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世界の終わりに  作者: すみっこSE
第二十一章 中継の街アルド

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麦の村へ

 ぼくは、その質問の意味を、しばらく、考えた。トゥーレの約束が果たされたあと、ぼくらの旅は、まだ、終わりまでの日々を、どこかで過ごさなければならない。手帳には、まだ、丸のつかない行が、いくつも残っている。それでも、いつか、その行のすべてを埋める日が、本当に来るのかどうか、ぼくには、まだ、分からなかった。

「決めてない」ぼくは、正直に答えた。「でも、ミナと一緒にいることだけは、決めてる」

「うん」ミナは、ぼくの肩に、頭を預けた。「わたしも」

「メリノで話した、将来の夢のこと、覚えてる?」ミナが、ふいに言った。「写真の仕事と、本を作る仕事」

「覚えてる」ぼくは、頷いた。「あれから、ずっと、頭の片隅にある」

「叶うかな、あの夢」

「分からない」ぼくは、正直に言った。「でも、叶うかどうかより、今、その夢を、二人で語り合えることが、大事な気がする」

「うん」ミナは、小さく笑った。「そうだね」

 夢の話は、いつからか、ぼくらにとって、現実逃避ではなくなっていた。むしろ、限られた時間の中で、今を大切に生きるための、一つの支えになっていた。

「怖くない?」ぼくは、思い切って訊いた。「終わりが、はっきり見えてきたこと」

「怖いよ」ミナは、素直に言った。「でも、ハルと一緒に見る終わりなら、少しだけ、怖さが、和らぐ気がする」

「一人だったら」ぼくは、訊いた。

「一人だったら、たぶん、もっと早くに、心が折れてたと思う」ミナは、正直に言った。「墓地で、手帳を拾ってもらった、あの日から、ずっと、ハルがいてくれたから、ここまで来られた」

「それは、ぼくも、同じだよ」ぼくは、答えた。「ミナが、旅に誘ってくれなかったら、ぼくは、たぶん、ハウデンの町から、一歩も出られなかった」

 ぼくらは、お互いの存在が、この旅を、ここまで運んできたことを、あらためて、確かめ合っていた。

「トゥーレのバルドさんたちに、また会えるの、楽しみ」ミナが、話題を変えるように言った。「あれから、村は、どう変わったかな」

「変わってないといいな」ぼくは、笑った。「あの村の、のんびりした空気」

「変わってても、いいと思う」ミナは、少し考えて言った。「わたしたちだって、あの頃から、随分、変わったから」

 ぼくは、その言葉に、頷いた。旅立った日の、あの頼りない二人組と、今のぼくらとでは、確かに、何かが違っていた。

「ノラさんの種の図書館、リオさんの話。トゥーレで教わったこと、数え切れないくらいある」ミナは、続けた。「あの村が、わたしたちの、旅の原点だった気がする」

「原点に、戻る旅なんだね、これから」ぼくは、言った。

「うん」ミナは、頷いた。「でも、ただ戻るだけじゃない。あの頃と、今の自分を比べに、戻るんだと思う。……どれだけ変われたか、確かめに行くみたいな」

 ぼくらは、しばらく、無言で、緑に染まった庭を眺めていた。言葉にしなくても、伝わるものが、確かにあった。

 庭の隅に、小さな祠のようなものがあった。近づいてみると、旅人たちが、思い思いのメッセージを書き残した木札が、幾つも吊るされていた。「無事に家族に会えますように」「あの人と、もう一度」「間に合いますように」。誰かの、切実な願いが、そこかしこに、揺れていた。

「わたしたちも、書いていこうか」ミナが言った。

 宿の主人に頼んで、木札を一枚もらった。ミナが、その札に、短く、文字を書いた。

 ――トゥーレの麦が、無事に実りますように。

「ぼくらの願いより、麦の願い?」ぼくは、少し笑って言った。

「麦が実れば、約束が果たせる」ミナは、木札を吊るしながら言った。「わたしたちの願いは、その先にあるから」

 風が吹いて、無数の木札が、一斉に、涼やかな音を立てた。その中に、ぼくらの願いも、静かに紛れ込んだ。誰のものかも分からない、いくつもの祈りの中の、ほんの一枚に過ぎなかったけれど、それでも、ここに来た証を残せたことが、少しだけ、嬉しかった。

 翌朝、ぼくらは、アルドを発った。宿の主人が、駅まで見送りに来てくれた。

「トゥーレに着いたら、麦畑を、よく見てくるといい」主人は言った。「儂の従兄弟の話じゃ、あそこの黄金色は、見た者を、しばらく忘れさせないほどらしいからな」

「ありがとうございます」ミナは、頭を下げた。

「あんたらの旅の話、少し聞かせてもらったよ」主人は、懐かしそうに言った。「ソネルの漁師の話も、双月岬の話も。……儂も、もし、若ければ、そんな旅、してみたかったもんだ」

「今からでも、遅くないと思います」ミナが、微笑んで言った。

「はは、儂には、この宿がある」主人は、笑って首を振った。「儂の旅は、ここで、旅人たちの話を聞くことなんだ。それも、悪くない旅だろう」

 汽車が動き出す。窓の外に、アルドの街並みが、小さくなっていく。市場も、宿も、あの木札の吊るされた庭も、遠ざかっていく。これといった思い出のない、通り過ぎるだけの街だったはずなのに、ミナは、手帳の余白に、短く、一行だけ、書き足した。

 ――約束まで、あと二十五日。

 それは、これまでの、街の名前や、景色の記録とは、違う種類の一行だった。丸をつける行でも、感動を綴る行でもない。ただ、残された時間を、忘れないための、目印だった。ミナは、その一行を、しばらく見つめてから、静かに、手帳を閉じた。

 窓の外を、オルガ平原へ向かう線路が、まっすぐに伸びていた。ヴェルデの光は、もう、日中でも、うっすらと空に透けて見えるほどになっていた。車窓に流れる景色は、これまで通ってきたどの土地とも違う、見覚えのある懐かしさを、少しずつ、帯び始めていた。

 カリスで見た、四十二年越しの手紙のことを、ぼくは、ふと思い出していた。届くべきものが、遅れても、いつか、必ず届く。……その言葉を、今、自分自身に、言い聞かせているような気がした。

「間に合わせよう」ミナが、旅の合言葉を、また、口にした。

「間に合わせる」ぼくは、いつものように、答えた。でも、今度の合言葉には、これまでとは、少し違う重みが、こもっている気がした。

 ぼくは、カメラケースの中の、旅の記録を、一つひとつ、思い浮かべた。何十枚もの写真。何十人もの顔。ソネルの銀色の魚から、ロアの轟く滝まで。その一枚一枚が、まるで、この旅そのものの、証のように思えた。

 ミナも、手帳を、胸に抱きしめていた。丸のついた行と、まだついていない行。そして、その先に待つ、麦畑の風景。

「オルガ平原まで、あとどれくらいだろう」ミナが、窓の外を見ながら言った。

「もうすぐだと思う」ぼくは、答えた。「トゥーレの、あの見渡す限りの土の匂い、まだ、覚えてる」

「わたしも」ミナは、目を閉じて、何かを思い出すように、静かに、微笑んだ。あの土の匂いも、麦の穂の手触りも、まだ、ちゃんと、覚えているようだった。

 汽車は、揺れながら、麦の村へ向かって、まっすぐに進んでいった。窓の外の景色が、少しずつ、記憶の中のトゥーレの風景に、重なっていくような気がした。

(第二十一章 了)

(第四部 了)

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