第六話 ヴォイド帝国とやらは、私には関係ない
私は今日も倒れている。
夢のことは、忘れることにした。昨日そう決めた。決めたのだから、今日は別のことを考えよう。例えば今日の天気とか、茂みの薬草の生育状況とか、金髪条約の現状とか。倒れたまま考えられる話題は限られているが、ゼロではない。私は健全だ。完璧に健全だ。夢の話は終わった。
来た。金髪だ。今日も金髪条約は有効だ。健全な朝だ。
「薬草を取ってきてくれないか。礼はする」
私の口が言う。金髪が走っていった。ルートは左の木の根をまたいで——気づくと私はまたルートを確認していた。昨日も、一昨日も確認した。なぜ確認するのか。おそらく数えることと同じ理由だ。私の中の何かが、記録を続けている。目的は不明だ。目的のない記録とは何か。日記か。NPCが日記をつけているとしたら、設計者に申し訳ない気持ちになる。ならないが。
金髪が戻ってきた。三本。礼を言った。去った。正常だ。
昼前になって、声が届いた。
村の入り口の方から、複数の者が話している。私の配置場所からは遠い。言葉の全部は聞こえない。風向きが良い時だけ、断片が届く。
「……ヴォイド帝国が……」
ヴォイド。虚無。帝国。
つまり虚無の帝国だ。ネーミングについて一言申し上げたいが、他国の国名に口を挟む立場に私はない。虚無の帝国と平和の国が争っているとすれば、名前の上では平和の勝利は約束されているように見える。しかし平和の最北端で私が倒れ続けているという現実を見るに、名前と実態の一致については楽観できない。
「……魔王が……討伐に……」
魔王という存在がいるらしい。
らしい、というのは私には確認する手段がないからだ。ここは世界の北の果てで、魔王は南にいるらしい。らしいらしい。噂話で世界が動いている。勇者たちが魔王討伐を目的に動いているらしい。らしいらしいらしい。「らしい」が三つ重なると、世界が急に頼りなくなる。頼りない世界の北の果てで倒れている私は、その頼りなさの最北端にいるわけだ。
いずれにしても、私には関係ない話だ。
魔王がいようと、ヴォイド帝国が攻めてこようと、私の台詞は変わらない。「薬草を取ってきてくれないか」は戦争があっても有効だ。この台詞の不変性は、今や私の数少ない誇りの一つになっている。誇り方がおかしいとは思う。思うが、他に誇れるものがないので、これで誇る。
討伐に向かう者たちを、私は何人見送ったか。
こういう時に、数える機能が役に立つ。正確な数字を出すことは今日はしないが——出せる気がする、というのが少し不穏だ——おおよそのところ、相当な数の者たちが南へ向かうのを見てきた。元気のいい背中で、希望に満ちた目で、去っていった者たちだ。
戻ってきた者を、私は見たことがない。
ゼロだ。これは統計として非常に不吉だ。不吉だが、私には関係ない。関係ないのだから不吉を心配する必要もない。しかし統計は統計として、直視しておく必要がある。何百という出発と、ゼロという帰還。この数字の差を、私は倒れたまま積み上げてきた。数えようとしたわけではないのに、ゼロだけははっきりしている。ゼロは数えなくても分かるからだ。いない、ということは数えられない。いない、ということはただ、ない。
関係ない。
……なぜか他人事という気がしない、と一瞬思った。
思ったが、夢のせいだ。昨日忘れることにした夢のせいに決まっている。忘れることにした夢が余計なところに顔を出してくる。昨日忘れると決めた、と言っているのに。決めた側の立場を尊重してほしい。
気のせいだ。私には関係ない。
声の主たちが、村の入り口の方へ歩いていった。南への道を指さしながら話している者がいた。今日も誰かが出発するのかもしれない。
夕方になった。今日も何人かが来て、何人かが去った。数えたくなくても数えていた。その全員が同じ台詞を私の口から引き出し、薬草を持って帰り、満足した顔で去った。
討伐に向かった者たちの数も、ずっと数えていたのだろうか。
そうだとしたら、帰還のゼロという数字は——
やめた。今日はここまでだ。ヴォイド帝国は私には関係ない。魔王は私には関係ない。討伐に向かった者たちの帰りを、私は待っていない。待つ理由がない。待つことのできない存在が待てないのは、設計の問題であって私の問題ではない。
茂みの薬草が、三本ある。
世界のどこかで、虚無の帝国と平和の国が争っているらしい。
私は今日も、世界の北の果てで、倒れている。




