第13話「赫き夜の先へ」
深い、深い泥の底から、強引に水面へと引き上げられるような感覚だった。
肺に酸素が流れ込み、止まりかけていた心臓がドクン、と大きく跳ねる。断線し、焼け焦げていたはずの魔力回路に、圧倒的な生命力を伴った柔らかな緑光が隅々まで浸透していく。
「──様! ローレ、様ッ!!」
「ローレさん……! 目を、目を覚まして下さい!」
耳を劈くような悲痛な叫び声が、次第に輪郭を帯びて鼓膜を揺らす。
ローレは、重く張り付いたまぶたをゆっくりと押し上げた。
最初に視界に飛び込んできたのは、淡い緑色の治癒の光を放ちながら、ボロボロと涙を流すフルーヴの顔だった。彼女の紫色の杖から放たれる魔力は、ローレの生命を繋ぎ止めるために限界を超えて絞り出されている。
そしてその隣には、血と泥に塗れ、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる紅髪の少女、ネルがいた。
「……おや。随分と、騒がしい目覚めですねぇ」
掠れた、しかし確かに道化としての飄々とした響きを持った声。
その声を聞いた瞬間、フルーヴは杖を取り落としそうになりながらローレの胸に顔を埋め、ネルは「うあぁぁ……!」と声にならない安堵の叫びを上げてその場にへたり込んだ。
ローレはその光景に眉を落とし、二人に大きな心配をかけたことに痛みを覚えた。
「フルーヴさん、それにネルさん……貴方たちが、私をあの泥濘から引きずり上げてくれたのですね」
「──起きたか、この大馬鹿野郎め!」
頭上から、憎まれ口を叩く甲高い声が降ってきた。
ローレが上へ視線を向けると、そこにはふらふらと不器用に宙に浮くめーちゃんの姿があった。
だが、その姿を見た瞬間、ローレの双眸が鋭く見開かれた。
「めーちゃん……その翼は……!」
めーちゃんの背中にあるはずの二枚の黒い翼。その左翼が、無残に根元から引き千切られていたのだ。切断面からは赤い血が漏れ出し、痛々しい。
あの絶望的な成れ果てとの戦闘。ローレが意識を失っている間、この小さな魔物が、ネルと共にどれほどの死線を潜り抜けたのか。そして、己の身を削ってでも、ローレの元へネルを、そして仲間を導くための時間稼ぎをしたことは想像に難くなかった。
自らの回復に魔力を使うこともできたはずだ。魔物であるめーちゃんならば、翼の再生すら可能だったかもしれない。だが、めーちゃんはそれをせず、ローレが目覚めるまで全神経をこちらの護衛と状況把握に注いでいたのだろう。
「……何でもないめ。ちょっと虫に刺されただけめよ」
めーちゃんはプイッとそっぽを向いたが、その小さな身体は小刻みに震えていた。
ローレはゆっくりと上体を起こし、めーちゃんに向かって深く、そして芝居がかったものではない、真摯な礼をとった。
「感謝します、めーちゃん。貴方が己を犠牲にしてくれたからこそ、私はこうして再び息をしている。……この借りは、必ず。ネルさんも、私が不在の中、本当にありがとうございます」
「ふ、ふんっ! ヌシに恩を売られたんだから、せいぜい馬車馬のように働くめよ!」
「わた、私は……ローレさんが生きてるなら、良いんですよっ……!」
そんなやり取りの最中、ローレの傍らに突き立てられたままの細剣の鞘が、チカチカと白い光を明滅させた。
魔導通信だ。
ローレはすぐに鞘を右手で掴み取り、「ローレ=アンブークル」と唱える。
「ローレッ! ローレ=アンブークル!! 意識は戻ったの!?」
