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赫き空の下で終焉の詩を ─記憶なき道化と運命に縛られし少女の円環録─  作者: 馳せ参ず
第一章「めーちゃん」

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第5話「第一転換点」

 地を揺らす轟音の後、主の間(ガーディアンフロア)への扉が開かれた。天まで届くような途方もない扉の奥、目に映った光景は一面の白だった。

 いや、正しく言えば純白の神殿──そうとしか表現できない空間だった。


 もう驚くことに疲れたローレは、何が来るのかを警戒し、自らの血に染まった細剣を構える。背後で気を失っているネルを一瞥し、息を深く吸って──吐いた。


 ローレは恐怖心で竦む足を無理矢理前に突き出し、扉を潜る。そして純白の神殿に足を踏み入れた。


「────っ……?」


 大理石のような床を踏んですぐにバックステップ。奇襲を警戒していたが、神殿は未だ沈黙している。

 荒い息で汗を垂らすローレは、逡巡の後にネルを連れて行く事にした。


 (私の視線から外れた状況はあまり好ましくないですし、いつ転移魔法陣を突き抜けて魔物が雪崩込んでくるのかが不明瞭な以上、留まらせるのは下策でしょう)


「置いていく……つもり、ですか……?」


 声のした方へ振り向くと、魔力枯渇で完全に気を失っていたはずのネルが、壁に手をつきながら、ふらふらとした足取りで立っていた。その顔面は蒼白で、息をするたびに華奢な肩が上下に揺れている。白いブラウスは深紅に染まり、泥と汗まみれ。しかし、ルビーの瞳は依然として光を失っていなかった。


「私、が……無理言って、ここに来たのに…………寝て、なんか……いられません、よ!」

「……貴方も、無茶しますねぇ……」


 杖を地面に突き立てて体を支え、前へ歩くネル。しかし限界を迎えたのか、膝がガクンと折れた。ローレが咄嗟に細剣を収め、滑り込むようにしてネルを支える。


「うぅ……す、すみません……」


 涙目になったネルを見てローレはふっと息を漏らし、こう言った。


「その足では歩くことすらままならないでしょう。仕方が、ありませんねぇ!」


 ローレはため息をつきながら、ネルの左腕を自分の首に回し、しっかりと彼女の腰を抱いて支えた。密着した身体から、お互いのひどく乱れた心音と、生々しい熱が伝わってくる。


「すみません、ローレさん……重く、ないですか?」

「ははっ、冗談でしょう。生きて帰れたら、栄養のあるものを沢山食べさせてやりますからね」

「──ふふっ、そうです、ね!」


 軽口を叩きながらも、ローレの右目は片眼鏡(モノクル)越しに純白の神殿の奥を鋭く睨み据えていた。

 この階層に漂う空気は、先ほどまでの泥と灰、そして灼熱の地獄とは全く異質なものだ。あまりにも静かで、あまりにも清潔すぎる。それが逆に、ローレの生存本能をざわつかせ、背筋に冷たい汗を伝わせる。

 

「…………行きますよ」

「……はい」


 よろよろと歩き出した二人は、門を潜り抜けた。


 二人の足音が、大理石のような純白の床にコツ、コツ、と高く反響する。

 神殿の内部は想像を絶するほどに広大だった。見上げるほど高い天井は淡い光を放ち、等間隔に並ぶ巨大な白亜の柱が、奥へ奥へと誘うように立ち並んでいる。

 魔物の気配はない。骨の擦れる音も、強酸が溶ける不快な音もしない。ただ、果てしない静寂だけが空間を支配している。


 どれほど歩いただろうか。十分か、あるいは一時間か。時間感覚すら麻痺しそうな純白の回廊を進み続けた先の最奥。

 ついに、二人の歩みが止まった。


 空間の中心、小高い階段の上に設けられた祭壇。

 そこに、一切の装飾を排した純白の玉座が鎮座していた。


「あれは……」


 ローレの口から、無意識に乾いた声が漏れる。

 純白の玉座の中心に、ぽつんと『何か』があった。

 それは、空間の白さをすべて吸い込んでしまうような、不気味なほどに真っ黒な球体だった。大きさは両手で抱えきれる程度。一見するとただの黒い石のように見えるが、ピクリピクリと表面が微かに動いているのを見るに、生きている何かということは分かった。


