第4話「致死の連戦」
「なな、な、何が起きてるんですか!?」
「舌を噛まないように口を閉じ、しっかりとしがみついていなさい! 怖ければ目を閉じても構いませんよ!」
ネルを片手でお姫様抱っこの形で抱え、疾走するローレ。ネルを安心させるための笑顔の裏、額からは冷や汗を散らしていた。
(音からして黒骸骨の群れ……! それも桁違いの物量ですねぇ。私一人ならまだしも、今は守るべき存在が私の腕の中にいる。危険だと分かっていて来た道を戻るより、追いつかれる前に主の間まで突っ切ってしまう方が賢明です。しかし、残存魔力は六割──戦闘は最小限に留めたいですが……)
「……まぁ、イレギュラーですものねぇ」
第十三層への転移魔法陣を視界に捉えたと同時、青い発光の後ろに幾つかの影がある事に気づいたローレが小さく零す。
同じ頃、ネルも異常事態である事を理解したのか、閉じていた瞳を思い切って開き、純白の杖を腰から抜いた。
ネルが風切り音に負けないぐらいの声量で叫ぶ。
「た、多少の傷は私が治癒します! だからき、気にせず駆け抜けて下さい!」
ネルの叫びにローレは一瞬目を見開き、そして、柔らかく微笑んだ。
「えぇ! 頼りにしてますよぉ!」
「……前方から四体──来ます!」
ネルが目となり、ローレが足となる。会ってから少ししか経っていないはずの二人だが、即席の連携はまるで心が繋がっているかのように自然だった。
「流る体は閃光の如く」
シャリン、とまずは一節目。銀鈴の音色が弾ける。
グラリと体が前に倒れ、重心移動で滑らかに地を蹴り抜いた。
「しっ──」
右手の細剣を一振り。
泥に包まれた液状の魔物を斬り弾き、その踏み込みで転移魔法陣を踏んだ。一瞬の内に景色ががらりと変化する。
──第二十層『泥園』。
「……は?」
「ローレさん! う、上ですっ!」
コンマ数秒の空白、ネルの声によって半ば反射的にバックステップ。天井から落ちてきた強酸性のヘドロが地面をじゅう、と溶かす。
「っ──ありがとうございます!」
「は、はい!! っ、ローレさん、天井に無数の魔物が張り付いていますよ!?」
「そうです、ねぇっ!」
反応が遅れた自らを呪うのも一瞬、地面を深く蹴り抜いて泥水の上を駆ける。そんな中、ローレは内心混乱していた。
(ここは、二十層……!? 何故八層も飛ばされて転移を──いえ、今は天井から振り注ぐヘドロの対処を……!?)
横に広いゴツゴツとした下り坂のような洞窟空間を転がるように疾走。ネルの目を信じ、報告に応じて左右に飛びながら駆け抜けてゆく。
だが、奥へ行けば行くほどにヘドロの雨は数を増し、数刻後には天を埋め尽くす強酸の雨が振り注がれた。
「っ、こんなのどう避ければ……!?」
ネルの悲痛な声色が耳に入る。一斉掃射が来たのだと理解し、躊躇わずに『詩呼びの鈴』の二節目を紡いだ。ローレの声色に熱がこもる。
「剣閃紡ぎし幾万の風」
──シャリン。
鈴の音とともに視界が歪む。それと同時、暗闇を切り裂くように細剣が閃いた。
「はあぁぁッ──!」
ギアを一段上げ、バシュンバシュンと空気の膜を突き破って疾走。天から振り注ぐ強酸の泥雨を右の細剣で斬る、弾く、斬る、弾く。ローレとネルを包むように剣閃のドームが形成され、致命が弾かれていく。
しかし、全ては防ぎ切れずに何滴かがローレの肩や手の甲に降りかかった。
皮膚を突き破り、血管を焼き溶かす言葉にならない激痛がローレを襲う。だが──
「再起の光!」
ネルの持つ杖が白く発光し、ローレの体を包みこんだ。同時に皮膚を焼く痛みが引き、鈍った動きに活力が戻る。予想以上の効果にローレの口角が上がる。
「このまま転移魔法陣を踏み抜きますよッ! 可能であれば二分置きに再起の光を私にかけて下さい!」
「り、了解です!!」
落ちかけた速度が戻り、強酸ヘドロの一斉掃射地帯を切り抜けた二人はその速度のまま転移魔法陣を踏み抜いた。視界が切り替わる。
──深層三十『灰泥の崖』。
移り変わった景色から即座に階層を割り出し、転移魔法陣の位置を把握。地下では存在しないはずの灰色の空に底の見えぬ断崖絶壁。現実では存在し得ない空間構造から、現在地が深層三十である事をローレは確信した。
もはや何らかの作為さえ感じる連戦にローレは酷く不信感を覚えた。