鞘の魔核から響くのは、臨時総司令官となったリール=フェンダーの切羽詰まった声だった。平時の冷静なオペレーターの姿はそこになく、張り裂けんばかりの悲壮感が漂っている。
「ええ、リール。少々、寝てしまっていたようですね」
「馬鹿っ、軽口叩いてる場合じゃないわよ! ……良かった、本当に良かった……っ」
一瞬だけ声を詰まらせたリールだったが、すぐに司令官としての冷徹なトーンを取り戻した。
周囲から響き渡る爆風や剣戟の音に負けぬ声でリールが状況を説明する。
「現在の戦況を伝えるわ。ゲファールリッヒは完全に氾濫を起こした。現在放出されている魔物の数は四万以上──過去類を見ない最悪の波よ。また、ゲファールリッヒ沈静化作戦の最前線は、ゼーラス聖王国から急派された優秀な魔導兵、剣術兵、百二〇からなる部隊、そして『雷霆』を含むクラス銀光の冒険者達、さらに──」
「天光、シリエ=エレイソンですね。彼女の魔力の残滓は、ここからでも嫌というほど感じますよ」
ローレの言葉に、リールは重く息を吐いた。
「そうよ。シリエが最前線で文字通り『防波堤』になっている。でも……限界よ。物量が桁違いすぎる。兵の消耗も激しく、陣形が瓦解するのは時間の問題……それに、もっと絶望的な報告があるの」
ゴクリ、と通信越しの息を呑む音が聞こえた。
空気が張り詰める。
「ゲファールリッヒの深奥……底の底から、かつて観測したことのない規模の、強大な魔力反応が浮上しつつあるわ。このままでは、前線を突破されるだけでなく、大陸南部の生態系そのものが脅かされる可能性すらあるのよ……」
絶望を告げるリールの声。ネルもフルーヴも、恐怖に顔を青ざめさせている。
だが。
「──ふっ。ははははっ!」
ローレは、血に塗れた顔で、三日月のように口角を吊り上げて笑った。恐怖心さえも笑い飛ばしてしまえ。
「上等ですねぇ!!」
その笑みには、狂気と、そして何よりも研ぎ澄まされた刃のような殺気が宿っていた。
ローレはゆっくりと立ち上がる。
視線を上げれば、夜の闇を焼き尽くすように、空が不気味な『赫色』に染まり始めていた。
白き月が血を被ったように赫く。
地を照らす星々は血溜まりのように。
天を覆う帳は深紅に。
──三年前、空は赫く染まっていたの。
記憶を失った真っ白な部屋で、傍らにいた白衣の女性がぽつりと零した言葉。
三年前の範囲消失。半径六〇〇キロメートルの命を消し飛ばしたあの日の空の色が、今、再びこの辺境の地に顕現しようとしている。
大地が、悲鳴を上げるかの如く震え始めていた。
(……ええ、覚えていますとも。魂が、細胞が、この赫き空を拒絶している)
ローレは己の右目に輝く金の片眼鏡にそっと触れた。
何を守れなかったのかは分からない。だが、二度と同じ悲劇を繰り返させはしない。そのために、自分は地獄の底から這い上がってきたのだ。
ゆらりと立ち上がり、鈍色の細剣とパリングダガーを両の手に強く握りしめる。ローレはゲファールリッヒの方角へ体を向けながらネルとフルーヴに声をかけた。
「ネルさん、フルーヴさん」
「は、はいっ!」
「はい……!」
ローレの鋭い声に、ネルとフルーヴが背筋を伸ばす。
「──残る魔力の全てを、私にお願い、します……!」
魔力譲渡の要求。
ローレが目を覚ますまででもかなりの魔力をローレに注ぎ込んだネルとフルーヴだったが、彼女らに浮かんだ選択肢は一つだけだった。
「「はいっ!」」
有無を言わさぬローレの瞳の奥にある炎を見て、ネルとフルーヴはこくりと頷き、ネルは右手を、フルーヴは左手をローレの背に当てた。二人の掌から柔らかな光が漏れ出す。
