12話:調子に乗ってる男
※挿絵にAI生成イラスト画像を使っています。苦手な方はご注意ください。
そいつは前世の匂いがした。
匂いといっても醤油の話じゃない。いや、醤油の匂いもしたんだけど。
ことの始まりはドルフだった。
「黒だれ、店で使うことにした」
「おお、よかったですね」
「で、お前が買ってこい。一箱」
「……なんで俺が」
「お前しか売り場を知らねえだろうが」
ちくしょう。正論だ。
楽をしたいのに、醤油のせいで使い走りになっている。世の中、うまくいかないものだ。
まあ、唐揚げと醤油のためなら仕方ない。唐揚げと醤油は別枠なのだ。
◇ ◇ ◇
休日の朝、市場の端の露店に行くと、親父が渋い顔で小瓶を並べていた。
「一箱? 悪いね、うちは小瓶をちまちま仕入れてるだけさ。箱でほしいなら、今日は広場に行きな」
「広場?」
「商会の若旦那が、王都から直々に売りに来てるんだよ。まとめ買いなら、うちより安い」
親父は大きなため息をついた。
「おかげでこっちは商売あがったりだ」
なんだか申し訳ない。でも、安いならそっちに行く。ドルフの金だし。
市場の広場の真ん中には古い井戸がある。水はもう出ない。
人を集めたい奴は、たいていその縁か木箱の上に立つ。領主様のお触れを声高らかに読み上げていることもあれば、至急で人足を募集していることもある。事情は様々だ。
その井戸のまわりに人だかりができていた。
背伸びしてのぞくと、黒い小瓶を山と積んだ台の横で、若い男が木箱の上に立っている。
歳は二十代半ばくらい。仕立てのいい服を着て、よく通る声で客を呼んでいた。
「さあ、王都で評判の黒だれです! 料理にちょっと垂らすだけで、味がぐっと締まりますよ!」
どうやら、こいつが若旦那らしい。
「食堂や酒場のご主人方! 小瓶で買うより、箱でまとめて仕入れた方が、一皿あたりはずっと安くなります!」
まあ普通の商売の口上だ。
「大事なのは効率です! 同じ手間で、倍の成果を出す! 最初の出費は投資と考えてください!」
……嫌な予感がした。
効率。投資。
この世界の人間が普段使う言葉じゃない。
「黒だれを使う店が増えれば、僕たちはもっと安く作れるようになります! 五年後の市場を想像してください! どの店にも黒だれがある未来を、僕たちの商会が作ります!」
周りのおじさんたちがぽかんと口を開けている。
「そう、売る側も買う側も、みんながウィンウィンになる商売です!」
「……ういんういん?」
「なんだそりゃ、鳥の鳴き声か?」
「知らねえ。王都の言葉じゃねえか?」
違う。前世の言葉だ。
意味がわかってしまったのは、たぶんこの人だかりで俺一人だろう。
「それから、次の新商品もお楽しみに! 卵と油で作る、白いソースです!」
マヨネーズだ。心の中で即答していた。
演説を聞くうちに、背中にじわっと冷たい汗がにじんでいた。でも、一番こたえたのは演説じゃない。
台の横に看板が立てかけてあった。
王都ハーゲン商会 副会頭 兼 改革推進担当 カイル。
……改革推進担当。
胃のあたりがきゅっと縮んだ。
前世の記憶が勝手に並びはじめる。
社内報に写真つきで載った俺。
後輩を四人集めて、AI活用講座を開いた俺。
名刺に「DX推進担当」と書き足そうか、三日悩んだ俺。
そして、その日の夜の赤信号。
木箱の上で声を張り上げている男は、あの頃の俺そのものだった。
死ぬ直前の、一番浮かれていた俺だ。
同じ世界から来た人間に、やっと会えた。
でも嬉しいより先に、俺の頭に浮かんだのはある予感だった。
このまま行くと、あいつは転ぶ。
◇ ◇ ◇
とはいえ、俺の用事は黒だれ一箱だ。
人だかりが少し引いたところで、台に近づいた。
「すみません。黒だれを一箱ください。酒場に頼まれまして」
「ありがとうございます! まとめ買い、助かります!」
木箱から降りてきたカイルが、自分で箱を運んできた。ついでに試食の小皿も差し出してくる。
黒だれを垂らした焼いた芋だ。
「お兄さん、よかったらどうぞ!」
「……どうも」
断るとかえって目立つ。受け取って口に入れた。
「どうです? なんだか、懐かしい味がしません?」
心臓が跳ねた。
懐かしい。懐かしいに決まっている。
でも、ここで頷いたら終わりだ。
「いや、頼まれて買いに来ただけなんで。食べるのは初めてですね」
「え」
「なんか、変わってますね。しょっぱいというか、黒いというか」
「……あー、そうですか。まあ、最初はそうですよね!」
カイルは少しだけ残念そうに笑って、代金を受け取った。
凡人の演技なら、六歳のときから年季が入っている。この程度で崩れたりはしない。
箱を抱えて人だかりを抜けようとしたとき、背中からカイルの声が飛んできた。
「みなさん! 同郷の方がいたら、いつでも商会を訪ねてくださいね! 歓迎します!」
「同郷って、王都の出身ってことかね」
「そうだろうよ」
周りの人たちはそう受け取ったらしい。
でも俺には、まったく別の意味に聞こえた。
同じ世界から来た人間は、名乗り出ろ。そう言っている。
箱が重い。腕がちぎれそうだ。
重いのは、たぶん箱のせいだけじゃない。
◇ ◇ ◇
「おう、ご苦労」
樽の底に箱を届けると、ドルフが中身を確かめながら聞いてきた。
「それで、この黒だれってのは、次からどこで買えばいいんだ」
「……最初から自分で行ってくださいよ」
「いいだろ。唐揚げ、黒だれで仕込んでやるから」
じゃあしょうがないか。醤油で仕込んだ唐揚げは別枠のさらに上。言うなれば殿堂入りだ。
「黒だれを作ってるハーゲン商会の人が、今日は直接来てて。市場の真ん中で売ってました。箱で買うなら安くするって」
「ほー。安く買えるのはいいじゃねえか」
まあ、店ならそうだよな。効率と投資。あいつも間違ったことは言ってない。
「で、その若旦那ってのは、どんな奴だった」
「……うるさい人でした」
「うるさい?」
「声が大きくて、前向きで、未来の話ばっかりしてました」
「事務長みてえだな」
「事務長の方が、まだ静かです」
ドルフが鼻で笑った。
あいつには関わらないでおこう。
自分の分は、市場の端の親父から小瓶で買う。少し高くても、その方が平穏だ。
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