弔うことと、閉じこもること
事件が起きたのは、翌日の朝だった。
洞窟の入り口に着くと、ミラさんが、青ざめた顔で、トビさんの姿を探し回っていた。
「トビが、いない」ミラさんは、震える声で言った。「昨日の夜、道具部屋から、ロープと灯りが、一式、消えてる」
「まさか」ぼくは、嫌な予感に、背筋が凍った。
「奥の禁足地だ」ミラさんは、拳を握りしめた。「あの子、一人で、探検に行ったんだ。……儂に、一人前だってことを、見せたかったんだろう」
ぼくらは、すぐに、洞窟の奥へ向かった。ミラさんは、久しく足を踏み入れていないはずの通路を、迷いのない足取りで進んでいった。長年の記憶が、体に染みついているのだと分かった。
禁足地の入り口近くで、ぼくらは、崩れた岩の山を見つけた。その向こうから、かすかな声が聞こえた。
「……誰か……」
「トビ!」ミラさんが、叫んだ。「聞こえるか!」
「ミラさん……! 足が、岩に挟まって……動けません……」
ミラさんの顔から、血の気が引いた。十五年前と、同じ場所。同じような崩落。その場に、立ち尽くしそうになるミラさんを、ぼくは、思わず、支えた。
「ミラさん」ぼくは、できるだけ落ち着いた声で言った。「トビさんは、生きてます。今なら、まだ、間に合います」
ミラさんは、しばらく、震える手で、自分の胸を押さえていた。それから、大きく息を吸って、灯りを構え直した。
「儂が、先に行く」ミラさんは、掠れた声で、それでも、はっきりと言った。「この先の道は、儂しか知らん」
「ぼくらも、できることをします」ぼくは言った。「工具は、何を持っていけばいいですか」
「ロープと、つっかえ棒になる木材だ」ミラさんは、てきぱきと指示を出した。「岩をどけるとき、上から新たに崩れてこないよう、支えを作らにゃならん」
ぼくとミナは、道具部屋から、指示された道具を、大急ぎでかき集めた。手が震えていたけれど、今は、それを気にしている場合ではなかった。
ミラさんは、崩れた岩の隙間を、慎重に照らしながら、少しずつ、奥へ進んでいった。ぼくとミナも、渡された工具を担いで、後に続いた。灯りの届く範囲は狭く、一歩ごとに、足元の岩の状態を確かめながら進まなければならなかった。天井から、時折、小石がぱらぱらと落ちてくる音がして、そのたびに、心臓が縮み上がった。
十五年ぶりに足を踏み入れる通路を進むミラさんの背中は、震えていた。それでも、その足取りは、止まらなかった。
岩の隙間の先に、トビさんの姿が見えた。足首が、崩れた岩に挟まれて、身動きが取れない状態だった。
「トビ、無事か」ミラさんの声が、洞窟に響いた。
「ミラさん……すみません、僕……」トビさんの声は、涙で震えていた。
「謝るのは、あとだ」ミラさんは、てきぱきと、工具を構えた。「岩をどける。少しでも動いたら、すぐに言え」
ぼくとミナも、ミラさんの指示のもと、岩を少しずつ、慎重にどける作業を手伝った。時間にすれば、それほど長くはなかったはずだけれど、体感としては、ひどく長い時間に感じられた。
ようやく、トビさんの足が、岩の下から抜けた。足首は、腫れ上がっていたけれど、骨が折れている様子はなさそうだった。
全員で、通路を戻る途中、ミラさんは、ふと、足を止めた。花の形をした結晶が飾られている、あの場所だった。十五年間、ここより先には、決して進まなかった場所。
ミラさんは、その結晶に、そっと手を触れて、しばらく、何も言わずに、立ち尽くしていた。
「……戻ってこられたよ」ミラさんは、誰に言うでもなく、静かに呟いた。「今度は、ちゃんと、生きたまま」
洞窟を出ると、日が高く昇っていた。トビさんは、応急手当を受けながら、うなだれていた。
「すみませんでした」トビさんは、ミラさんに向かって、深く頭を下げた。「僕、焦って……ミラさんに、追いつきたくて」
「追いつきたい気持ちは、悪いもんじゃない」ミラさんは、静かに言った。「だが、儂に追いつく前に、お前は、自分の命を、大事にせにゃならん。……儂がお前に教えたいのは、通路の地図だけじゃない。安全に、家に帰る方法も、教えたいんだ」
トビさんは、涙を拭いながら、何度も頷いた。ミラさんは、その頭に、そっと手を置いた。
「明日から、また、一からやり直そう」ミラさんは、優しく言った。「今度は、儂と一緒にな。一人で、先を急ぐんじゃない」
「はい」トビさんの声は、まだ震えていたけれど、これまでのどの返事より、素直な響きをしていた。
その夜、ミラさんは、久しぶりに、禁足地の話を、自分から切り出した。
「あの子が、無事で、本当によかった」ミラさんは、杯を傾けながら言った。「同時に、儂は、少し、感謝もしとる。……あの子のおかげで、儂は、十五年ぶりに、あの場所に、戻ることができた」
「怖くなかったですか」ミナが訊いた。
「怖かったよ」ミラさんは、正直に言った。「でも、怖さの中に、懐かしさも、あった。……連れ合いが最後に見た景色を、儂も、もう一度、見ることができた。それは、悪いことばかりじゃなかった」
翌朝、ぼくらは、ルミナを発つことになった。ミラさんとトビさんが、松葉杖をつきながらも、駅まで見送りに来てくれた。
「あんたらのおかげで、儂は、大事なことを、思い出せた」ミラさんは、深く頭を下げた。「弔うことと、閉じこもることは、違うんだってな」
ミラさんは、懐から、小さな結晶のかけらを取り出して、ミナに差し出した。
「これは」
「花の形の結晶だ。……あの一角から、一つだけ、分けてもらった」ミラさんは、優しく言った。「あんたらの旅にも、地底の星空を、少しだけ、持っていってほしくてね」
ミナは、その結晶を、両手で、大事に受け取った。淡い光は、もう灯っていなかったけれど、それでも、確かな重みが、そこにはあった。
「トビさん、これからも頑張ってください」ぼくは言った。
「はい」トビさんは、まだ痛そうな足を庇いながら、それでも、しっかりと頷いた。「今度は、ちゃんと、順番を守って、覚えます」
汽車が動き出す。地下に星空を隠した街が、少しずつ遠ざかっていく。ミナは、手帳を開いて、あの一行に、丸をつけた。
――光る鍾乳洞の、地底の星空。
「綺麗だったね、あの光」ミナが、丸をなぞりながら言った。「母さんも、同じ気持ちだったのかな」
「きっと」ぼくは頷いた。「あんな景色、忘れられるはずない」
ぼくは、この旅で出会ってきた、いろんな「弔い方」を思い出していた。ダンさんの、毎日の湯かけ。ジンさんの、峠に戻ること。そして、ミラさんの、結晶を集め続けること。悲しみを閉じ込めておくのではなく、それぞれのやり方で、悲しみと一緒に生きていく。今日、ミラさんは、その生き方に、また一つ、新しい形を加えたのだと思う。
窓の外、夕暮れの空に、緑の星が、長い尾を引いていた。ぼくは、地底で撮った、あの光る鍾乳石の写真を、そっと確かめた。地上の星と、地底の星と。どちらも、それぞれの場所で、静かに、誰かを照らし続けていた。
(第十六章 了)