同時に、フルーヴが懐から禍々しいほどに濃密な紫色をした小瓶を取り出す。
「ローレ様、これを。私の持ち得る最高の魔力回復ポーション、『星辰の雫』です。 ……どうか、ご無事で」
ローレは小瓶を受け取ると、歯で栓を抜き、一気に呷った。
瞬間、ネルとフルーヴの魔力譲渡と極上のポーションが混ざり合い、ローレの体内で爆発的な熱量が吹き荒れる。焼けた回路が強引に接続され、全身の毛細血管が青白く発光するかのような錯覚。
パチンッ、と。
ローレの中で、何かのスイッチが切り替わった。
道化の仮面が、今、完全に戦鬼のそれへとすげ替わる。
細剣を鋭く一振りして、血の汚れを払う。
そして、暗闇と赫き空が交差する絶望の戦場へと視線を向け、彼は高らかに、歌うように宣言した。
「さあ、見せてやりましょう。私の三年間を──!」
ドンッ!! と地面が陥没するほどの踏み込み。
銀色の髪を彗星の尾のように引いて、ローレは単騎、四万の軍勢が蠢く死地へと駆け抜けていった。
◆
風が、肌を撫でる。
いや、それは風ではない。前線から押し寄せる、濃密な瘴気と血の匂いが混ざり合った死の波動だ。
ローレは平原を走り、ゲファールリッヒへと続く戦場に飛び出した。
視界を埋め尽くすのは、狂気を孕んだ赫き空の下、大地を黒く塗りつぶす魔物の大群。
異形の獣、骨の群れ、空を覆う腐肉の鳥。
その只中で、聖王国の魔導兵たちが掲げる光の盾が次々と砕かれ、叫び声が響き渡っている。
「下がれ! 陣形を立て直せッ!!」
「駄目です、右翼が突破されました! これ以上はッ──」
「耐えろッ、絶対に、絶対にここを通すなッ!! 死んでも守り切れッ!!」
絶望的な悲鳴が飛び交う中、戦場の空気を切り裂くように、澄んだ銀鈴の音が響いた。
「流るる体は閃光が如く」
ローレの身体がブレたかと思うと、前線を突破しようとしていた巨大なオークの首が、音もなく宙を舞った。
血飛沫が上がる間もなく、銀色の閃光が戦場をジグザグに駆け巡る。
「な、なんだ!?」
「援軍か!?」
「無も知らぬ者よ! 助かるッ!」
混乱する魔導兵、剣術兵達の間をすり抜けながら、ローレは止まらない。
彼はただの剣士ではない。かつて己のすべてを喪い、それでも「誰かの明日」を守るために血を吐き続けてきた辺境潰しだ。
「氷槍一点牙突」
極低温の冷気が細剣に宿る。
ローレは密集する魔物の群れの中央へ体を投げ込み、強烈な踏み込みとともに正面へ刺突を放った。
「疾ッ──」
パァンッ!! という破裂音とともに、直線二百メートルの魔物が一瞬にして氷像と化し、次の瞬間に粉々に砕け散る。
氷の破片がダイヤモンドダストのように赫き空の下で舞う。その美しさと裏腹な致命の威力が、前線に僅かな空白を生み出した。
(まだだ。まだ足りない)
ローレは思考を加速させる。
魔力回路はネルとフルーヴの恩恵で一時的に過剰駆動しているが、長くは持たない。だが、彼の瞳に迷いはない。
泥濘の平原を滑るように駆け抜けながら、ローレは迫り来る異形の群れを見据え、薄く笑う。
「剣閃紡ぎし幾万の風」
刃の速度上昇。
ローレの周囲に剣閃が煌めき、不可視の刃となって顕現する。接近しようとした小型の魔物たちは見えない刃に切り刻まれ、黒い血飛沫を上げて肉塊へと変えられていく。
さらに、ローレは漆黒の外套を羽ばたかせるように地を蹴り、魔物の頭上スレスレに体を滑り込ませながら細剣ごと体を振り回す。
「降り注ぐは落星の裁き」
