7話:唐揚げは正義
※挿絵にAI生成イラスト画像を使っています。苦手な方はご注意ください。
俺は今、無性に唐揚げが食べたい。
前世では総務課の飲み会で必ず頼んでいた。誰が頼んだかわからないのに、気づくとテーブルの上に並んでいるあれだ。まあ、だいたい俺がシレっと注文していたんだが。
こっちの世界に来て二十年以上。一度も食べていない。今朝なんて夢にも出てきてしまった。そろそろ限界である。
レシピはサポートさんに聞けば一発だ。
《唐揚げの作り方を教えてください》
《承知しました。鶏もも肉を一口大に切り、醤油、酒、おろし生姜、おろしにんにくで下味をつけます。片栗粉をまぶし、百七十度の油で揚げてください》
完璧なレシピだ。完璧すぎて、涙が止まらない。
醤油がない。生姜もない。百七十度を測る温度計もない。
……質問の型を完全に忘れていた。唐揚げを前にすると、人は我を忘れるらしい。
俺だけだって? はっはっは。ご冗談を。
さて、レシピはわかるが、材料も道具もない。この世界ではよくある悩みだ。
前世とは違い農業機械なんてないから、農作物はだいたい高い。例外は主食であるザルバ麦くらいだ。雑草並みにしぶとくて、どこでも育つ。
……あんまり美味しくないけど。
油は特に高い。ベルタさんの店でも量り売りで、ちびちび買うものなのだ。
火だって貴重品だ。下宿の台所は一階に一つきりで、使えるのは朝と夕方だけ。薪は使った分を大家のおばあさんに払う。
あそこでたっぷりの油を温めていたら、油代と薪代だけで今月の給料が吹っ飛ぶ。
サポートさんはレシピを知っている。でも、この世界の台所は知らない。ついでに俺の懐具合も知らない。
普段の俺なら、ここで諦めている。
面倒なことは嫌いだ。楽をするのが俺の生き方である。
でも唐揚げは別枠だ。唐揚げのためなら、俺は真剣に働くのだ。
火と油の問題は一つの場所で解決できる。
いつもの酒場だ。
「厨房を貸してほしい?」
「かまどの端っこでいいんで。油代は払います」
「何を作る気だ」
「鳥を、油で揚げます」
「……揚げる? 油で煮るってことか」
「まあ、そんな感じです」
「油がもったいねえ。もし失敗して油が使えなくなったら、全額払えよ」
「払います」
この無愛想な髭のおっさんが、酒場「樽の底」の店主ドルフ。
愛想はないが料理の腕は確かだ。
この店の味を、俺はずっと普通だと思っていた。ただ、前世で肥えた舌で普通なら、この世界ではかなりうまい部類だ。最近になって、ようやくそれに気が付いた。
そしてこの店のかまどは、朝から晩まで火が落ちない。揚げ物に使える油も樽でどんと置いてある。
唐揚げを作るなら、ここしかない。
次は材料だ。
鶏肉は、市場で売っているホウホウ鳥で代用できる。ニワトリより小ぶりだが、味はまあまあ近い。
醤油の代わりは塩。にんにくの代わりは沢ニラだ。細かく刻むと、にんにくに近い香りがする。
キノコの日に摘んだ分はとっくに食べてしまったので、唐揚げのために森まで摘み直してきた。今回はキノコには目もくれていない。
問題は片栗粉である。
衣なら麦粉でもつけられる。だが、それじゃとり天だ。あのざくっとした衣は片栗粉じゃないと出ない。俺が食べたいのはあれなのだ。
そもそも片栗粉って、何からできてるんだ?