「あれは……何?」

「分かりません、分かりませんが……あまり良い予感はしませんねぇ」


 ──ドクン。


 黒い球体が、一度大きく脈打った。


「────────っ!?」


 息が、できない。

 神殿の空気が一瞬にして重力を持ったかのように、凄まじい圧力が二人の身体にのしかかったのだ。

 それは純粋な魔力圧の暴力。


 (馬鹿な……こんなデタラメな存在が、辺境のダンジョンに潜んでいるなど……あり得ない。これほどの魔力、まるで神話の魔王そのものではありませんか……)


 恐怖を前に体が縛られたかのように動かない。浅い呼吸が短時間の内に繰り返され、胸が締め付けられる。ネルも同様に、ローレに固くしがみつきながら震えていた。

 

 だが、それでもローレはふっと笑った。

 圧倒的格の差、満身創痍、絶望、そのどれもが彼の心を折るに足りない。たりえない。笑わせるな。

 恐怖から目を逸らさず、ローレはソレを睨みつける。

 

「…………死に損なった、私は、何故……生き残ってしまったのか。──私は、知る義務があるのです。だから、こんな場所なんぞで、死んでなんかやれないのですよォッ!」


 ネルを優しく突き放し、球体へ向けて走り出す。その時ローレの脳裏に過ぎったのは、目を覚ましたからの三年間と──紅髪の少女の儚い笑顔。ローレ自身が想像している以上に、ネルが与えてくれたモノは頭に残っていたのだ。

 

 ネルはローレを心の底から信頼してくれた。

 記憶喪失と言っても疑いどころか、涙さえ流してくれた。愛しかった。嬉しかった。初めて認めてもらえた気がした。


 ──だから、ネルを死なせてしまう未来なんて在ってはならない。そんな結末、死んでも認めてやるわけがない。


「はあぁぁぁっ!」


 白き階段を踏み抜き、跳躍。玉座に浮かぶ球体へ向けて細剣を突き出した。


 痛みも、疲れも、限界も、全てに目を瞑った全身全霊。だが、無情にも黒球から光が溢れ出す方が僅かに早かった。


「く……そ…………!」


 球体から放たれた光が、一瞬にして爆発的に膨れ上がり、空間全体を飲み込むほどの巨大な光の奔流となって二人へと襲いかかってきた。


 回避は不可能。防ぐ手段は皆無。


(……これで、本当に終わりですね。せめて、ネルさんだけでも──)


 思えば長い夢のような時間だったとローレは思う。

 この世界は厳しく、幾度も苦しみを生者に与えてくる。


 死者を弔う中、魔物に襲われて命を落とす者もいた。家族を養うためにダンジョンに潜って、帰らぬ人となった家族も大勢見てきた。


 表面上賑やかでも、それは仮初の平穏。辺境潰しフロンティアブレイカーが大陸を駆け回ってようやく成り立つ世界。それは余りにも不安定だった。


 死を覚悟し、ローレは目を強く閉じた。

 灼熱の業火か、それとも身体を消し飛ばす衝撃か。

 来るべき圧倒的な痛みを待ち構え、歯を食いしばる。

 光が迫る中、ただ一点気がかりなのは──


「ネルッ──!」


 その声も直に光に搔き消え、空間が光に満ちていった。


 ◆













「…………?」


 数秒が経過しても、一向に痛みは訪れなかった。

 それどころか、ローレの背中を包み込んだのは、まるで陽だまりのような暖かく、心地の良い波動だった。

 疲労困憊で悲鳴を上げていた筋繊維の痛みが、嘘のように引いていく。折れかけた骨が完璧に繋がり、枯渇してヒビ割れていた魔力回路に、極上の魔力がこんこんと湧き水のように注ぎ込まれていく。

