第七話 数えようとして、やめた
私は今日も倒れている。
今日このフレーズを思う時に、何か引っかかりがあった。「今日も」という三文字だ。今日も。今日も、とはつまり昨日もそうだったということだ。昨日もそうだったとは、一昨日もそうだったということだ。この連鎖をどこまで辿れるか、今日は少し考えてみようと思った。
やめた。
やめたのには理由がある。辿れる気がしたからだ。辿れる気がするということは、辿り着く先があるということだ。辿り着く先を今日見てしまうと、何かが変わる気がした。変わることを、今日の私はまだ望んでいない。望んでいないので、やめた。健全な判断だと思う。
来た。今日も金髪だ。
金髪が近づいてくる。村の外れの私を、新鮮な目で発見している。いつも通りだ。まっすぐにこちらへ来る。足が石を踏む。左の木の根をまたぐ。私から三歩手前で少し速度が落ちる——
私は口を開く前に、もう知っていた。
金髪の次の一歩がどこへ落ちるか、知っていた。私が次に言う言葉が何か、知っていた。金髪が何と答えるか、知っていた。知っていたのに、全てが予定通りに起きた。予定通りに起きることを、知りながら、見ていた。
「薬草を取ってきてくれないか。礼はする」
私の口が言う。
言い終わる前から、終わっていた。
慣れだ、と思った。何百回も見ていれば当然だ。ルートを把握しているのも、返事の内容を知っているのも、全部慣れだ。慣れを既視感と呼ぶ者がいるが、それは大げさだ。ただの蓄積だ。記録が十分に積み上がれば、次を予測できる。私はその記録を持っている。それだけのことだ。
金髪が茂みへ走っていく。
右足、左足、右足。石を避けて、坂を上がる。
全部、知っていた。
昼になって、私は数えることにした。
今日来た者の数ではない。今日の分はすでに数えている。それより前の分だ。昨日の分。一昨日の分。先週の分。先月の分。
昨日の分は、把握できた。三十七人だった。どこに保存していたのか分からないが、出てきた。三十七、という数字が確かにある。
一昨日の分も、出てきた。二十九人だった。
その前の日も。その前も。その前も。
しばらくの間、私は数字を集め続けた。集めた数字を足した。足した合計を、また別の数字と足した。NPCとしての私の計算能力は不明だが、今日に限っては機能していた。機能しているのが少し怖かったが、止める理由もないので続けた。
合計が積み上がっていく。
積み上がるにつれて、何かが変わってきた。数字の手触りが変わった、と言えばいいか。最初は数えられる数字だったのに、積み上がるうちに、数えているのか数えられているのか分からなくなってきた。私が数字を扱っているのではなく、数字の方が私を扱い始めた、という感覚だ。
一年分まで来た時に、手が止まった。
止まった、というのは比喩だ。私に手はある。手はあるが、今日は使っていない。心内語の中の手が、止まった。
一年分の合計は、名前のつけられない大きさになっていた。
名前のつけられない、というのは語弊がある。数字には全部名前がある。私はコードが読める。コードの中に数字の名前は全部書いてある。しかしその数字を声に出そうとした時に、出なかった。出なかったのは、声が出せないからではなく——この数字を確定させることへの、何か得体の知れない抵抗があったからだ。
確定させると、実在することになる。
実在することになると、直視しなければならない。
一年分でこれだ。
では二年分は。三年分は。私がここに倒れ始めてから、全部で何年経つのか。そもそも「年」という単位が適切なのか。もっと長い単位が必要なのかもしれない。もっと長い単位が必要だとしたら——
やめた。
これ以上進んではいけない、という判断を、今日二度目のやめた、が運んできた。今日の私は二度もやめた。記録的だ。褒めたくないが記録的だ。
数えることをやめた理由は、答えが出ないからではない。
出そうだったからだ。
夕方になった。
今日の最後の者が去っていった。振り返らなかった。いつも通りだ。
茂みの薬草が三本ある。明日も三本ある。明後日も三本ある。何百日後も——
私は今日、数えようとして、途中でやめた。途中まで進んで、その先に何かがあると感じて、やめた。
この「やめた」は、昨日の「やめた」とは少し違う気がした。昨日のやめたは、「見たくなかったから」だった。今日のやめたは——なんと表現すればいいのか——「まだその時ではない」という感じがした。
まだ、という言葉の中に、「やがて」が含まれている。
私はその「やがて」を、今日初めて、自分の中に見つけた。
見つけたことに気づかないふりをして、今日は終わりにした。
私は今日も倒れている。
茂みの薬草が、また三本になっている。
いつの間に。誰が。何回目の、三本だ。




