023 ラバの訓練
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「おっ!やってるね。どうだい?調子は」
俺たちが補助付きでラバの背に乗って調馬索に精を出していると、馬に乗ったサフランが姿を現した。
「サフランさん、お一人なんですか?他の人は...」
「ああ、私は昼前で仕事が終わったけど、エスピーヌや会長は大忙しで抜け出せない状態でな」
「えっ?そんな忙しいんですか!?昨日結構長い時間付き合ってくれてたので、そうでもないのかなと思ってましたよ」
エスピーヌは商隊の長で、確か昨夕に仲間の馬車が戻って来る予定だった筈で、2~3日の休養を取った後に次の準備をすると聞いていた。とすれば、今日や明日は休みか仕事があっても忙しいとは思ってなかった。
アガペーネに至っては、大きな商談が無ければ従業員に仕事を丸投げしていても商会は回るだろうから、そんなに忙しくはないと思っていたんだが...
「どうも昨日私たちが店を出た後から石の問い合わせが貴族連中から一気に増えたらしくてね。エスピーヌも駆り出されたんだよ。それと、そこまで話が広まっているのに王宮に黙っていては不味いって事で、朝から王宮に二人が石を見せに行っていたんだよ。私はその護衛に付いていっていたんだ」
「ええっ!?あの石で、そこまで話が大きくなるんですか!?」
「...あのねぇ。そこまでの話なんだよ、あの石は。もう少し自分の扱う商材について知っておいた方が良いと思うよ?」
そりゃ自分の扱う商材については勉強してはいるけど、人の評価まではまだ知らないからこそ買い取り価格に驚いたのだ。
因みに昨日、ザール商会の三階にある宝石売り場で、唯一店に残っていた大粒の石の付いた指輪の値段を見て納得した。その大きさの石が1個あれば王都に豪邸が建つと言うのは嘘ではない、と。ただ、ちょっと強気過ぎる値段付けなのか売れ残ってはいた。売り場の主任を捕まえて話を聞いてみたのだが、店の格を保つ為にもそう安売りは出来ない、と。それにこの大きさの石は王族の持つ石に匹敵するので、そんなに簡単に手に入る値付けでは王族にも失礼だ、と。
「石自体の勉強はしてきたんだけど、世間からの石の評価となると...まぁ、それはこれからですね」
「...悠長な話だね。ま、損しないように。特にシャイニーちゃんが困るような事になったら、私が黙っちゃいないからね!」
ジロリとサフランが俺を睨む。こ、怖いよ!
って、わわっ!ラバまで怖がったのか、暴れだした!どうどう、と手綱を引っ張って落ち着かせる。補助の人は徐々に介入するのを控えるようになっていて、今も俺の手綱捌きを静かに見守っている。いや、ちょっと手伝って欲しいんだけど!こいつ、マジで言う事聞かないんだから!うわっ!
「わっはっはっは!早く振り落とされなくならないとな!シャイニーちゃんの方は順調そうじゃないか。流石だね。アンタ、負けてるよ?」
「あたたた。そんな無茶言わないで下さいよ!こいつ、本当に言う事を聞かないんだから!隙有らば振り落とそうとしてくるんだからっ!」
地面に落とされた俺が馬に乗ったままのサフランに抗議の声を上げていると、シャイニーが白っぽいラバに乗ったまま、柵の中をぐるっと回ってきた。その後ろには、先程俺を振り落とした茶色いラバが何食わぬ顔をして付いてきていた。
「ルー君!大丈夫?怪我してない?」
「ああ。それにしてもこいつ、いつになったら俺に慣れてくれるんだよ!」
土を払ってまたその上に乗る。始めに比べれば随分と乗るのは上手くなったと思う。普通に降りる数の方が圧倒的に少ないけど。補助の人も態とそうしている節がある。
「落ちたくなければ落とされないようにしな。慣れてくれないなら可愛がり尽くしな。先ずは自分が敵ではないと分からせないと、な。まだ怖がられているんだよ。敵味方はハッキリとさせないと。だからと言って甘やかしてばかりいれば、直ぐに逃げ出そうとするからな。間違っても暴力で押さえようとは考えるなよ。二度と乗せて貰えなくなるからな。それは人だって同じだから、ひたすら努力するしかないよ。そうやって落とされている内にコミュニケーションを取るんだな。まぁ、振り落とされるのを楽しめるようになればゴールは近いかな?」
流石はサフラン。部下を持つ者の貫禄さえ滲む言葉だ。俺は手綱を握ると、再度ロバを歩ませる。
「ほら、足が開いているから体が安定しないんだよ。もっと馬と一体にならないと。お、そうだ、そう。シャイニーちゃんだって出来てるぞ?男なら負けるな!食らい付け!」
サフランが発破をかけてくる。俺はその言葉を忠実に守るように股を絞め、ほんの僅かに腰を浮かし、振り落とそうとするラバの動きに合わせてバランスを取った。お?良い感じ?さっきより乗り易く感じるぞ?