(ここまで二連続で十の位の転換層。転移魔法陣の誤作動もそうですが、イレギュラーが多過ぎる……先程試しましたが、依頼主への魔導通信も繋がらないとは、確実に何らかの意思が介入しているとしか考えられません)
「……ネルさん、私を信じてくれますか!?」
腕の内で震えてはいるものの、目を閉じずに杖を握りしめるネルは間髪入れずにローレの問いに応えた。
「も、勿論です!」
紅玉の瞳がきらりと瞬く。
その瞳に映っていたのは、間違いなくローレへの揺るぎぬ信頼だった。
「残存魔力はあとどれくらいですか!?」
「まだ五割程は残って、ます!」
「──上々です!」
崖上から下を覗くローレとネル。
覚悟を決めるまでの数刻の時間を要していると、背後から二度と聞きたくない、骨と骨がぶつかり合うような音が聞こえ始めた。
(もうここまで近づいていたのですか──!?)
「飛びます!」
「ひゃ、はゃい!」
迷っている時間など残されていない。転移魔法陣へ向けてローレとネルは崖から飛び降りた。
鼓膜を破らんばかりの風切り音が二人の体を包み込む。
底の見えない漆黒の奈落へと真っ逆さまに落下していく中、ローレはネルの細い体を自身の胸に強く抱き寄せた。眼下には、豆粒ほどの大きさに青く発光する転移魔法陣が確認できる。
「──っ!? ローレさん、壁から何か……!」
ネルの切迫した悲鳴。彼女の視線の先、すり鉢状になった断崖絶壁の壁面がボコボコと脈動し、灰色の泥を突き破って『それ』は現れた。
深紅の衣を纏った巨大な百足の骨格。それも一匹や二匹ではない。数十匹もの巨大な骨の化け物が、崖を這い回りながら落下する二人に向けて一斉に跳躍したのだ。
「チッ……! 空中でこれほどの数は、流石に捌ききれませんねぇっ!」
ローレは空中で身体を捻り、襲い来る巨大な顎や鋭い鎌足を、細剣とパリングダガーで受け流すように弾く。しかし、足場のない空中では受け切るには限界がある。
さらに最悪なことに、頭上の崖縁からは、先ほどまで背後に迫っていた数千の黒骸骨たちが、二人を追って滝のように身を投げ出してきたのだ。黒い雨のような骸骨どもの群れ。
(……このままでは、私はともかくネルさんが潰されてしまう)
ローレの脳裏で、冷たい思考が火花を散らす。
判断は、一秒にも満たなかった。
「ネルさん、絶対に私から手を離さないでください」
「えっ──」
ローレはネルを庇うように自らの背中を上へ向け、完全に彼女を覆い隠した。防御を捨てた、純粋な『肉の盾』。
「我が肢体は金剛」
銀鈴が鳴った後、真上から降り注いだ大百足の骨の質量と、黒骸骨たちの凶刃が、無防備なローレの背中を無慈悲に粉砕した。
バキバキと、先ほどポーションで繋ぎ止めたばかりの骨が再び砕け散る嫌な音。数本の錆びた剣が外套を貫通し、ローレの肩や脇腹を深々と突き刺した。その内の数本が致命的な場所に入ってしまう。
「ごふっ……、ぁ゛……ッ!」
口から大量の鮮血が噴き出し、ネルの白い服を赤く染め上げる。
痛覚が振り切れ、視界が明滅する。生命活動が強制終了しかけるほどの激痛。
「ローレさんっ!? 嫌、嫌ぁっ! 死なないで!! もう、私の前からいなくならないでっ!」
「……泣いてる、暇は……ありませんよ、ネル、さん」
血反吐を吐きながらも、ローレの唇は薄く笑っていた。その顔に宿るのは信頼。ローレの瞳はネルの瞳をじっと見つめていた。
ネルはボロボロと大粒の涙を零しながらも、震える手で純白の杖をローレの胸に押し当てる。
「再起の極光ッ!! お願い、お願いだから治って、治ってよぉ!!」
純白の杖先から、先ほどの『再起の光』とは比べ物にならないほどの膨大な魔力が溢れ出す。黄金に輝く治癒の光がローレの全身を包み込み、貫通した刃を押し出すようにして、強引に肉体と骨を再構築し始めた。
超再生に伴う激痛と、負傷の激痛がローレの脳を焼き切ろうとする。
「あ゛ぁぁぁぁぁぁあああッ!!」
魂を削るような咆哮とともに、ローレは残るすべての力を振り絞り、壁面に向けて細剣の衝撃波を放った。その反動を利用して落下軌道を強引に修正する。
真上から数トンの骨の雨が降り注ぐ中、二人は治癒の光に包まれたまま、間一髪で青い発光の中へと滑り込んだ。
直後、上空から降り注いだ無数の骸骨が魔法陣に激突し、空間そのものがグシャリと歪んだ。
◆
──ドサリ。
