第ニ話 魔法、めちゃくちゃ楽しい
翌朝。
俺は宿を引き払い、町の北にある山へ向かった。
別に何か壮大な計画があったわけじゃない。
人が少ない。
魔物がいる。
木も水もある。
それから、多少派手なことをしても怒られない。
条件としては十分だった。
「三年くらいやるか」
何となく口にしてから、自分でも少し笑った。
三年。
長い。
普通に考えれば長い。
でも、今すぐ町へ戻ったところで何も変わらない。
魔法が使えない。
身体強化もできない。
剣はそこそこ。
また誰かのパーティーに入れてもらって、また役に立とうと頑張って、そのうちもっと便利な奴が見つかったら外される。
もうそれは嫌だった。
だったら一回、誰にも合わせずにやってみる。
山へ入って三日目。
俺は早くも後悔した。
「腹減った……」
食料は持ってきた。
でも三年分なんて当然ない。
狩るしかない。
薬草も覚えるしかない。
雨が降れば濡れる。
夜は寒い。
魔物も普通に出る。
「俺、修行する前に生活覚えないと死ぬな」
まず小屋を作った。
木を切る。
運ぶ。
組む。
屋根を作る。
前世で家なんて建てたことはない。
当然、最初の小屋は雨漏りした。
二回目は傾いた。
三回目でようやく寝られるものになった。
そこから毎日、剣を振った。
走った。
魔物と戦った。
そして何より、魔法を試した。
十五年間、一度も成功しなかったものを。
「魔力を感じろ、ねえ……」
木の前に座り、目を閉じる。
身体の中。
流れ。
熱。
光。
何でもいい。
何かないか探す。
ない。
一時間。
ない。
二時間。
ない。
「いや、無いもの感じろって言われても無理だろ」
次の日もやった。
その次の日もやった。
剣を振ったあと。
走ったあと。
魔物と戦ったあと。
腹いっぱい食ったあと。
腹が減っている時。
朝。
昼。
夜。
逆立ちまでした。
「これは違うな」
滝にも打たれてみた。
寒いだけだった。
「これ考えた奴、絶対修行っぽいからやってるだけだろ」
それでも続けた。
一か月。
三か月。
半年。
何も変わらなかった。
身体は強くなった。
剣も上手くなった。
でも魔法だけは、相変わらず何も起きない。
それでもやめなかった。
ここでやめたら、また同じだからだ。
十か月目。
山の中腹で、大きな猪型の魔物に出会った。
俺よりずっと重い。
牙もでかい。
真正面から突っ込まれたら終わる。
横へ避ける。
剣を入れる。
浅い。
また来る。
逃げながら木を使って方向を変えさせる。
何度も繰り返した。
少しずつ傷を増やす。
でも、こっちも限界が近い。
「しつこいんだよ!」
魔物が地面を蹴った。
正面。
避けきれない。
咄嗟に右足へ力を入れた。
もっと速く。
もう少しだけ。
身体が、前へ出た。
今までとは明らかに違う速度で。
「……は?」
俺は数歩先まで飛ぶように移動していた。
猪が後ろを通り過ぎる。
何が起きた。
足を見る。
何もない。
でも。
あった。
右足の中に、今まで一度も感じたことのない何かが残っている。
熱でもない。
血の流れでもない。
もっと変な感覚。
でも、分かった。
「……これか?」
猪がまた振り返る。
そんなのどうでもよかった。
「これが魔力?」
十五年間。
一度も分からなかった。
何百回。
何千回。
たぶん、それ以上試した。
それが今、初めて分かった。
俺は笑った。
「待てよ」
魔力を感じることだけは、ずっとできなかった。
でも。
その先なら。
俺は前世で何百本もアニメを見た。
漫画だって何百冊読んだ。
