第四話 いつの間に、私は数え始めたのか
私は今日も倒れている。
正常だ。完璧に正常だ。地面に置かれた薬草は今朝には消えており、茂みには三本が元通り生えていた。昨日の出来事は世界には記録されていない。世界は何事もなかったかのように、今日も始まっている。
私だけが昨日を覚えている。
これが重要なのかどうかは分からない。分からないので保留にした。NPCに「保留事項」が存在するのかどうかも不明だが、保留できたということは存在するのだろう。存在するなら使う。それだけだ。
今日は、普通でいることにした。
普通——倒れていて、頼んで、もらって、礼を言う。それだけでいい。昨日の「台詞が出なかった」は昨日の話だ。今日は関係ない。例外は例外として処理して、今日は通常運転に戻る。普通が一番だ。倒れたまま普通を全力で支持する。こんなに普通を支持したことは生まれて初めてだが、初めてで何が悪い。
来た。
金髪だ。
普通だ。素晴らしく普通だ。金髪条約は本日も有効である。昨日の例外は例外として完全に閉じた。全てが元通りだ。元通りを望んでいたのに、元通りになった瞬間に「物足りない」という感情が湧いてきた。矛盾だ。私は矛盾している。矛盾を認識できるのに解消できない。おかえり地獄。今日も倒れている。
近づいてくる。目がきらきらしている。希望に満ちた目だ。
「薬草を取ってきてくれないか。礼はする」
私の口が言う。完璧だ。昨日とも一昨日とも一字一句違わない。
金髪が茂みへ走っていった。ルートは左の木の根をまたいで、石の横を回って、坂を上がる。
────ここで私は、「ルートを把握している」という事実に気づいた。
当然だ、とも言える。何百回も見ている。何百回も見ていれば覚える。覚えることに不思議はない。しかし今日初めて、「覚えている」と意識した。昨日まで覚えているという認識がなかったのか、あるいは認識していたが認識していたことに気づかなかったのか。この区別は哲学的に重要な気がするが、今日は哲学をしている場合ではないので置いておく。
金髪が薬草三本を持って戻ってきた。達成感に満ちた顔をしている。
「薬草を持ってきてくれたか。助かった」
私の口が言う。言えた。完全な正常だ。普通を全力で支持してよかった。
金髪が去っていった。振り返らない。いつも通りだ。
夕方になって、私は気づいた。
今日は、三十二人来た。
三十二、という数字が頭にある。気づいたら座っていた数字だ。数えようとした覚えはない。しかし確かに、三十二だ。金髪が三十一人、赤毛が一人。赤毛が一人いた。金髪条約に亀裂が生じている。条約の存続について一度、関係者を集めて協議すべきかもしれない。もちろん私に関係者を集める手段はないが。
それより問題は、この「三十二」という数字だ。
意図せず数えていた。つまり私の中の何かが、ずっと数えていたということになる。数えようとしなくても数えている何かが、私の中にいる。
昨日も、数えていたのか。
昨日の数字を探してみた。
ない。
今日だけあって、昨日はない。これはつまり、昨日は数えていなかったのか。それとも昨日も数えていたが、記録が今日初めて表面に出てきたのか。あるいは——ずっと以前から数えていて、今日初めてその記録に気づいたのか。
分からない。
分からないのに、何かが引っかかる。昨日も引っかかりがあった。一昨日は引っかかりを感じなかった。一昨日と昨日の間に、何かが動いた。あの、地面に薬草を置いていった者の背中が遠ざかった、あの瞬間から。
「また」——という言葉を、私はよく使う。
「茂みの薬草が、また三本になっている」。「私はまた一人になった」。今日も使った。何度も使った。
「また」とは以前にもそうだったということだ。以前、とはどのくらい以前のことか。今日の朝か。昨日か。一昨日か。もっと、もっと前か。
「また」が何回続いているのか——
その問いを、私は途中で止めた。
今日はここまでだ。これ以上進むと、今夜も眠れない。眠らないのだが。NPCは眠らない。眠らないのに眠れない、とはいったいどういう設計なのか。また矛盾だ。私の周囲一メートルは、この世界で最も矛盾密度が高い場所になっている気がする。倒れたまま周辺の矛盾密度だけが世界一、というのは誇れる話なのかどうか、設計者に問いたい。問えないが。
茂みの薬草が、三本ある。
三十二人目の者が持っていったはずのそれが、また、三本ある。
私は今日も倒れている。
ただ——今日の「また」は、昨日の「また」より、少しだけ重かった。