空に舞ったローレの細剣から、圧倒的な重力波が叩きつけられた。硬い外殻が軋み、臓器が破砕する醜悪な音が響く。地面がすり鉢状に陥没し、眼下の群れは瞬く間に圧殺された。
だが、四重の代償魔法の反動は無慈悲だ。右腕の筋肉が断裂し、全身から血が噴き出す。脳髄を焼く苦痛——しかし次の瞬間、柔らかな緑の光が彼を包み込み、ローレを死の淵から引き戻した。
(感謝しますよ、ネルさん、フルーヴさん──っ)
落下の最中、ローレは冷徹に唇を動かす。
「──束ねて、終演」
極限まで圧縮された魔力が弾け、蓄積された代償と効果が一気にリセットされる。着地の衝撃をそのまま推進力へと変換し、彼は息継ぎすら許さぬ速度で再び詩を紡いだ。
「流るる体は閃光が如く」
涼やかな鈴の音が、血煙を切り裂く。
再び超常の加速を得たローレは、死闘を繰り広げる聖王国の剣術兵たちや冒険者達の間を、一陣の暴風となって駆け抜けていった。
「退くなァッ! 聖王国ゼーラスの誇りを見せろッ野郎どもォッ゛!」
赫き空の下、魔物の咆哮すらも掻き消す豪快な怒号が響く。ゼーラス聖王国の剣術兵団長だ。全身を分厚い白銀の鎧で包んだ彼が、身の丈ほどもある大剣を横一文字に薙ぎ払う。それに合わせて刃から放たれた黄金の斬撃波が、雪崩れ込んでくる深紅の骨格百足の群れを十数体まとめて両断した。
「団長に続けッ!!」
彼の背中を守るように、屈強な剣術兵たちが幾重にも重なる鉄壁のファランクスを敷き、魔物の津波を己の血肉で押し留めている。一人が倒れれば即座に次の一人が穴を埋める、文字通り命を懸けた防衛線だ。
その防衛線の左翼では、一際激しい局地戦が展開されていた。
「オラァァッ! 俺の盾は砕けねェよッ!!」
階位銀光の盾士、ゴールアーラン。彼の構える黄金の分厚いタワーシールドが、地響きを立てて突進してきた四つ足の巨大魔獣を真正面から受け止める。落雷のような激突音が響き、彼の足元の地面が深く抉れ、両腕の筋肉がはち切れんばかりに膨張するが、その巨体は一歩も退かない。むしろ押し返している。
「ゴールッ! そのまま押さえとけッ!」
「オウよッ!」
その強固な巨盾を足場にして跳躍したのは、同じく『雷霆』の若き剣士ムート。長剣を宙で振り抜いた。
「紫電烈破ッ!!」
上段に構えたムートの長剣から、眩い紫色の雷光が迸る。重力に引かれるまま、彼は魔獣の脳天に紫電を纏った剣を深々と突き立てた。閃光が弾け、魔獣は周囲の敵もろとも黒焦げの炭へと変わる。若き冒険者たちの連携が、崩れかけていた戦線をかろうじて繋ぎ止めていた。
「──お見事ですねぇ」
すれ違いざま、ローレが道化の笑みを浮かべて囁くと、着地したムートが幽霊でも見たかのように目を見開いた。
「師匠ッ!? 生きて──」
「ええ。少しばかり、冥界の淵を散歩してきましてね。後でたっぷりと褒めてあげますよ」
足を止めることなく、ローレはさらに前線の奥深くへと切り込んでいく。
「狂騒の輪舞曲」
銀鈴の音の後、細剣の刀身が微細な超振動を起こし、あらゆる装甲を紙のように切り裂く絶対の斬れ味を獲得する。
迫り来る甲殻魔獣の硬い外殻を、バターを斬るように容易く両断していく。右へ左へ、泥濘の血の海で流麗なステップを踏みながら魔物の群れを切り刻む姿は、死地にあってなお優雅な舞踏そのものだった。
味方の冒険者たちや兵士たちが、信じられないものを見るように歓声を上げる。
「なんだあの動き……魔物の群れが、溶けていくぞ……!」
「辺境潰しだ! ローレ=アンブークルが復帰したぞォォッ!」
「本当!?」