人が魔力をどう使うか。
どう集めるか。
どう放つか。
どう身体へ流すか。
そんなもの、十五年間ずっと頭の中で考えてきた。
右足へ、もう一度魔力を集める。
さっきの感覚を思い出す。
流す。
一点へ寄せる。
踏み込む。
地面が強く蹴れた。
身体が一気に前へ出る。
猪の横へ回り込み、剣を振る。
首へ深く入った。
魔物が倒れる。
俺は剣を持ったまま、しばらく動かなかった。
「……やべえ」
口元が勝手に上がった。
「魔力の使い方、頭の中じゃ完成してるわ」
そこからは早かった。
まず、ずっとやりたかったことを試した。
地面へ手を向ける。
「これ、できるだろ」
魔力を腕から地面へ流す。
そのまま下から上へ持ち上げるイメージ。
腕をクイッと上げた。
目の前の土が、一気に巻き上がった。
「うおおおっ!」
思わず声が出た。
「これ! これやりたかった!」
次は、両手を左右から合わせた。
中央へ魔力を集める。
小さく。
もっと濃く。
圧縮する。
前へ向ける。
「いけ!」
両手の間から光が飛び、少し離れた岩へぶつかった。
岩の表面が吹き飛ぶ。
「出た!」
笑いが止まらない。
十五年間、一回も使えなかった。
だからこそ、一回使えるようになると全部試したくなった。
「次あれだろ」
右拳へ魔力を集める。
腕全体ではなく、拳だけ。
そのまま地面を殴った。
「痛っ!」
普通に拳が痛い。
でも、地面には拳よりずっと大きな亀裂が入っていた。
「……これ、ちゃんと身体強化してからやらないと駄目だな」
覚える。
試す。
失敗する。
また試す。
空を飛ぼうとして木から落ちた。
目へ魔力を集めて遠くを見ようとしたら、しばらく涙が止まらなくなった。
全身から一気に魔力を出してみたら、服が破れた。
「これは封印だな」
誰もいない山で一人、毎日のようにそんなことを繰り返した。
二年目に入る頃には、身体強化を全身へ流せるようになった。
でも、それだけでは面白くなかった。
全部を均等に強くする必要なんてない。
走る瞬間は足。
剣を振る瞬間は腕と腰。
避ける瞬間は足と背中。
必要な場所へ、必要な量だけ、必要な瞬間に流せばいい。
最初は何度も失敗した。
足だけ強くしすぎて前へ転んだ。
右腕だけ強化して肩を痛めた。
剣へ魔力を流しすぎて刃を欠いた。
それでも調整した。
何度も試しているうちに、身体の中を流れる魔力は以前よりずっと分かりやすくなっていった。
「面白えな」
最初は、強くなりたくて始めた。
見返したかった。
もう捨てられたくなかった。
でも途中から、普通に楽しくなっていた。
「次、何やろう」
十五年間できなかったことが、今なら試せる。
前世で見たもの。
考えたもの。
ずっと一度はやってみたかったもの。
魔法として形にできるかもしれない。
三年目。
俺は山の奥へ入った。
以前は避けていた場所だ。
そこには、何度も遠くから姿だけ見ていた魔物がいる。
全身を黒い毛で覆われた、大型の熊型魔物。
立ち上がれば俺の倍近い高さがあり、太い腕なら木くらい簡単に折る。
初めて見た時は、絶対に近づかないと決めた相手だった。
今は少し違う。
「よし」
腰の剣を抜く。
三年間、研いでは使い、欠けてはまた研いだ。
昔よりずいぶん短くなっている。
「……これ、そろそろ剣って言っていいのか怪しいな」
熊がこちらに気づいた。
低い唸り声を上げ、四つ足で走ってくる。
速い。
身体の大きさから想像していたより、ずっと速かった。
右足へ魔力を流す。
踏み込んで横へ抜けると、熊の腕がさっきまでいた場所を叩き潰した。
