第12話「英雄の回帰」
「──状況は!?」
時刻は深夜二時。
迷宮総括機構のオペレーター室に切迫したリールの声が響く。
それに応じる声が幾つも上がった。
「銀光三名で構成されるパーティー『雷霆』がローレ=アンブークルの元へ到着! フルーヴ=フィリアが意識回復を試みているとのことですッ!」
「天光シリエ=エレイソン様がゲファールリッヒの入り口で敵戦力を削っていますッ!」
「──出ました!! ゲファールリッヒは氾濫を起こしており、推定四万の魔物が放出される予測ですッ!?」
左右から飛び交う報告をリールは冷静に対応していく。
「……ラヴ、ローレ=アンブークルの保護を魔導警報にて通達なさい。──周辺街、人民の避難はどうなっていますか?」
「それにつきましては滞りなく! ウーラン支部ギルドの冒険者が先導しており、予定よりも早く街を脱しているとの事です!」
「重畳よ」
オペレーターに返した言葉に反して、リールの表情は決して明るくなかった。否、真逆であるといえよう。
手元に集まっていく情報を脳で処理しつつ、リールは己の親指を甘噛む。
(想定の何倍も魔物の拡散速度が早い……! このペースで魔物が進軍すれば、或いは……三年前の惨事を引き起こす可能性だって捨てられない)
頭を過る最悪にリールは顔を歪め、机に拳を振り下ろした。オペレーター室の空気が一瞬静まり返る。
こうしてる間にも時間は過ぎていく。
指数関数的に魔物が溢れ、命が削れていく。氾濫とはそういうものだ。
そう、分かっている。
分かってはいる。
分かっているが──
「もう、あの時の、二の舞にはさせないッ……絶対に、絶対に、よッ!」
「リール……」
鞘の魔核から見える地に伏したローレの姿を見て、リールは爪が食い込むほど拳を握りしめる。
ここにいるオペレーター達全員もそうだ。
自らの担当するパーティーを死地へと向かわせる──それがどれほど辛い事か。
後方から状況把握と報告、救援要請しかできない事を──己に戦う力がないことをどれほど呪ったか。
リールは深く息を吐き、深夜のオペレーター室を一度見渡した。
(これが終わったら私は責任をとって解雇でしょう。ま、大切な人を守れるなら………………いいか)
その表情には確かに寂しさが浮かんでいて、拳は力みとは別に震えていた。
その時、オペレーター室を切り裂く報告が入った。
「リールさん! 最高責任者から伝達です!」
「ッ──言って!」
ドクンッと、心臓が脈打った。
無断で魔導警戒を出した事か?
報酬として冒険者階位を上げると約束したことか?
ローレ=アンブークルの名を使い、ゼーラス聖王国の助力を依頼したことか?
覚悟はしていたが、あまりの早さにリールの息が詰まる。端正な顔立ちは崩れ、息は無意識の内に浅くなっていた。
──本当は、この職場を離れたくないし、何よりローレの担当オペレーターのままでいたかった。
「読み上げます──」
やめて。
やめてやめて。
嫌だ、聞きたくない。
ここまで来るまで多くの時間を注ぎ、努力を惜しまず、己を削って、やっと手に入れた立場。
人命のために手放すなんて、容易な、はずだろう? リール=フェンダー?
ふわふわとした意識でようやく覚悟が決まり、時の流れが元に戻った。
報告者の口が開かれる。
「リール=フェンダー。キミを此度のゲファールリッヒ沈静化作戦の臨時総司令官に任命する。──最善を目指し、励む事」
「────っ!?」
ぶわりと鳥肌が全身を通り抜けた。
予想とは違った報告にリールの動きが止まる。
そんな、理解が追いつかない固まりきった背中にバンッと手が当てられた。
「ほら、しっかりしなさいよ! リール総司令官? 私達みんな次の指示を待っているけれど?」
旧友の言葉にリールは涙を流しかけ、踏みとどまる。
総司令官となったならば、行動でそれを示さなければならない。
再び全体を見渡し、リールは腹の底から声を絞り出して叫んだ。
「〜〜ッ、あぁもう! みんな馬車馬の如く働かせるから! ──ゲファールリッヒ沈静化作戦、必ず成功させるよ!」
「「「「「はッ!」」」」」
リールの両手を強く叩いた音に合わせ、多くのオペレーターが熱のこもった返事を返す。
天井に広がる地図を、蠢く黒い数多の点と、総括機構側の赤い点が今、衝突しようとしていた。
◆
意識は、宙に浮かんでいた。
或いは地面に。
否、それはどうでもよかった。
生暖かい空気に包まれ心が安らぐ。
──ローレは今、生死の最中にいた。
混濁した意識が深く暗い泥濘の底へと沈み込み、ぬるい感覚に囚われているのだ。
「ここは……私は……?」
ローレの目が真っ白な空間で開かれる。
その視線の先にはぷかぷかと宙に丸まって浮かんでいる『ローレ=アンブークル』の肉体があった。
「…………」
触れようと近づいたが、触れるための肉体がない。
意識はすぐに触れることを諦めた。
──嗚呼、何とも心地良い。
聞けば、『ローレ=アンブークル』は最強で、最優で、思慮深かったらしい。
数多のダンジョンを瞬く間に沈静化し、目に入る命全てを救い、最後には世界を破壊しかけたダンジョンと相討ちまで持ち込んだ『英雄』だそうだ。
それはまるで神話に語られる『御伽噺』。
人一人に収まる器ではない。
だが、そんな世界の英雄は三年前の範囲消失にて死んだ。
大陸最大級の山脈『ヴェンチャー』にて発見された無もなき迷宮。それは長い年月をかけて成長し、発見されるまでの間一度も沈静化されていなかったのだ。
結果的にダンジョンは異常な氾濫を起こし、防衛作戦に臨んだ冒険者の八割を殉職させた。
半径六〇〇キロメートルの生命を根こそぎ死滅させたのだ。
それを、ローレ=アンブークルは死んだ仲間と共に半永久結界で封印し、生還したらしい。……記憶を失って、だが。
ローレ=アンブークルという名は余りにも重すぎた。
私は英雄でも何でもない。
泥臭い戦い方しか知らない。
全てを救うことなんかできない。
己の事で精一杯だ。
もう、疲れた。
精一杯やった。
何をしても過去の知らない自分と比べられる。
ローレ=アンブークルをなぞるだけの人生に疑問符が浮かぶ。
上手く演じきれていただろうか?