硬く、冷たい石畳の上に二人は乱暴に放り出された。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………」
「ローレさん! ローレさんっ!! 目を閉じちゃ、駄目です!! 起きてください!! お願い……!」
ネルの必死の呼びかけに、ローレは霞む目を開く。
ネルの過剰なまでの治癒魔法のおかげで致命傷は塞がっていたが、極度の失血と疲労により、指先一つ動かすのも苦しい状態だった。魔力は残り三割を切っている。
ゆっくりと体を起こし、周囲を見渡したローレは目の前の光景に目を疑った。
「……ここは……」
そこは、先ほどまでの泥や灰の洞窟とは全く異なる空間だった。
壁も、床も、天井も、すべてが磨き上げられた黒曜石のような未知の鉱石で覆われた、巨大で無機質な回廊。松明の灯りすらなく、壁面自体が不気味な薄紫色の光を放っている。空気は凍てつくように冷たく、心臓を鷲掴みにするような不気味な気配が漂っていた。
「────」
傍らの壁に、古代文字で刻まれた階層表示があった。
──深層四十『廻天』。
「四十層……? そんな馬鹿な──」
その時だった。
二人が転がり出てきた空間の亀裂が、ガラスが割れるように広がっていく。そして、その亀裂の向こう側から、あの聞き慣れた、忌まわしい骨の擦れる音がオーケストラのように響き渡ったのだ。
先ほど三十層で二人を追っていた黒骸骨の群れ。奴らが空間の歪みを強引に抉じ開け、この四十層へと雪崩れ込んできたのである。
その数は減るどころか、歪の向こうから無尽蔵に湧き出しているように見えた。
「ひっ……!」
ネルが恐怖に顔を引き攣らせ、後ずさる。
回廊の前方は果てしなく続く一本道。逃げ場はない。逃げたとして、追いつかれるのは時間の問題だ。
(……私の魔力も体力も底をつきかけている。最高級ポーションのストックもゼロ。これだけの数を相手にしながら、ネルさんを守り切って先へ進むなど……)
思考が絶望の淵に沈みかけたその瞬間。
再び、脳裏をあの幻聴が掠めた。
自分を庇って死んでいった、青髪の男。腕の中で冷たくなっていった、燃えるような紅い髪の女性。ノイズにまみれた音声が壊れたラジオのように頭に鳴り響く。
──否。
ここで諦めるくらいなら、最初からこの死地に戻ってきたりはしない。
ローレはフラつく足で立ち上がり、ネルの前に立った。
彼の背中を見つめるネルの瞳に、怯えと、そして強い決意が交錯する。
「ネルさん」
「は、はい……!」
「貴方のその莫大な魔力……治癒魔法だけではなく、他者への『魔力譲渡』は可能ですか?」
唐突な問いに、ネルは目を丸くした。
「ま、魔力譲渡……できます。でも……、急激な魔力の流し込みは、ローレさんの魔力回路をや、焼き切ってしまいますよ!?」
「構いません」
ローレは背を向けたまま、右手の細剣を水平に構えた。前方から雪崩込む黒の波を、細めた双眸が捉える。
「私の魔法は、極めて強力な事象を引き起こす代償として、自らの生命力と精神を削り取る代償魔法です。今の私の残存魔力では、次の一撃で間違いなく灰となって消滅するでしょう」
「そんなのダメです!!」
「ですから──貴方が、私を生かすのです」
ローレは振り返り、狂気と理性がないまぜになった、ゾッとするほど美しい笑みを浮かべた。
「私が魔法を放つ瞬間、貴方の魔力をできるだけ私に注ぎ込み、同時に最高出力の治癒魔法をかけ続けてください。私の身体が壊れる端から、強制的に再生させるのです。ネルさんなら……出来ますね?」
それは、文字通りの拷問だ。
体が内側から崩壊する激痛と、それを瞬時に修復する激痛。それが同時に、かつ連続してローレの精神を苛むことになる。それも一歩間違えれば、大質量によって圧死される環境下で、だ。
だが、ネルはローレの瞳の奥にある決して折れない炎を見て、力強く頷いた。ふるふると顔を振って、杖から手を放す。
「……やります」
ネルがローレの背中に両手を押し当てた。
瞬間、ローレの体内に、ネルの純粋で圧倒的な魔力の奔流が流れ込んでくる。内臓が焼けるような熱。しかし、それと同時に黄金の治癒の光が細胞を癒やしていく。
「──さぁ、反撃の狼煙を上げましょうか!!」
ローレは迫り来る数万の黒骸骨の津波を前に、肺の底から息を吸い込んだ。
「灰空に咲く一輪の絶炎」
──シャリン、シャリン、シャリン、シャリン!