「相変わらず馬鹿力だな」
腰と右腕へ魔力を移し、短くなった剣を振る。
刃は入った。
でも浅い。
黒い毛の下にある皮膚が硬すぎる。
熊が振り返り、大きな腕を横薙ぎに振った。
身体を沈めて避ける。
そのまま距離を取った。
「これ、剣でやる必要ないな」
せっかく三年間、色々試してきた。
だったら最後くらい、一番やりたかったやつでいこう。
熊がもう一度向かってくる。
俺は剣を鞘へ戻し、右手を地面へ向けた。
腕から魔力を流す。
地面の下へ潜らせる。
熊の足元まで伸ばす。
「この辺か」
手のひらを上へ向けた。
そのまま、腕をクイッと持ち上げる。
熊の真下で地面が爆発した。
土と石が一気に噴き上がり、巨体が地面から浮く。
「おお、飛んだ!」
予想以上だった。
熊は土砂と一緒に宙へ放り出され、そのまま俺の方へ飛んでくる。
「うわ、こっち来るのかよ!」
ちょっと計算を間違えた。
でも、ちょうどいい。
両手を腰の横へ引く。
右手と左手の間へ魔力を集める。
三年前、岩の表面を吹き飛ばしただけだった魔法。
あれから何百回も撃った。
集める量も。
圧縮の仕方も。
放つ方向も。
全部、分かっている。
両手の間で光が膨らんだ。
飛んでくる熊が大きくなる。
「これ、名前つけた方がいいのかな」
そんなことを考えている時間はなかった。
両手を前へ突き出す。
「波ぁぁぁぁぁっ!」
圧縮した魔力が一気に放たれた。
白い光が空中の熊へ直撃し、その巨体を丸ごと飲み込む。
轟音と一緒に光が弾け、黒い毛も牙も何もかもが吹き飛んだ。
衝撃で土煙が広がる。
俺は両手を突き出したまま、しばらく固まっていた。
風が土煙を流していく。
熊はいない。
「……」
威力、上げすぎたかもしれない。
素材を売れば結構な金になったはずだ。
「まあいいか」
今まで逃げるしかなかった相手を、一人で倒した。
それも剣じゃない。
十五年間ずっと使えなかった魔法で。
俺は自分の両手を見る。
「……結構強くなったんじゃね?」
誰も答えない。
でも、たぶん。
悪くない。
三年が経った。
二十歳。
髪は伸びた。
服は何度も直した。
剣もだいぶ短くなった。
小屋も最初よりかなり立派になった。
山で生きることにも慣れた。
魔法も使える。
身体強化も使える。
剣も三年前とは比べものにならない。
そろそろいいだろう。
「帰るか」
三年間暮らした小屋を片づけ、必要なものだけ背負う。
山を下りる。
久しぶりの街道は、妙に広く感じた。
町の門が見えた時は、少しだけ懐かしかった。
「変わってねえな」
門を抜ける。
人。
馬車。
店。
声。
三年ぶりの町は、山よりずっとうるさい。
でも嫌じゃない。
まず宿を取ろう。
それから風呂。
飯。
ギルドにも顔を出す。
そんなことを考えながら歩いていると、正面から一人の女が来た。
白い服。
銀色の髪。
杖。
見た目だけなら、かなり上品だった。
女は俺の横を通り過ぎた。
と思ったら、足を止めた。
「……ちょっと臭う」
「は?」
振り返る。
女もこちらを見ている。
俺が何か言う前に、杖が上がった。
「〈浄化〉」
白い光が全身を包んだ。
土も汗も、三年間山で暮らして染みついた汚れも、一瞬で消えていく。
髪までさらっとした。
俺は自分の身体を見る。
「……服は?」
三年間、継ぎ接ぎしながら着続けた服まで綺麗さっぱり消えていた。
どうやら汚れとして判定されたらしい。
女を見る。
「いきなり浄化すんな! 服消えただろ!」
女が眉を上げた。
「何よ、変態」
「お前が消したんだろ!」




