途中で混ざったのか。どうやってここへ来たんだろうな。腱糸を眺めてても、運んだ奴の名前までは出てこないけど。
「他に同じ仕入れ先の商品はありますか」
クレールが聞くと、店主は奥の帳面を持ってきた。
火蜥蜴の腱糸のほか、耐熱革、魔物の角を粉にした術式顔料、魔力を通しやすい骨針が記録されている。どれも値の張る品だった。
「俺が見て分かるのは腱だけです」
ハーディは先に言った。
「革や顔料は?」
「似た物を使ったことはありますが、産地まで断定できません。専門の鑑定人を呼んでください」
クレールは頷いた。
「そうします。分からない品まで塔のお墨付きを付けられる方が困ります」
話が早くて助かるな。
市場の別棟から、革と骨を扱う鑑定人が呼ばれることになった。クレールは店主へ販売記録の提出を命じ、店の前へ「一部商品検査中」の札を立てた。
店ごと閉めるわけではない。問題がない品は売れるし、客も通路を通れる。
必要な範囲だけ止めるやり方は、ハーディにも納得できた。
◇
検査は昼を過ぎても終わらなかった。
ハーディは帝都行きの馬車を翌朝へ変更し、ベルメール支部から本部へ一日遅れると連絡を入れた。
留め紐一本が宿代一泊分になったか。でも、これを耐熱素材だと思って使われたら、後で一泊じゃ済まないよな。
市場の組合棟には、同じ仕入れ先を使う商人が集められていた。
窓の外には港の倉庫が並び、開けた窓から荷役の掛け声と綱車の軋む音が入ってくる。室内では帳面が机を埋め、書記が証明番号と入荷日を一行ずつ照合していた。
ハーディは腱糸の確認を引き受けた。同じ色に染められていても、束の外と内側では手触りが違うものがある。一本ずつ撚りを戻して分け、クレールへ本数を伝えた。
十四束のうち、確実に大禍の山の山蜥蜴だと言える物が五束。火蜥蜴らしい物が六束。残る三束は加工が強く、外見だけでは分からない。
「全部偽物ではないのね」
クレールが数字を記す。
「本物と違う物が混ざっています」
「同じ箱に?」
「箱ごと違う物も、束の中へ混じっている物もあります」
「面倒なやり方をする」
全部が偽物なら、仕入れ先ごと止めればいい。本物と混ぜれば、最初の抜き取り検査を通る可能性が上がる。
それが意図的な手口なのか、複数の集荷品を雑にまとめただけなのかは、まだ決められない。
書記の一人が、解体した木箱の底板を持ってきた。
「デュラン検査官。削られた焼き印が残っています」
板の表には南方の商会印がある。裏面の角には別の印が薄く残り、刃物で削った跡の下から山と三本の線が見えていた。
ハーディは印へ顔を近づけた。
「大禍の山北側の共同集荷所で使う印に似ています」
「確かですか」
「少なくとも、子供の頃に見た印はこの形でした。今も同じかはヴァレーヌへ確認してください」
「箱を使い回しただけかもしれませんね」
「はい。これだけで入手先とは決められません」
クレールは底板を証拠袋へ入れた。
「だから記録を追います。箱の購入、荷の積み替え、証明書の発行、港へ入った船と馬車。こちらの仕事です」
ハーディは頷いた。
表と裏で産地が違うのか。どっちからどっちへ運んだ箱なんだろう。順番が分かったら面白そうだな。そこは記録を追ってる人に聞いた方が早いか。
夕方、クレールから正式な聞き取りを受けた。どの品を、どう見て、何を思い出し、どの検査に立ち会ったか。知らないことには知らないと答えた。
最後に署名をすると、紙は三枚になっていた。
国同士の契約が切れた時より短いな。……比較の基準がおかしいか。
「以後の確認は、ベルメール当局と商業組合で行います」
クレールが書類をまとめた。
「追加で質問があれば、アルカン塔を通じて連絡します。旅を続けて構いません」
「助かります」
クレールは書類を揃える手を止め、ハーディの顔を見た。
「事件を最後まで見届けたくは?」
「どう混ざったのかは知りたいです。分かったら、塔を通じて結果を送ってもらえますか」
「構いません。では、明日は予定通り出発を?」
「はい。現物の見分け方はお伝えしましたから。帳面を追うなら、俺より皆さんの方が早いです」
続きは知りたいけど、帳面が揃うまで同じ椅子に座ってなくてもいいよな。今夜は港の料理も食べたいし、六年帰ってない家も待ってるんだし。
組合棟を出ると、夕日の中で海が橙色に光っている。昼の騒ぎが嘘のように、市場の店は片付けを始め、食堂から焼いた魚と香草の匂いが流れていた。
……留め紐、まだ買えてないじゃないか。明日の出発前に、別の店へ寄らないとな。