伝播する熱狂が、兵士や冒険者達の士気を爆発的に跳ね上げる。
その歓声を背に受けながら、ローレはさらなる最深部へと瞳を凝らした。
戦場のもっとも深い場所。赫き空の真下で、一際激しい光と音が交錯し、凄まじい魔力と血の匂いが渦巻いている場所がある。
「はぁぁぁぁぁッ!!」
天光、シリエ=エレイソン。
彼女の修道服は本来の白さを失い、返り血と自身の血で赤黒く染まっていた。美しい獣耳は汚れ、蒼い瞳には狂気じみた戦意が宿っている。
数千の魔物の波に完全に包囲され、飲み込まれそうになりながらも、たった一人で狂気じみた猛攻を凌いでいる純白の柱。
限界をとうに超え、己の血を流しながら、回復に回すべき魔力をすべて物理的な破壊へと転化し、ただ一人で決壊寸前の前線を支え続けている。
その時。
シリエの足元、死角となる地面がボコボコと膨れ上がり、四本の巨大な鎌を持つ甲殻魔獣が奇襲を仕掛けた。
シリエは前方の敵を消し飛ばした直後。極度の疲労で集中力の乱れたシリエは反応できなかった。
「しまっ──」
シリエが覚悟を決めて歯を食いしばった、その刹那。
「──間に合いましたねぇッ!!」
上空から、極限の蒼炎を纏った銀の流星が降り注いだ。
「地に咲く一輪の絶炎ッ!!」
シャリン、シャリン──!
二重の鈴の音が鳴り響き、ローレの細剣が甲殻魔獣の脳天に突き刺さる。
直後、太陽の如き蒼炎が爆発的に膨れ上がり、魔獣を一瞬にして灰すら残さず蒸発させた。余波の炎が周囲の魔物を焼き払い、シリエの前方にぽっかりと扇状の安全地帯を作り出す。
炎の中から、黒い外套を翻し、右腕の皮膚を代償魔法の反動でボロボロに崩しながらも、不敵に笑う道化が姿を現した。
「遅参、お許しいただけますか? 愛らしき聖女さん」
ローレが振り返り、片眼鏡の奥でウィンクをして見せると、シリエは血に塗れた顔で、一瞬ぽかんとした後、破顔した。
「……ふふっ! まったく、我が主はいつもこうなんですからっ!」
シリエは錫杖を地面に突き立て、荒い息を吐きながらも立ち上がる。
ローレとシリエが手を取り合う姿を見た瞬間、絶望に沈みかけていた聖王国の兵士たち、銀光の冒険者達、そして『雷霆』のメンバーの間に、爆発的な歓声が沸き上がった。
「ローレさんだ!!」
「序列一位と二位が合流したぞォォォォッ!!」
戦場の空気が、一変した。
士気が最高潮に達し、恐怖に後ずさっていた兵士たちが再び武器を強く握り直す。
「シリエ。これより反転攻勢に出ます。背中を、任せましたよ?」
「もとより、そのつもりですよっ!」
「頼もしいですねぇ」
ローレは細剣を水平に構え、シリエは金の錫杖を天に掲げ、赫き空の下で無限に湧き出すゲファールリッヒの入り口を睨み据えた。
「今の私には、背中を任せられる仲間が腐るほどいますからね。敗北など存在し得ませんよ」
その言葉に、シリエは満足げに八重歯を見せて笑った。
彼女はすぐさま黄金の光をローレへと繋ぐ。
「聖癒の響き! 存分に暴れましょう、我が主よッ!」
「ええ。この舞台、最高のフィナーレで飾ってみせましょう!」
ローレ=アンブークルの身体が、再び銀色の閃光となって魔物の群れへと突撃する。
その後ろ姿には、もう迷いも、記憶を失った虚無も存在しなかった。
あるのはただ、理不尽な世界に反逆し、大切な者たちの明日を斬り拓く、一人の『英雄』の背中だけだった。
赫き空の残響を切り裂き、反逆の道化師の舞踏は、いよいよ苛烈を極めていく。
──反転攻勢の合図が今、火蓋を切って落とされた