 瞬きをする間に、ローレとネルの肉体と魔力は、迷宮に入る前以上の完全な状態へと回復していた。


「な、何が……起きたのですか?」


 ローレは恐る恐る目を開くと、視線の先にネルの顔が映る。光が満ちる寸前、階段から転がり落ちたのだろう。


 そんなネルも、先ほどまでの蒼白な顔色が嘘のように血色を取り戻し、不思議そうに自分の身体をペタペタと触っている。

 二人が呆然としていると、玉座の方から、甲高く、そしてどこか間の抜けた声が神殿に響き渡った。


「ふぃ〜ビックリしため」


 威厳もへったくれもない、およそ先ほどの絶望的な魔力圧の主とは思えない気の抜けた声。

 二人が玉座に視線を向けると、そこを覆っていた圧倒的なプレッシャーは完全に霧散しており、眩い光も収まっていた。

 そして、玉座の上にいたのは……


「……コウモリ、ですか?」


 人の頭程の球体から小さな黒い羽が生え、三角錐の角を二つ生やしたコウモリのような何か。何処か愛嬌のあるうるるんとした瞳は深い蒼色で、敵意は微塵も感じない。

 ローレがぽつりと零した言葉を、先程まで黒い球体だった生物がムキーっと反論する。


「何失礼な事言っちゃってるぬんか! ヌシは正真正銘『ハピネスバット』! 幸運を運ぶ、まさに平和の象徴めよ!」


 独特でふわふわとした喋り口調の魔物。先程までの空気との落差から、ローレは警戒しようにも体に力が入らない。


 そもそもハピネスバットとは冒険者がダンジョン探索で、次のフロアを探索しにいかせる、いわば捨て駒的要員。人に懐きやすいコウモリ型の魔物を手懐け、ダンジョン攻略に転用したペットのようなモノなのだが……

 

 (受け答えのできる知能に、ツノ……先程の魔力の発生源が……コレ、ですか?)


 頭が痛くなるローレだったが、あいにく今は魔力が回復し、力もみなぎっている。地面に落ちていた細剣を拾って自称ハピネスバットに刃先を向けた。


「そのふざけた名乗り、私が信じるとでもお思いですか? だいたい、先ほどの光は何です? 私たちの身体に、いったいどのような呪いをかけましたか!」

「ののの呪いじゃないめ!? 人聞きの悪いことを言うんじゃないめよ! あれはただの魔力還元め!」


 コウモリ──自称ハピネスバットは、ジタバタと空中で抗議のポーズをとる。


「お主、三十九層で八本足のドロドロの巨獣を倒しため? あいつの落とした(コア)、拾い忘れてため。だから、ヌシが代わりに美味しくいただいて、その莫大な魔力を変換してお主らに還元してやっため! 感謝する事を許すめ!」

 

 その言葉にローレの肩がピクリと跳ねた。


 (確かにあの巨獣を殺した後、(コア)の回収は後回しにしました。三日後の更新が来るまでフロアに落ちた物は消えないですし、何より遺品で四次元収納(ボックス)が埋まってしまいましたからね……)


