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世界の終わりに  作者: すみっこSE
第二十二章 オルガ平原、ふたたび

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小僧か

 アルドを発って十日、汽車と馬車を乗り継ぎ、ぼくらは、ようやく、オルガ平原の入り口に立っていた。

 地平線まで、さえぎるものが何もない。あの日と、まったく同じ景色だった。ただ、あのときとは違って、平原の色は、まだ、青々とした緑のままだった。

「間に合った」ミナが、荷物を抱えたまま、その場に立ち尽くして言った。「まだ、麦、実ってない」

「うん」ぼくは、頷いた。安堵と、緊張が、同時に押し寄せてきた。約束の百八十日目まで、あと数日。ぎりぎりの、本当にぎりぎりのところで、ぼくらは、間に合ったのだった。

 トゥーレの村へ向かう道を、ぼくらは、駆けるように歩いた。見覚えのある楡の木、見覚えのある石積みの家々。何もかもが、あの頃と同じで、それでいて、少しだけ、違って見えた。

 息を切らしながら、ぼくらは、村の入り口に辿り着いた。そこで、ふと、足を止めた。

 東の畑に、あの日と同じように、種を蒔く人の姿があった。腰を曲げ、丁寧に、畝を確かめながら歩く、がっしりとした後ろ姿。

「バルドさん」

 ぼくの声に、その人影が、ゆっくりと振り返った。日に焼けた顔に、深い皺が刻まれていたけれど、その目は、あの日と、少しも変わっていなかった。

「……小僧か」バルドさんは、しばらく、ぼくらの顔を見比べて、それから、驚いたように、目を見開いた。「本当に、来おったか」

「約束、しましたから」ミナが、涙をこらえながら言った。「百八十日後に」

「覚えとったか」バルドさんは、鍬を杖代わりにして、大きく息を吐いた。「儂は、正直、半分、諦めとった。世界がこれだけ変わっちまえば、旅の約束の一つや二つ、忘れられても、仕方ないと思っとったんだ」

「忘れるわけ、ないです」ぼくは、言った。「この村で教わったこと、ずっと、覚えてました」

 バルドさんは、しばらく、何も言わずに、ぼくらの顔を、順番に見ていた。それから、ようやく、その厳つい顔に、皺だらけの笑みを浮かべた。

「大きくなったな、二人とも」バルドさんは、しみじみと言った。「顔つきが、違う。……いい旅を、してきたようだな」

「はい」ぼくとミナは、同時に、頷いた。

 村の広場では、ノラさんが、駆けつけてくれた。図書館の焼け跡は、すっかり修復されていて、以前よりも、立派な建物に生まれ変わっていた。

「まあ、本当に、あなたたちなの」ノラさんは、ミナの手を取って、涙ぐみながら言った。「あの火事のあと、ずっと、無事を祈っていたのよ。旅の途中で、何か、悪いことが起きてやしないかって」

「わたしたちも、ずっと、この村のこと、考えてました」ミナが言った。「特に、あの麦畑のこと。金色になった姿、何度も、想像してました」

「麦は、あと何日で」ぼくは、東の畑を見つめながら訊いた。

「あと五日ってところだろう」バルドさんは、畑の穂に触れながら言った。「今年は、天気に恵まれてな。狙い通り、いや、狙い通り以上に、いい実りになりそうだ」

「五日、ぴったりですね」ぼくは、思わず言った。「まるで、計ったみたいに」

「計ったわけじゃない」バルドさんは、少し笑って言った。「麦が、勝手に、そのぐらいの間を、儂らにくれたんだろうよ。旅の終わりを、ゆっくり噛みしめる時間をな」

「五日……」ミナが、その数字を、噛みしめるように呟いた。

「宿は、うちの納屋でいいな」バルドさんは、当然のように言った。「あの頃と、同じだ」

 こうして、ぼくらは、収穫の日まで、トゥーレの村で過ごすことになった。納屋の寝床も、大鍋の煮込みも、あの頃と、少しも変わっていなかった。ただ、村の空気には、あの頃にはなかった、静かな緊張感が漂っていた。誰もが、麦の実りと、世界の終わりと、両方の日を、同時に、指折り数えているようだった。

 夕方、ぼくらは、種子の図書館を訪ねた。あの火事で焼けた本棚も、種子室も、丁寧に修復されていた。壁一面の引き出しには、以前よりも、さらに多くのラベルが貼られていた。

「あれから、ずいぶん、種の記録が増えたんですね」ぼくは、その数に驚いて言った。

「あちこちの村から、種を託されるようになったの」ノラさんは、誇らしげに言った。「あなたたちが去ったあと、リオが、都会で配った台帳の写しが、いろんな人の目に留まってね。……種を守りたいという人たちが、この図書館に、次々と、種を送ってくるようになったのよ。今では、大陸のあちこちの種が、ここに集まってきてる」

「リオさんは、今」ミナが、身を乗り出して訊いた。

「まだ、旅を続けてるわ」ノラさんは、少し寂しそうに、それでも、誇らしげに言った。「今は、南の方の街を回ってるはずよ。種の台帳を配って、育て方を教えて。……あの子なりの、届け方を、見つけたみたい」

「戻ってこないんですか」ぼくは、意外に思って訊いた。

「戻る場所は、ここだって、本人は言ってるわ」ノラさんは、微笑んだ。「でも、今は、種を配り終えるまで、旅を続けたいんですって。……あなたたちと、少し、似てるところがあるのかもしれないわね」

「似てますね、確かに」ミナが、小さく笑って言った。

 その言葉に、ぼくとミナは、顔を見合わせて、小さく笑った。旅の途中で出会った人たちが、それぞれの場所で、それぞれの旅を続けている。その事実が、なんだか、嬉しかった。

 翌日から、ぼくらは、村の手伝いを再開した。麦刈りの準備、水路の点検、収穫祭の支度。体は覚えていた。鎌の持ち方も、畝の歩き方も、あの頃と、ほとんど変わらなかった。

「うまくなったな、小僧」バルドさんが、ぼくの鎌さばきを見て、しみじみと、感心したように言った。「この旅で、いろんなことを、覚えてきたようだ」

「まだまだ、バルドさんには、敵いませんけど」ぼくは、額の汗を拭いながら言った。

「そりゃそうだ」バルドさんは、豪快に笑った。「儂は、これで、三十年、麦を作っとる。一朝一夕で、敵われてたまるか」

「ぼくらの旅、話しましょうか」ぼくは、提案した。「いろんな街のこと、いろんな人のこと」

「聞かせてくれ」バルドさんは、鍬を下ろして、腰を伸ばした。「儂も、この五日、退屈しとったところだ。……麦の世話も、もう、やることがないくらい、行き届いとるからな」

 その夜、納屋の前の焚き火を囲んで、ぼくらは、旅の話を、順番に語った。ソネルの銀色の魚、カルカの送り火、グレンの九九のこえ、ロズナの鐘。話すほどに、あの頃の景色が、鮮やかに蘇ってきた。

「ずいぶん、遠くまで、行ってきたんだな」バルドさんは、話を聞き終えて、しみじみと言った。「この村から出たこともない儂には、想像もつかん世界を、見てきたわけだ」

「バルドさんの言葉が、旅の途中、何度も、支えになりました」ぼくは、正直に言った。「『理由なんぞ、あとから付いてくる』って言葉、いろんな街で、思い出しました。困ったときほど、あの言葉に、助けられた気がします」

「儂が、そんな洒落たことを、言ったか」バルドさんは、照れくさそうに笑った。「自分で言ったことも、忘れとったよ」

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