上手く笑えていただろうか?
上手く、上手く……
もう良いだろう。
もう十分だろう。
頑張ったと、もう十分だと──言ってほしい。
泣きつく事も、吐き出すこともできずに、私は死ぬのだろう。
意識は宙に浮かぶローレ=アンブークルを見上げ、目をそらした。
深い、深い泥の底へ沈んでいくような安堵感。あらゆる痛みからも、重すぎる責任からも解放される永遠の微睡み。
目をそらした先の暗闇は、ひどく静かで、心地よかった。
だが──その絶対の暗闇に、ぽつりと小さな灯りが灯る。
最初は幻覚かと思った。しかし、光の粒は次々と生まれ、やがて鮮明な色彩を伴った記憶の欠片となって私の網膜を強烈に焼いたのだ。
『──ローレさん、パパとママを助けてくれてありがとう!』
泥濘のような三年間。私が命を削り、血を吐きながらも、絶望の淵から拾い上げた見知らぬ人々の命。彼らの屈託のない、泣き笑いの表情が万華鏡のように駆け巡る。
『僕たちの師匠は、生涯ローレさんだけっすよ!』
『成長したらよ、背中は俺たちが守るからなッ!』
『私を……見捨てないでくれて、ありがとうございます……!』
不器用で、成長途中、けれど誰よりも強くなる予感がした彼ら。ムート、ゴールアーラン、フルーヴ。彼らと共に焚き火を囲み、馬鹿みたいな夢を語り合って笑った、不毛で愛おしい夜の記憶。
そして。最後に浮かび上がったのは、血と泥に塗れながらも、私を信じて力強く見つめ返す、一人の少女の瞳だった。
『どうかお願いします……私を……連れて行って下さい!』
死線の中で聞いた、あの震えるような祈りの声。
ああ……ダメだ。
あんなに不器用で危なっかしい子を一人にして、ここで終わるわけにはいかないじゃないか。
──ポツリ。
水面を叩く小さな音で、私は自分が泣いていることに気がついた。
とうの昔に枯れ果てたと思っていた感情が、形となって頬を伝っていく。温かい。痛いくらいに、心が熱い。
そうだ。私は『死にたかった』わけじゃない。
『もう十分だ』と誰かに許されたかった。楽になりたかった。けれど、それ以上に──私は、あの温かな光の中へ、彼らのいる場所へ帰りたかったのだ。
ただ、彼女たちが明日も笑って生きられる世界を創りたかった。
私が消えれば、あの子はどうなる?
誰が背中を守る?
嫌だ。譲れない。あの子の明日を理不尽に奪われることだけは、絶対に許さない。
燃え尽きたはずの魔力回路が、幻痛を伴って悲鳴を上げた。
構うものか。線が切れているなら、魂の熱で無理矢理繋ぎ合わせろ。
命の底で燻っていた小さな火種に、『生きたい』という強烈な意志が注がれ、業火となって燃え上がる。
意識は顔を上げた。
宙に浮かび、静かに死を受け入れようとしている『諦観したローレ=アンブークル』を睨みつけ、そして、その虚像を真っ向から叩き割る。
「……まだ、終われません」
声が出た。魂の底からの咆哮だった。
こんな暗闇で休んでいる暇はない。地上では今この瞬間も、私が守り抜くと決めた者たちが死線を彷徨っている。
私を呼ぶ声がする。温かく、ひどく懐かしい祈りが、魔法となって私の枯れた身体に注ぎ込まれているのを感じる。
ならば、応えなければならない。
それが『辺境潰し』ローレ=アンブークルの、たった一つの意地だろう。
泥の底から水面を目指すように、必死に意識の腕を上へ、上へと伸ばす。
暗闇が徐々に薄れ、代わりに鮮烈な緑色の光が視界を侵食し始めた。ズタズタに引き裂かれた魔力回路に、他者の膨大な魔力が流れ込み、止まりかけた心臓を強制的に叩き起こす感覚。
「──様! ローレ、様ッ!!」
「ローレさん……! 目を、目を覚ましてッ!」
「起きろよ、起きろめ……!」
耳を劈くような悲痛な叫び声と、戦場の喧騒。血と硝煙、そして微かな土の匂い。
すべての感覚が、暴力的なまでの質量を持ってローレを現実に引き戻す。
重く閉ざされていたまぶたが、ピクリと震えた。
そして──
終わる世界へ抗う道化は、再び赫き空の下で、静かに眼を開いた。




