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第12話 船を見るだけの予定でした

 帝都を発つ朝、ハーディは私信を支部の書類便へ預け、二度目の鐘より少し早く西門へ着いた。背負い袋は馬車の後ろへ積み、土産の鞄だけを膝に置く。朝露で湿った幌の下には、焼いた麦の匂いが残っている。

 海沿いの街道では、白い岩肌と低い葡萄畑が交互に現れた。宿場で馬を替え、二晩を過ごし、出発から三日目の昼過ぎにサン=ロシェへ入った。

 港の入口には左右から防波堤が伸びている。外の海が青いのに対し、内側の水面は緑がかり、船腹に沿って小さな魚影が走っている。岸壁の上には滑車付きの腕木が並び、荷を吊る度に、軸の辺りから低い音がする。

 あれ、綱を戻す時だけ音が違うな。

 確かめるのは荷物を置いてからにした。塔支部へ到着を届け、帝都を出た日と次の行き先を伝える。受付の魔術師は、港の術具なら商家の工房で整備していると教えてくれた。

「見学でしたら、潮が満ちる前がいいですよ。午後は船の出入りで手が空きません」

 明日の午前に工房を訪ねることにして、ハーディは宿へ向かった。

 港から一本入った通りには、帆布を縫う店と、縄を束ねて売る店が並んでいる。軒に吊られた綱は、同じ太さでも色と撚り方が違った。水を吸って重くなった物を、揺れる船の上で引く。それなら、陸の荷車に使う縄と同じでは済まないのだろう。

 店先で立ち止まると、縄を巻いていた女が顔を上げた。

「切り売りなら、奥の短い方だよ」

「買う前に聞いてもいいですか。こっちだけ、撚りが緩いように見えるんですが」

「水に入れて使う分。乾いてる時にきつくしておくと、濡れた時に扱いにくいからね」

 女は端切れの縄を水桶へ浸し、先ほどまで巻いていた物と並べた。ハーディが指で挟むと、膨らんだ繊維の間にもまだ余裕がある。

「材質だけじゃなく、使う時の太さまで見て作るんですね」

「船で結べなくなったら困るだろう。初めてかい、この町は」

「はい。帰郷の途中です」

「じゃあ、明るいうちに宿へお入り。潮が上がると、この辺は荷車でいっぱいになる」

 ハーディは礼を言って縄を返した。夕方の通りには、店を閉める人より荷を待つ人が多い。時計だけで仕事が動くわけではない町なのだと、歩きながら気付いた。

 同じ港町でも、ベルメールとは違うんだな。明日は朝飯をゆっくり食べすぎないようにしよう。

 宿では窓辺の机へ道具を置き、靴の土を落とした。夕食の魚の煮込みには、見たことのない細い香草が入っている。名前を尋ねると、給仕は厨房へ戻って枝を一本持ってきた。手帳には、工房への道順の横に香草の絵も増えた。


 ◇


 翌朝、腕木の下で綱を巻いていたのは、日に焼けた少年だった。見たところ、年はハーディと同じくらいだ。短い茶髪に木屑が付き、上着の肘には四角い継ぎ布がある。

 ハーディは少年に声を掛け、綱を戻す時だけ音が変わる理由を尋ねた。

「その音? ここの止め具だよ。上げる時は外れて、戻す時だけ引っ掛かるんだ」

 少年は作業を止め、歯車の横にある鉄片を指した。

「逆回りを止めてるのか」

「うん。ここ、持ち上げちゃ駄目だぞ。一気に戻るから」

「触る前に聞くって」

「ほんとに? さっきから手、動いてるけど」

 ハーディは腰の後ろで手を組んだ。

 そんなに分かりやすい顔してたか。

 少年はジュール・ベルタンと名乗った。船と倉庫を持つベルタン商会の次男で、今日は工房を手伝っているという。支部の紹介状を見ると、奥から職人を呼び、魔力で補助する巻き上げ具を見せてくれた。

 歯車そのものを回す力は人と滑車が担い、術具は荷が揺れた時の衝撃を和らげる。ハーディは術式の交換部分を手帳に描き、職人の説明を聞いた。同じ部品でも、潮をかぶる外側だけは交換が早い。

「船に付いてるのも見てくか? こっちよりでかいぞ」

 ジュールが窓の外を指した。職人たちの方へちらりと目をやり、腰に手を当てる。桟橋では小ぶりな沿岸商船に樽が積まれている。

「今日は港の外で試しに動かすんだ。荷の締め直しもやる。半刻くらいで戻るってさ」

「見たい。乗せてもらえるのか?」

「父さんに聞いてくる。そこで待ってろよ」

 船主である父親の許可を取り、船長にも紹介してもらった。船の名は白鷗号。明日の輸送に備え、油と染料の樽を積んだまま、港の外の決められた航路を往復する試運転だという。工房の職人も一人乗り、実際に荷が掛かった状態で巻き上げ具を確かめる。天候は穏やかだった。ハーディは支部へ行き先を書いた伝言を工房の使いに託し、見学の条件を聞いた。

「縄の内側には入らない。移る時は船員の声を聞く。何か落としても追うな」

「はい」

 船長はハーディの短杖より、靴底を先に見た。

「滑りそうなら、その靴は履き替えさせるところだ」

 甲板の板は岸壁よりも傾いている。桟橋にいる間にも、船は綱を張り、わずかに離れ、また寄ってくる。ハーディは手摺へ手を添えた。

 ずっと地面が動くんだな。図面で見るのとは違うか。

 船員は揺れに逆らわず、膝を緩めて綱をまたいでいく。ハーディも足幅を少し広げた。ジュールがその足元を見て、笑わずに、荷が動く側には立たないよう指で示す。岸壁の上で道具を眺めていた時より、二人の間の声は小さく、距離は近くなっていた。


 防波堤を抜けると、風が頬を冷やした。港の鐘が遠のき、帆布の鳴る音が頭上へ広がる。船員たちは声を掛け合い、荷の揺れを見ながら綱を締めている。

 ジュールは手摺から水面をのぞいていた。先ほどまで説明を続けていた口が、いつの間にか閉じている。

「何かいる?」

「うん。小さいのが、後ろに集まってるんだ」

 水面の下で、細い影が向きを変えた。魚よりも平たく、尾だけが長い。同じ形のものが二つ、三つと増えていく。

「いつもこんなに来るのか?」

「こんなには来ないよ。……また増えた」

 ジュールが船尾へ走った。ハーディも船員の動きを避けて続いた。船尾には水をかぶる索が一本垂れ、その先で、布の小袋が跳ねている。

 船具の端なら、あんなふうに口を結ばないだろう。

「あの袋、何のための物ですか」

 近くの船員が眉を寄せた。

「袋?」

 ジュールは答えを待たず、船長へ声を上げた。船長が来て索を見た途端、舵の方へ振り返る。

「帆を絞れ。港へ戻すぞ。誰も素手で引き上げるな」

 船員の一人が長い鉤竿を取りに走る。小袋の口から、黄色い筋が海へ溶けていた。その筋を追って平たい影が集まり、船底へ腹を擦り付けている。

 岸の工房では、戻す時の音が気になっただけなんだけどな。

 ハーディは短杖を抜き、船尾の人々を見た。

「船底へ寄せないようにすればいいですか」

「できるなら頼む。ただし、舵の左は空けてくれ」

 船長は防波堤の方を見据えている。帰路の先に、低い帆を張った小船が一隻、斜めに入ってきた。

 白鷗号が向きを変えると、その小船も同じ方へ舵を切った。


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