「は~い、そろそろ休憩で~す。止めて下さ~い」
「えっ!?やっとコツが掴めそうなのに!?って、お?お?うわっ!」ズデン!
「ミール、メーラ。はい、お水よ。いらっしゃい」
「ヴィーーーン」「ヒェーーーン」
シャイニーの声掛けで二頭のラバが駆け寄って行くのを見たサフランが、ほう…と感嘆の音を上げる。
「ラバに名を付けたのかい?流石はシャイニーちゃん。コミュニケーションが既に出来ているみたいだね。それに引き換え...」
「...そんな目を向けないで下さいよ。そもそも俺、馬に乗るのは初めてなんですから。コツさえ掴めば俺にだって...」
「そんなのはシャイニーちゃんだって同じだろう?言い訳にはならないな。とは言え、牧場の者もあの二頭には手を焼いていたって言ってたから、それが普通なのかもね。まあ、頑張って乗れるようにしないと、この牧場に住み着く事になるぞ?」
サフランがニヤけながら言ってくるが、笑えない冗談だ。ここの住人になるつもりは毛頭ない。
それにしてもシャイニーにはあっという間に馴れたな。似た者同士だからなのか?よく分からん。
「あら?ミールの背中...もしかして昨日の白猫さん?」
水を飲む白っぽいラバの背中の馬具の前に真っ白な模様を見付けたシャイニーが声を上げる。
その声に促されてサフランと二人で目を向けると、このラバたちを買う決心の付いた切っ掛けになった白猫が、昨日と同じくラバの背中で昼寝をしていた。
「いつの間に...さっきまではいなかっのに...」
「神出鬼没...だな。あれが人の言葉を理解しているとは...」
何とも言えない顔を見合わす俺とサフランだったが、対してその猫に声を掛けるシャイニーは笑顔だった。
「白猫さん、お陰でこの子たちと旅が出来る事になったのよ。昨日は助言してくれて、ありがとうね」
「...みゃあ」
面倒くさそうにムクリと頭をもたげた猫がシャイニーに向けてひと鳴きすると、直ぐにその頭を元に戻して再び昼寝に戻った。こんな時にエスピーヌがいれば、猫がどう答えたのか分かるのだろうけどな。まあ、その様子に想像は出来る。たぶん、気にするな、とか、どういたしまして、あたりだと思う。間違っても、本当にこいつらにしたんだ...ではないと思う。思いたい。この猫のせいで苦労しているんだから。
「こうして見てると、ただの猫なんだけどな」
「全く。エスピーヌが嘘を言うとは思えないし...本当なんだろうが、なぁ」
未だに引き摺っている俺とサフラン。対してシャイニーは極普通に接している所を見ると、大した大物なのか、ただ何も考えていないだけなのか...
何れにしても人の言葉を理解しラバを勧めてくるこの白猫には驚かされる。飼い猫で餌をねだったり、撫でろと言ったり、というのは分かる。それは自分の欲求が絡むからだ。だが、何の関係もない俺たちに、自分の欲求外の事をアドバイスするなんて事が有り得るだろうか。聞いた事が無い。
だからと言って、エスピーヌが俺たちをからかったとは、サフランじゃないが考え難い。エスピーヌがそんな性格ではない事は、この短い間だけでもよく分かるのだから。
「じゃあ、あなたはこれからミーアと呼ぶわね?良いわよね?」
「みゃっ!?...みゃ~~~」
俺とサフランが首を捻っている内に、シャイニーは白猫とも交流を交わしているようだが、その名前ってラバと被ってるんじゃね?って言うか、あの白猫も返事のようなものをしてるぞ?マジかよ...
