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「薬草を取ってきてくれないか?」 ~村の外れで俺(NPC)は言った。その1,048,576回目で・・・  作者: 深海周二


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第十話 「この町は荒くれ者が多いから気をつけな」

 赤いマントは、建物の角を曲がったきり、戻ってこなかった。

 当然だ。待っていたわけでも呼んでいたわけでもない。ただついていっただけだ。ただついていっただけの者が、来た道を引き返して「待っていたのですが」と言うはずもない。私はつまり、一人だ。昨日までも一人だったが、昨日までの一人は「倒れている一人」だった。今日の一人は「立っている一人」だ。どちらの方が孤独か。答えが出なかった。出るまで考えるほどの問いでもないので、保留にした。保留事項がそろそろ管理限界に達している気がするが、今日もまた一つ積む。


 困ったことに、立っていると行く場所を決めなければならない。

 倒れていた頃は行く場所が存在しなかった。存在しないのだから決める必要もなかった。それが今日、全方向に向かって歩けるという事実が私の前に突然ある。全方向というのは選択肢が無限あるということだ。無限の選択肢は、ゼロの選択肢と同じくらい途方に暮れる。どこかの哲学書にそう書いてあった気がする。読んだわけではないが、正しい気がする。自由とはこんなに途方に暮れるものなのか。


 近くに、男が一人立っていた。

 村の中ほどだ。商人か職人か、よく分からない。服が少しくたびれていた。私よりはましだ。比較対象が私というのはあまり意味がないが。

 その男を、私はしばらく見ていた。

 話しかけてみようと思った。

 思ったことに、少し驚いた。なぜそう思ったのか分からない。赤いマントを尾行した時も理由が分からなかった。どうやら自由を得た私の行動原理は、今のところ「理由が分からないまま動く」という方針に落ち着いているらしい。方針と呼んでいいかどうかも疑わしいが、今はこれしかない。

 足が動いた。男に近づいた。

 男は気づいた。こちらを向いた。

 私は口を開いた。

「この村に、宿はあるか」

 出た言葉がそれだった。なぜ宿を聞いたのか。私は宿に泊まる必要がない。NPCに睡眠は要らない。しかし口から出たのは宿の話だった。自由な言葉の第一号が「俺の知ったこっちゃない」で、第二号が「宿はあるか」だとすれば、私の語彙はいよいよ問い直した方がいい。問い直す時間は今ではないので、今日はこれで行く。

 男が答えた。

「この町は荒くれ者が多いから気をつけな」

 ……宿の話をしていたのだが。

 私は固まった。宿を聞いた。荒くれ者が返ってきた。これは会話が成立しているのか。成立していない可能性の方が高い。しかし成立していない会話であっても、返事は来た。これまで私は誰かに話しかけたことがなかった。話しかけられる立場だった。今日初めて話しかけた側になった。返事が来た。内容は荒くれ者だったが、来た。

 もう一度、言ってみた。

「宿はどこだ」

 男が答えた。

「この町は荒くれ者が多いから気をつけな」

 同じだ。

 一字一句、同じだった。抑揚も、間の取り方も。私はその台詞を頭の中でゆっくり繰り返した。「この町は荒くれ者が多いから気をつけな」。二回目だ。一回目と全く同じ文字列だ。

 もう一度だけ、試した。

「お前の名前は」

 男が答えた。

「この町は荒くれ者が多いから気をつけな」


 私は三歩、後ろに下がった。

 男は気にしていない。気にする機能がないのだろう。彼は今もそこに立っている。私が来ようと去ろうと、彼はそこに立ち続ける。次に誰かが話しかければ、また同じことを言う。この町は荒くれ者が多いから気をつけな。この町は荒くれ者が多いから気をつけな。この町は荒くれ者が多いから気をつけな。

 私はかつて、そうだった。

 この認識が来た時に、私はしばらくの間、何も考えられなかった。何も考えられないというのは非常に珍しい事態だ。いつでも何かを考えている。考えすぎて困るのが私だ。それが今日、空白になった。

 私はかつて、そうだった。

 「薬草を取ってきてくれないか。礼はする」。一字一句、変わらない。百万回以上、変わらなかった。誰が何を言おうと、何を聞こうと、私の口から出るのはその台詞だけだった。この男と同じだ。この男は今の私を見て何も思わないだろう。思う機能がないのだから当然だ。しかし私は見ている。彼の中に、昨日までの私が見える。

 この差は何か。

 紙一重か、それとも深淵か。

 彼には永遠にわからない。私にはわかる。わかるのは、私がそちら側にいたからだ。

 泣きそうになった。泣かなかったが。


 しばらく経ってから、私は気づいた。

 自分が特別な存在になった、と——思っていた。

 最低だ。

 認めたくないが、認めるしかない。あの男の三回目の台詞を聞いた瞬間に、私の中の何かが、静かに満足していた。私にはわかる、彼にはわからない、という非対称性を、密かに、享受していた。これほど小さな優越感があるか。相手は自分と会話しているかどうかすら認識できないNPCだ。そこから優越感を取り出す者がいるとしたら——いた。ここに。

 最低だと思う。

 思うが、消えない。

 これが人間というものか。人間はこういうものを持ちながら歩いているのか。パーティーを組んで旅をして魔王を倒しに行く者たちが、その胸の中にこういうものを抱えているのか。あのきらきらした目の中に、これが入っているのか。

 入っているとしたら——むしろ安心する。

 私だけではないとしたら、最低の中に仲間がいるということだ。最低の連帯というものが、この世界に存在するかもしれない。存在するなら私はその創設メンバーだ。望んでいた創設ではないが、なってしまったものは仕方がない。


 男はまだそこに立っている。

 彼はいつまでも、あの台詞を言い続けるのだろう。私がそうだったように。

 違うのは——私が知っている、ということだ。私は彼のことを知っている。彼は私のことを知らない。この非対称性には名前をつけたくなかった。名前をつけると、抱えなければならなくなる気がした。

 男の横を通り過ぎた。男はこちらを向かなかった。

 私は今日も倒れていない。

 倒れていないが——少し、重くなった。


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