 兎も角、この魔物が言った事は一応筋が通っている。が、それが信じるに値するかは別の話だが。


「……何が目的なのですか?」


 ローレの低い声に対し、魔物はパタパタとローレの目の前まで飛んできた。

 そして、ローレの右目──金の片眼鏡(モノクル)を、まじまじと、まるで宝石でも見るような切実な瞳で見つめ始めた。


「……ヌシ、最近ちょっと目が見えにくいめ。だから、お主のつけてるその金色のキラキラしたやつ、寄越すめ」


 短い沈黙。

 魔物の要求に対し、ローレは一切の感情を排した声で、冷たく言い放った。


「──お断りします。これだけは、絶対に誰にも渡せません」


 それは、ローレ=アンブークルという虚無の存在をこの世界に繋ぎ止める、唯一の鍵。記憶を失った白い部屋で、本能が「絶対に手放してはいけない」と叫んでいたもの。

 それを、こんな得体の知れない生物に渡すなど、論外だった。


 ローレの冷徹な拒絶を聞いた瞬間、ハピネスバットの大きな丸い瞳から、ぽろり、と大粒の涙が零れ落ちた。


「うっ……ひぐっ……、うわぁぁぁぁぁぁん!! ケチめ! いけずめ! ……また、またそうやって……ヌシのことを……!」


 それはまさに赤子の号泣だった。


「っ、な、何を泣いているのですか……? 私は正当な拒否をしたまでで……」


 ローレは激しく狼狽えた。

 自分が泣かせたという事実以上に、このコウモリの涙を見た瞬間、ローレの胸の奥底がギリギリと締め付けられるように痛んだからだ。

 何故こんなに苦しいのか。何故、この涙を放っておけないと感じてしまうのか。己の内に湧き上がる説明のつかない感情の波に、記憶というワードが頭に飛び交う。


 そんな中、ローレの隣から明るい声が響いた。


「……か、可愛い……」


沈黙を破ったのは、これまで息を潜めていたネルの声だった。


「め?」

「……は?」


 魔物とローレが同時にネルを見る。

 ネルの瞳は吹っ切れたようにキラキラと輝きを放っていて、魔物に引き寄せられるように歩み寄る。 

 魔物が一歩分空中を後ずさった。


「め、め!? お主、何するつもりめ!?」

「りゃー!」


 ジタバタと空中で暴れる自称ハピネスバットをネルは容赦なく両手で抱きしめた。

 そして、笑顔を浮かべてこう言った。


「私、この子の名前決めました!」

「え、名前……ですか?」


 困惑するローレを横目に、ネルは魔物を天に掲げて高らかに言った。


「『めーちゃん』です! 語尾が可愛いので!」

「なっ……! 勝手にヌシの名前を……!」

「よしよし、怖くない怖くない……いい子ですね……!」

 

 ネルに頭を撫でられ、ふやけた表情を浮かべるめーちゃん。まんざらでもないのか、パタパタと羽を揺らしている。


「ふぁ〜……まあ、めーちゃん……それ気に入っため! お主なかなかセンスあるめ」


 そうめーちゃんが呟くと、二人と一匹の目の前に青く発光する転移魔法陣が出現した。


「ほら、早く帰るめ。お主ら、泥と血の匂いで臭いめ。お風呂に入ってさっぱりするのをオススメするめ」


 めーちゃんはネルの腕の中からひょいと抜け出し、魔法陣の方へと促すようにパタパタと飛んだ。


 ローレはその光景を、ただ呆然と見つめていた。


 死を覚悟した最悪の絶望から一転、謎の回復。恐るべき魔力圧の正体は、モノクルをねだる黒いコウモリ。そして何故かそれに命名までしているネル。さらには、突如として出現した地上への帰還魔法陣。

 限界まで張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。

 脳が処理できる情報の限界値を完全に超え、オーバーヒートを起こしたのだ。


「……そうです、か。ええ……はは…………」


 ローレは虚空を見つめたまま、ゆっくりと後方へ傾いた。

 そのまま、大理石の床へと綺麗に仰向けに倒れ込む。


「ローレさんっ!?」

「どうしため!?」


 パニックになるネルの声と、めーちゃんの甲高い声を耳に入れながら、ローレの意識は深い泥のような眠りへと引きずり込まれていった。


 ──かくして、ゲファールリッヒ沈静化は初めて幕を下ろしたのだった。

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