「手綱を離してしまうから落ちるんだ。もう駄目だってところまで絶対手を離すな。あとは出す指示さえ間違えなければ、何とかなるだろうよ」
休憩にサフランからの差し入れの王都焼と呼ばれる甘味を頬張りながらアドバイスを受ける。ああ、そう言えば今まで落ちる時って思わず手を放してバランスを取ろうとしてたな、と思い返す。今度からはちゃんと意識しよう。手は離すな。これ大事。よく考えなくても当然の事か...はははは、はぁ~~~。
調教師のオッチャン達、そんな事は何も言ってくれなかったな。寧ろ、落ちて覚えろと意味不明な言葉を有難く頂戴したものだ。俺には厳しく、シャイニーには優しく...差別だよこれ。まぁ、俺でもそうするけどな。
「まあ、乗れるようになったところで、このラバたちは外に慣れさせないといけないしな。今まで牧場からも出た事が無いんだろ?まだ先は長いぞ?」
「はぁ~。そうなんですよね~。2~3日で出発できれば御の字かなと思ってたんですけどね」
「ははは、そりゃ甘過ぎるね。ま、そこまで急ぐ訳じゃないんだろ?食料の配達はしてあげるから、気長に訓練を受けるこったね」
そう言いつつ背中をバンバンと叩くサフランは、シャイニーが目的なんだろ?良いのか?エスピーヌの商隊に付いて行かなくても。
「ああ、そう言えば昨日に続いて今日も王宮へのお伺いに付き添ったんだけどね。いつもとちょっと違うんだよね」
「...違うって何が?って、王宮の中がか...。どう違うんです?」
突然のサフランの話の振りに首を傾げる。王宮なんて全く接点がないから興味が無いんだけど、俺の持ち込んだ石を気に入って貰えれば王族の誰かがあの石を身に付ける事になるのかと思えば、そう悪い気もしないな。でも何があったんだろう?
「どうも石への食い付きが悪くてね。それに事前情報通り、王宮への出入りがかなり厳しくなってたんだ。こんな事は初めてだから会長ですら戸惑っているのさ。いつもなら良い石は真っ先に唾が付けられるんだけどね、今回は今のところゼロ。何かおかしいって事で、エスピーヌが予定を全て止めて情報収集に動き出したんだけどねぇ...」
言い淀むサフラン。成る程、それでサフランは護衛の仕事が無くなってこうして遊んでいる訳だ。
「...何か今、私に悪口を言おうとしてなかった?」
「いえっ!何もっ!!」
「...本当に?まあ良いか。でね。レッドナイトブルーは男女どちらにも人気のある石なんだけど、殊王族に関しては特に今の王妃が大のお気に入りらしくてね、式典には必ずレッドナイトブルーのネックレスを付けているという話さね。その影響か、王女もレッドナイトブルーを欲しがっていると専らの噂だったから、丁度今年成人だからタイミングも良いし必ず受注出来ると勇んで行った結果がこれだ」
サフランが両手を開いて肩を竦める。その話が本当であれば間違いなく石の受注が取れたであろうが、何故か見向きもされない。これはどうした事か、と。
「これは何かあると。先日の帰路で得た情報を覚えているか?王宮への出入りが厳しくなっているのと、軍の大型馬車が何台か出て行ったって言う。すわ戦争準備か?と思ったけどね、軍の訓練に変化が無いのは本当みたいでね。兵の募集が増えている訳でもなく、周辺国家といざこざがあったという話も無し。戦争準備ではないようなんだよ。さて、どう考えよう物かと、ね」
戦争準備ではない。じゃあ何だ?と。もし戦争であれば石の売り込みどころではないだろうし、準備の為の発注があって然りだ。もしそうであれば商会としてもその準備をしなくてはならないから、黙って様子を見ている訳にもいかない...という事か。
「う~ん、戦争になりそうかどうかって話は俺には分からないなぁ。そもそも世間については何も分からないってのが正直な所なんだし」
「...そう、だよねぇ。聞いてみた私が馬鹿だわ。何でも良いから情報をって言われたからって、どうしてアンタたちに話をしたのやら...」
頭を掻くサフラン。聞く相手を間違えている。が...
「そう言えば王族にも呪いがって言ってませんでした?サフランさん。確か...王室で過去に何人かがいなくなっちゃってるって...」
「ん?ああ、そう言えばそんな話もあったね、シャイニーちゃん。国の王室で過去に何人かが行方不明になっているって話だったか...行方不明?石への興味の強い王妃と王女が石に興味を示さない...それどころではない何かが起こった...ん~~~~」
シャイニーの問いにサフランが何やら考え込むように唸りだした。
「もしその何かが、その呪いだったとしたらって話ですか?王室の誰かが行方不明っていう?」
「う~ん...それだと軍の大型馬車の話が繋がらん。でも、もしそうなら石どころじゃないな。それがどう繋がるかは分からないけど、可能性はある...か。流石はシャイニーちゃん。よくそこに気が付いたね」
どさくさに紛れてシャイニーに抱き付き、頭を撫でるサフラン。何かと理由を付けてこうしてベタベタしようとする。程々にして欲しいところだ。
それ以上は何も分からないという事で、話を切り上げて二人で訓練へと戻るのだった。
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現在進行中の今までの投稿分の見直し以外にも、仕事の都合で、もう暫くの間は更新が途切れ途切れになると思います
楽しみにされている方、今しばらくお待ちください
よろしくお願いします




