8話:褒められると怖い
※挿絵にAI生成イラスト画像を使っています。苦手な方はご注意ください。
褒め言葉は俺にとって赤信号だ。
見えたら止まる。青に変わるまで待つ。
前世の俺は部長に褒められて浮かれ、祝杯を挙げたその夜に死んだ。褒められたせいで死んだわけじゃないのはわかってる。でも俺の中では完全につながっている。
発端は俺が勝手に変えた集計表だった。
俺は自分の仕事を楽にするために、こっそり帳簿の書き方を変えていたのだ。
区画ごとに欄を分ける。合計の欄を別に作る。一番右に検算の欄を足す。
それだけだ。前世のExcelなら、新人でも十分で作れる程度の表である。
でもこれが、サポートさんに数字を読み上げるときにめちゃくちゃ便利なのだ。上から順に読めばいいし、読み飛ばしのミスもない。
あくまで、俺一人が楽をするための工夫だった。
……はずだった。
「テオさんの表、見やすいので真似してもいいですか」
最初にそう言ってきたのはミーナだった。
そのときは断る理由もなかったので、いいよと答えた。
ミーナの表を見た先輩が真似をした。その先輩の表を見た別の先輩も真似をした。
あの説明が異常に短いベテランの先輩まで、黙って真似をしていた。
気づいたときには、書記室の全員が俺の表で集計していた。
月末の集計は目に見えて速くなった。間違いも減った。
ここでようやく気がついた。このままだとまずいって。
いや、作業が速くなって間違いが減ったこと自体は、全くまずくない。
困るのは俺の集計表が広まったことだ。広まったものは目立つ。目立つものは必ず「誰が考えたのか」と聞かれる。
自意識過剰と言われても、俺は褒められたくないんだ。
◇ ◇ ◇
その日は朝から書記室の空気が違っていた。
領主様の役所から視察の役人が来るのだ。
朝のうちに下働きの子が玄関の敷石を洗っていた。廊下の奥はいつもどおり埃が積もっている。
客の通る場所だけきれいにする。異世界でも同じだと思ったら、ちょっと面白かった。
「いいか! 今日はいつも以上にしゃきっとしろ!」
グラント事務長の声がいつも以上に大きい。しゃきっとしているのはたぶん事務長の声だけだ。
昼前、役人がやってきた。細身でいかにも几帳面そうな男だった。
役人は書記室を一回りして、集計表を一枚手に取った。
しばらく黙って眺めてから、つぶやいた。
「……これは、見やすいな」
嫌な予感がした。
「集計も、よその役場よりずいぶん早い。この書き方はどこかで習ったのかね」
「いえ! うちの書記室で使っているものです!」
事務長が胸を張った。そして振り返り、大声で言った。
「おい、これを考えたのは誰だ!」
ミーナが口を開きかけた。
まずい。非常にまずい。
「事務長が前に、もっと見やすくしろって言ってたじゃないですか」
俺はミーナより先に口を開いた。
「それを、みんなで形にしただけですよ」
「……俺が?」
「言ってました」
「そうだったか?」
「言ってました。去年の冬くらいに」
「……そうだった気もする!」
言ってない。たぶん一度も言ってない。
でも事務長は細かいことを覚えていない人だ。そして、自分が褒められる話は疑わない人でもある。
先輩たちは誰も口を挟まなかった。巻き込まれたくないのは、みんな同じらしい。
「なるほど。事務長殿の発案でしたか」
「いやあ、まあ、そういうことになりますな! ガッハッハ!」
手柄は無事に事務長のところへ収まった。
横からミーナがじっと俺を見ていた。見なかったことにした。
これで終わりだと思っていた。
役人は帰り際に、俺の机の前で足を止めた。俺が清書していた書類を上からのぞきこんでいる。
「君、手が速いな。字もきれいだ」
「……恐縮です」
「臨時書記だと聞いたが」
「はい」
「もったいない。正書記に推薦しよう。領主様の役所も、人手が足りなくてね」
赤信号が見えた。
正書記。領主様の役所。人手が足りない。
全部、面倒な仕事が増える言葉だ。
「い、いえ。ありがたいお話なんですが」
「何か不都合でも?」
「役所の正書記は朝が早いと聞きまして」
「……朝?」
「私、朝に弱いんです。本当に。起きられないんです」
役人が困ったように黙りこんだ。
自分でも苦しいと思う。でも、嘘は言っていない。
「ガッハッハ! こいつは臨時の方が気楽なんですよ! 欲がないんです、欲が!」
事務長が俺の背中をばしばし叩いた。痛い。でも、ありがたい。
「……そうか。まあ、気が変わったら言ってくれ」
役人はそれだけ言って、帰っていった。
気は変わらない。絶対に。
帰り支度をしていると、ミーナが小声で話しかけてきた。
「……あの表、考えたのテオさんですよね」
「何のこと?」
「メモに書いてあります。いつから使ってたかも」
「そのメモ、燃やしてくれない?」
「火は貴重なので」
言い返せなかった。
ミーナはそれ以上何も言わずに、先に帰っていった。
言いふらすつもりはたぶんない。でも、確実に知っている。
あのメモ帳、そろそろ本気で怖くなってきた。
◇ ◇ ◇
翌月、グラント事務長が領主様から表彰された。
書記室の仕事を改善した功績、だそうだ。
表彰状を受け取った事務長は、書記室に戻ってくるなり何度も読み返していた。本人が一番驚いていたと思う。
おめでとうございます、事務長。
本当に。
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