前世で何十回も使ったのに、考えたこともなかった。
《片栗粉は何からできていますか》
《現在、日本で売られている片栗粉の多くは、じゃがいものでんぷんから作られています》
じゃがいもなのかよ。
じゃあ「片栗」はどこに行ったんだ。
気になったので、一問使って聞いてしまった。
《片栗はどこに行ったんですか》
《もともとは、カタクリという植物の根から作られていたため、この名前がついています。現在はカタクリが貴重になったため、じゃがいもで代用されています》
つまり片栗粉は、名前だけ残して中身が入れ替わっている。
前世の会社にもそういう部署があった。名前は「業務改革室」なのに、やっているのはソフトウェアのライセンス管理だけ、みたいな。
まあいい。じゃがいもっぽいやつなら、この世界にもある。市場で丸芋と呼ばれているごつごつした芋だ。
今度はちゃんと型どおりに聞いた。
《じゃがいもから片栗粉を作る方法を教えてください。調理道具は鍋やお玉、まな板や包丁、おろし金くらいです。家電製品はないものとして考えてください》
《鍋や桶、おろし金の他に目の細かい布(綿のさらし布などがおすすめ)をご準備ください。じゃがいもをすりおろし、目の細かい布に包んで鍋や桶に張った水の中でよく揉みます。しばらく置くと、鍋や桶の底に白い粉が沈みます。上の水を捨て、きれいな水を入れて混ぜ、また沈ませます。これを数回繰り返し、最後に乾かせば完成です》
目の細かい布はあったかな? なければ市場に買いに行けばいいか。
意外と手間がかかる。でも唐揚げのためだ。俺は二日かけて芋から白い粉を作った。
ところが俺の部屋の窓は北向きで、日がほとんど入らない。粉は一日置いても湿ったままだった。
仕方なく階段の上り口に板を敷いて広げていたら、大家のおばあさんに声をかけられた。
「あんた、何かまずいもんでも作ってるのかい」
怪しいものではありません。芋です。ただの芋です。
◇ ◇ ◇
準備が整って、いよいよ揚げる日。
一回目。
粉をつけすぎて、衣が石のように硬くなった。
「なんだこの鎧は」
ドルフの感想である。反論できない。
二回目。
衣は薄くした。でも今度は下味の塩が強すぎた。一口かじった瞬間、舌がしびれた。
「塩入れすぎだろ。海の水でも飲んでるみてえだ」
反論できない。
三回目。
外は真っ黒に焦げたのに、割ってみると中は生だった。
油の温度がわからないのだ。百七十度と言われても、測るものがない。
ここでようやく、最初に聞くべきだったことを聞いた。
《温度計がありません。油の温度を見分ける方法はありますか》
《乾いた木の串を油に入れてください。串の先から細かい泡が静かに上がれば、揚げ物に適した温度です。泡がすぐに激しく出る場合は、熱すぎます》
かまどから少し鍋を離して、串を入れる。
ぶくぶく。激しい。熱すぎる。
少し待って、もう一度。
しゅわしゅわ。細かい泡が静かに立ちのぼった。
今だ。
四回目の唐揚げはきつね色に揚がった。
かじると、ざくっと音がした。中から熱い肉汁があふれてくる。
……これだ。二十年以上ご無沙汰だったが、俺が夢にまで見たのはこれなんだ。
サポートさん。
いや、サポート様。
今日だけは様をつけさせてほしい。
《お役に立てて光栄です。ほかにお手伝いできることはございますか?》
いつもの返事だった。サポートさんは褒められても調子に乗らない。
……見習おう。俺も。
ドルフが無言で一つつまんだ。
しばらく噛んでから、低い声で言った。
「……うめえ」
「でしょう」
「おい。これ、店で出していいか?」
「条件が一つあります」
「なんだ」
「俺の名前は出さないこと」
「そんなことでいいのか」
「そんなことがいいんです」
ついでに気づいた。店で出してもらえば、次からは俺が揚げなくていい。
芋をすりおろさなくていい。油代も払わなくていい。座って待っていれば、唐揚げが出てくる。
最高じゃないか。
「で、こいつに酸っぱい実を搾るのはどうだ」
「かけないでください」
「かけた方がさっぱりしてうまいだろ」
「かけない方がうまいです」
この件については小一時間揉めた。結論は出ていない。
ちなみに俺はかけない派だ。かける派とは友達になれない。
つまりドルフとは友達になれない。
まあいい。唐揚げは異世界でも正義だった。
これからは食べる専門でいく。
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