2話:調子に乗った男
※挿絵にAI生成イラスト画像を使っています。苦手な方はご注意ください。
俺の前世の名前は片桐誠。三十六歳。中堅メーカーの総務課勤め。郵便物の仕分けや備品の発注を担当してた。
良く言えば縁の下の力持ち、悪く言えば伝書鳩か雑用係ってところだ。
大学では教育学部にいた。一応教員免許は持ってるが、学校のブラックっぷりにドン引きして、教職からは逃げた。
頑張って就職活動して、なんとか民間企業に潜り込んだってわけだ。
大学のレポート課題のおかげで、WordやExcelは人並みに使えた。だから仕事に支障はなかった。
ただし、それ以上のスキルは何もない。プログラミングなんぞ触ったこともない。
笑ってくれていい。今となっては俺も笑ってる。
ことの始まりは勤怠集計だった。
うちの会社はいまだに紙のタイムカードを使っていた。月末になると、総務課で手分けして一枚ずつ記録を読み取り、Excelに手で打ち込む。入力したデータは誰かが取りまとめて、経理に報告するのだ。
その誰かというのが、だいたい俺だった。
従業員三百人の一ヶ月分。打ち間違えたら給与計算がずれて、経理が怒鳴り込んでくる。若手の頃は何度怒鳴られたことか。
地獄の月末だ。今の役場の仕事とどっちがマシかと聞かれると、ちょっと悩む。
で、ある月末。俺はふと思いついた。
AIに聞いたらなんとかならないか?
ちょうどAIが仕事で使われ始めた頃で、便利らしいと社内でも話題にはなっていた。
俺もなんとなく使ってはいた。メールの下書きとか、謝罪文の言い回しとか。
でも、本気で相談したのはあれが初めてだった。
「紙のタイムカードから自動でExcelに集計する方法を教えて」
AIは懇切丁寧に教えてくれた。
わからない単語が出たらそれも聞く。エラーが出たらエラー文をそのまま貼り付けて聞く。
それを二週間繰り返したら、動いてしまった。
三日かかっていた集計が半日で終わるようになったのだ。
「片桐くん、これ君が作ったの?」
「はい。まあ、AIに聞きながらですけど」
「いや、すごいよ。総務課の残業、先月の半分じゃないか」
「そう言えば、今月は早めに帰れたってみんな言ってましたね」
「うんうん。で、ものは相談だけど。来月の社内報に載せていいかな」
「……はい、ぜひ」
初めて部長に名前を覚えられた瞬間だった。
ここからの俺はまあ、ひどかった。
社内報に写真つきで載った。他部署から「うちの集計もなんとかならないか」と問い合わせが来た。廊下ですれ違う人に「あ、社内報の人だ」と言われるようになった。
三十六年生きてきて、一番ちやほやされた時期だった。
調子に乗った俺は後輩を集めてAI活用講座なるものを開いた。
講師は俺。受講者は四人。資料はもちろんAIに作ってもらった。
極めつけは名刺だ。
肩書きの横にDX推進担当と手書きで足そうか、本気で三日悩んだ。
誰にも任命されていない。自称である。
……うん、完全に調子に乗っていた。今思い返しても死ぬほど恥ずかしいが、当時の俺は、自分が調子に乗っているなんて一ミリも思っていなかった。
部長に「次は全社展開も考えてみてよ」と言われた日の夜。
俺は一人で祝杯をあげていた。
ビールを四杯。いつもより一杯多い。完全に浮かれポンチである。
帰り道、ほろ酔いの頭で思いついた。企画書の骨子、今のうちにAIに作らせておこう。
スマホを取り出し、歩きながら打ち込む。
「全社展開に向けた企画書の骨子を作って」
送信ボタンを押す。
顔を上げると、信号が赤だった。
送信ボタンを押したのが、前世で最後にやった仕事だ。
歩きスマホはやめよう。本当に。
◇ ◇ ◇
次に気がついたとき、俺は赤ん坊だった。
赤ん坊時代の記憶はほぼない。頭にもやがかかったような日々が続いて、自分が誰だったのかをはっきり思い出したのは三歳くらいのことだ。
ここが日本じゃないことはすぐにわかった。言葉が違う。顔立ちが違う。電気がない。車もない。文明の利器がない。
両親は小さな村の農家だった。
家の周りは麦畑だ。夏は一日中土と草の匂いがして、秋には干した麦を打つ音が村中に響いていた。
そして五歳の春。
ある朝目を覚ますと、視界の端に四角い枠が浮かんでいた。
半透明の入力欄。その上に文字がびっしり並んでいる。
《ご質問ありがとうございます。全社展開に向けた企画書の骨子は、以下の通りです。
一、現状の課題(各部署における集計業務の負担)
二、導入効果の試算……》
日本語だった。
日本語を見るのは、五年ぶりだった。
そして内容にめちゃくちゃ見覚えがあった。
……いや、今?