空間が狂ったように共鳴し、四重の鈴の音が鳴り響く。
直後、ローレの右腕の皮膚がボロボロと崩れ落ち、灰と化して宙に舞った。限界を超えた代償魔法の反動が、彼の肉体を物理的に消滅させようと牙を剥く。
「──ネル!!」
「再起の極光ッ!!」
ネルが悲鳴のような詠唱とともに、ありったけの魔力をローレに叩き込む。
灰になりかけた右腕の骨に、瞬く間に新たな肉と血管が絡みつき、再生していく。
破壊と創造の凄まじい拮抗。その矛盾したエネルギーの渦の中心で、ローレの細剣が、太陽をも焦がすような極限の『蒼炎』を纏った。
それは、全てを無に帰す原初の炎。
「消し炭すら、残しませんよ……」
ローレは細剣を、黒の群れがひしめく回廊の奥に向けて一息に振り抜いた。
──閃光。
そして、音の消失。
細剣の軌跡から放たれた極炎の奔流が、回廊の空間そのものを焼き尽くす勢いで一直線に放たれた。
炎の波に触れた瞬間、数万を誇った黒骸骨たちが、塵一つ残さず蒸発していく。黒曜石の壁がドロドロに溶け、空気が一瞬にして灼熱の地獄へと変貌した。
圧倒的な光と熱が収束した回廊には、うねるような陽炎と、赤熱した床だけが残されていた。
あの絶望的な黒の群れは、ただの一匹も残っていない。文字通り、完全に殲滅されたのだ。
「がはっ……、はぁっ……はぁっ……」
ローレは膝から崩れ落ち、細剣を杖代わりにして辛うじて身体を支えた。全身から白煙が立ち上り、息をするたびに血の味がする。だが、再生は完了していた。
「……ローレ、さん……」
背後で、魔力を使い果たしたネルが糸の切れた人形のように倒れ込む。ローレは咄嗟に振り返り、彼女の小さな身体を受け止めた。
「よく、やりました。貴方の勝ちですよ、ネルさん」
ローレが優しく声をかけると、ネルは青白い顔でふにゃりと笑い、そのまま意識を手放した。魔力枯渇による気絶だが、命に別状はない。
ローレはネルを抱き上げ、赤熱した回廊の奥へと歩みを進める。数十メートルほど進むと、焼け焦げた空間の突き当たりに、それは存在した。
天井まで届くほどの巨大な、禍々しい装飾が施された両開きの扉。
その表面には、脈打つような血紅色の魔法陣が浮かび上がっている。
(間違いない。ここが、真の主の間……)
ローレは双眸を細め、扉を睨みつけた。
先ほど三十九層を抜けて単騎で討伐した怪物は、本当の主ではなかったのだ。イレギュラーの元凶、あるいはこのダンジョンを狂わせているナニカが、この扉の向こうで待ち構えている。
「……ええ。踊ってやりますとも。最後の最後まで、ね」
腕の中のネルの温もりを確かめるように抱き直し、死に損ないの道化は、不敵な笑みを浮かべて巨大な扉の前へと歩みを進めていった。




