知ろうとする勇気
テント村の方から、不安げな表情の難民たちが、様子を窺っていた。その中に、リナさんと、トトくんの姿もあった。トトくんが、母親の後ろに隠れるように、身を寄せているのが見えた。
群衆の中から、他にも、いくつもの声が上がった。「そうだ、追い出せ」「いや、決めつけはよくない」。賛同と反発が、入り混じって、広場に渦巻いた。
空気が、一触即発の緊張に包まれた。ぼくは、何かしなければと思いながら、何をすればいいのか、分からなかった。
「待ってください」ミナが、声を上げた。「決めつける前に、倉庫の様子を、もう一度、ちゃんと調べませんか。……荒らされ方、変じゃないですか」
その一言に、フリオさんが、はっとした顔をした。
フリオさんと、ぼくとミナは、もう一度、倉庫の中を、丁寧に調べ直した。
「鍵は、壊されてない」フリオさんが、扉を確かめながら言った。「ということは、鍵を持ってる人間の仕業だ」
「鍵を持ってるのは」ミナが訊いた。
「ぼくと、街の役場の人間だけだ」フリオさんは、そこで、言葉を止めた。「……まさか」
その日の午後、フリオさんは、街の役場の若い職員――ゴードさんの息子である、ネイトという青年が、荷馬車に積まれた食料を、こっそり、街の外へ運び出そうとしているところを、押さえた。
「なぜ、こんなことを」フリオさんが、詰め寄った。
ネイトは、しばらく、うつむいていたけれど、やがて、絞り出すように言った。
「父さんの店が、潰れそうなんです」ネイトは、震える声で言った。「難民が増えてから、客が減って……この食料を、闇市場で売れば、店を立て直せると思って」
「難民のせいにして、疑いをそっちに向けようとしたのか」
「……はい」ネイトは、頭を下げた。「すみませんでした」
その報せが、配給所前の群衆に伝わると、場は、しんと静まり返った。ゴードさんは、事情を聞いて、顔面蒼白になった。
「儂の、息子が……」ゴードさんは、震える声で言った。「難民のせいにして、盗みを働いた、というのか」
ゴードさんは、その場に、崩れ落ちるように座り込んだ。集まっていた住民たちも、難民たちも、誰も、何も言えずにいた。
「儂は……」ゴードさんは、両手で顔を覆った。「難民のせいで、生活が苦しくなったと、ずっと、思ってた。……でも、儂の息子を、そこまで追い詰めたのは、儂自身の、恨み言だったのかもしれん」
リナさんが、群衆の中から、静かに、ゴードさんの前に歩み出た。
「ゴードさん」リナさんは、静かに言った。「わたしたちも、好きで、ここに来たわけじゃありません。家も、夫も、失って……それでも、この街に、受け入れてもらえたこと、本当に、感謝してます」
「あんたに、謝られる筋合いじゃない」ゴードさんは、うなだれたまま言った。「儂の方が、あんたらを、疑っとったんだ」
「疑う気持ちも、分かります」リナさんは、続けた。「知らない人間が、急に、大勢、街に増えたら……怖いと思うのは、当然だと思います。……でも、少しずつでいいので、知ってもらえたら、嬉しいです。わたしたちも、ただ、生きようとしてるだけだって」
その場に、長い沈黙が流れた。それから、フリオさんが、静かに、場を取りなすように言った。
「明日、街の広場で、みんなで、食事会をやろう」フリオさんは、提案した。「街の人も、避難してきた人も、関係なく。……顔を合わせて、話す機会が、これまで、少なすぎたんだ」
誰も、反対しなかった。ゴードさんも、しばらく黙っていたけれど、やがて、小さく頷いた。
「儂の店の、余ってるパンを、出そう」ゴードさんは、絞り出すように言った。「それくらいは……させてくれ」
翌日、街の広場には、長机が並べられ、住民と難民たちが、思い思いの料理を持ち寄った。最初は、ぎこちない空気が流れていたけれど、子どもたちが、真っ先に、垣根を越えて遊び始めた。トトくんも、街の子どもたちに混ざって、鬼ごっこをして、屈託なく笑っていた。
大人たちは、最初、それぞれの陣営で、固まって座っていた。でも、子どもたちの笑い声につられるように、少しずつ、席が入り混じっていった。誰かが持ち寄った楽器で、簡単な曲が奏でられ始めると、その場の空気が、目に見えて和らいでいった。
ぼくは、その移り変わりを、何枚も、カメラに収めた。強張った顔から、少しずつ緩んでいく表情の変化を、順番に並べたら、きっと、この街の一日を物語る一連の記録になると思った。
ゴードさんは、パンの入った籠を抱えて、テント村の一角に立っていた。しばらく躊躇っていたけれど、やがて、ぎこちない足取りで、リナさんのもとへ歩み寄った。
「これ……食ってくれ」ゴードさんは、パンの籠を差し出しながら、ぶっきらぼうに言った。
「ありがとうございます」リナさんは、笑顔で受け取った。「トトの分も、いただいていいですか」
「もちろんだ」ゴードさんの表情が、少しだけ、和らいだ。
ぼくは、その光景を、カメラに収めた。街の人と、避難してきた人が、同じ食卓を囲む光景。派手な和解ではなかったけれど、確かに、何かが、一歩、動き出した瞬間だった。
夕方、ぼくらは、フリオさんに見送られて、ドーバを発つことになった。
「あんたらが来てくれて、助かったよ」フリオさんは言った。「あの一言がなかったら、街は、もっと深い分断に、落ちてたかもしれない」
「まだ、始まったばかりですよね」ミナが言った。
「うん」フリオさんは、頷いた。「でも、今日みたいな食事会を、これからも、続けていくつもりだ。……時間はかかるだろうが、少しずつでも」
ぼくは、この旅で見てきた、いろんな「分断」と、その修復のことを思い出していた。グレンの、警察と子どもたち。エイル島の、島に残る者と出る者。そして、ドーバの、住民と難民たち。分かり合うことは、いつも、簡単ではなかった。でも、簡単ではないからこそ、一歩を踏み出したときの重みが、確かにあった。
汽車が動き出す。テントの並ぶ街並みが、少しずつ遠ざかっていく。ミナは、手帳を開いて、余白のページに、一行、書き足した。
――疑いより先に、知ろうとする勇気の街。
窓の外、夕暮れの空に、緑の星が、長い尾を引いていた。ぼくは、トトくんが撮った、ぶれた一枚の写真を、そっとカメラケースにしまった。うまくは撮れていなかったけれど、その中の、リナさんの笑顔だけは、はっきりと写っていた。
(第十七章 了)