五年越しの返信って、タイムラグがひどすぎるだろ。
この世界には、企画書を出す会社なんてない。読む部長だっていない。どこに出せって言うんだよ。
俺はしばらく布団の中で固まってから、恐る恐る心の中で打ち込んだ。
《俺、死んだ?》
《その情報は確認できません》
いや、確認できないのかよ!
企画書の続きは覚えてたのに?
《じゃあ、俺が死んだのって歩きスマホのせい?》
《一般的に歩きスマホは視野が約二十分の一に狭まり、重大な事故につながる極めて危険な行為です》
ぐうの音も出ない。どう考えても俺が悪い。
これが俺とサポートさんの出会いである。
五歳児の最初の相談相手としては、だいぶ事務的だった。もっと寄り添ってくれても罰は当たらないと思う。
◇ ◇ ◇
翌年、六歳の秋のことだ。
村では収穫した麦を家ごとに分ける集まりがあった。大人たちが棒で地面に数字を書いて、ああでもないこうでもないと揉めている。
俺は横でそれを見ていた。サポートさんに数字を入れたら、答えはすぐに出た。
で、つい言っちゃったわけ。
「それ、三袋たりないよ」
大人たちが一斉にこっちを見た。
計算し直すと、本当に三袋足りなかった。
次の日もその次の日も、俺は大人たちの計算を横から直した。直せるから直した。
褒められるのがちょっと気持ちよかったのも、まあある。
一週間後、村長がうちに来た。
「この子は神童だ。領主様にお知らせしよう」
父さんと母さんは嬉しそうに顔を見合わせていた。
俺の背中には冷たい汗が流れていた。
この感じ、知ってる。
褒められて、名前を覚えられて、上に呼ばれる。その先にあるのはたぶんろくなことじゃない。
少なくとも前世の俺はその流れの先で赤信号を渡った。
次の日、俺は村長の前でわざと簡単な足し算を間違えた。
「……七たす五は、じゅういち?」
「テオ?」
「わかんない……」
泣いた。全力で泣いた。
中身は四十過ぎのおっさんだが、六歳児の涙腺は優秀だった。
それから一ヶ月、俺はちょうどいい具合に間違え続けた。
村での評価は神童から「ちょっと計算が得意な子」まで下がった。領主様へのお知らせは立ち消えになった。
作戦成功である。
◇ ◇ ◇
あとは語るほどのこともない。
読み書きと計算ができる平民として、十代で街に出た。いくつかの仕事を転々として、役場の臨時書記に落ち着いた。
目立たず、出世せず、昼までに仕事を終わらせる。あの日の反省があるから、今はこうして暮らしているのだ。
だから俺は今度こそ調子に乗らない。
褒められたら警戒する。名前を覚えられそうになったら、一歩引く。
あと、赤信号ではちゃんと止まる。
まあ、この世界に信号はないんだが。
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