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世界の終わりに  作者: すみっこSE
第十五章 孤児院の街クレア

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期待していいと、自分に許す勇気

 古い、崩れかけた家の裏手で、ぼくらは、膝を抱えて座り込む、シンを見つけた。

「見つけた」ミナが、小さく声をかけた。

 シンは、びくりと体を震わせて、こちらを睨みつけた。

「放っといて」シンは、吐き捨てるように言った。「あんたらに、関係ない」

「関係、あるよ」ミナは、シンから少し離れた場所に、静かに座った。「わたしたち、ここ数日、あの孤児院で、お世話になってるから」

 シンは、何も答えず、膝に顔を埋めた。ぼくも、少し距離を置いて、腰を下ろした。

「怖いんだよね」ぼくは、できるだけ静かな声で言った。「また、期待して、また、駄目になるのが」

 シンの肩が、ぴくりと動いた。

「知った風なこと、言うなよ」シンは、顔を上げずに言った。「あんたらに、何が分かる」

「分からない」ぼくは、正直に言った。「ぼくは、シンと同じ経験は、してない。……でも、期待して、それが裏切られる怖さなら、少しは、分かる気がする」

 シンは、初めて、顔を上げた。疑うような目で、ぼくを見た。

「ミナのお母さんは、行きたかった場所に、一つも行けないまま、亡くなったんだ」ぼくは、続けた。「ミナは、その代わりに、旅をしてる。……いつか、丸をつけられるって信じて、進むのが、怖くないわけじゃない。それでも、進んでる」

 ミナは、黙って、手帳を取り出して、シンに見せた。いくつもの丸のついた、いくつもの丸のついていないページを。それから、静かに、口を開いた。

「わたしの母さんね、赤ちゃんのとき、この孤児院の前に、置き去りにされてたんだって」ミナは、まっすぐ、シンの目を見て言った。「シンと同じ場所で、育ったの。今日、古い記録を見せてもらって、初めて知った」

 シンの目が、大きく見開かれた。

「本当に、ここで」

「うん」ミナは、頷いた。「名前も分からないまま、置いていかれて。それでも、ここで育った人が、大人になって、結婚して、わたしを産んで、育ててくれた。……わたしも、母を亡くしてる。だから、シンの『また裏切られるのが怖い』って気持ち、分かるとまでは言えないけど……大事なものを失う怖さは、少しだけ、分かる気がする」

 シンは、しばらく、黙り込んでいた。それから、ぽつりと、口を開いた。

「七歳のとき、僕、一回、家族になったんだ」シンは、膝を抱えたまま、続けた。「お父さんとお母さんって、呼んでいい人たちが、できた。半年間、幸せだった。……でも、ある日、突然、『事情が変わった』って言われて、また、施設に、戻された」

「辛かったね」ミナが、静かに言った。

「辛いとか、そういうんじゃない」シンは、首を振った。「あのとき、僕、決めたんだ。もう、誰も、信じない。信じるから、裏切られたときに、痛いんだ。……最初から、期待しなければ、痛くない」

「でも」ぼくは、言葉を選びながら言った。「それだと、シンは、これから先、誰とも、家族になれないままだよ」

「それで、いい」シンは、強がるように言った。「一人でも、生きていける」

「本当に、それで、いい?」ミナが、まっすぐに、シンの目を見て訊いた。

 シンは、その視線から、逃げるように、目を伏せた。膝を抱える腕に、力がこもるのが分かった。

「一人でいるのって、寂しくないの」ミナは、優しく、それでも、引かずに訊いた。

「寂しいよ」シンは、消え入りそうな声で言った。「寂しいけど、裏切られるよりは、まし。……そう思うようにしてる」

 しばらくの沈黙のあと、彼は、震える声で言った。

「……分からない。分からないけど。今日の人たちも、どうせ、他のみんなと同じだって、思ってたのに。……僕のこと、ちゃんと聞いてくれた、って、マヤさんが言ってたのが、なんか、怖くて」

「怖いのは、期待していい理由が、増えちゃったからだと思う」ぼくは、静かに言った。「シンは、期待しないようにって、ずっと自分に言い聞かせてきたのに、ダレンさんたちのことは、期待しちゃいそうになったんじゃないかな」

 シンは、何も言わずに、涙をこぼした。声を殺して、肩を震わせて、しばらく、泣いていた。ぼくとミナは、何も言わずに、その隣に、座り続けた。

 しばらくして、シンの涙が落ち着いた頃、ぼくは、思い切って言った。

「今日、会わなくてもいいと思う」ぼくは言った。「でも、断る前に、一つだけ、考えてみてほしいことがある」

「なに」

「断るのは、いつでもできる」ぼくは言った。「でも、今、シンの中にある『期待しちゃいそうな気持ち』は、無理やり消さなくても、いいんじゃないかな。……会うだけ、会ってみて、それでも駄目だと思ったら、そのとき、正直に、断ればいい。最初から、壊す必要は、ないと思う」

 シンは、長い間、黙っていた。それから、小さく、頷いた。

「……分かった。会うだけ、会ってみる」シンは、まだ、少し震える声で言った。「でも、約束はしない。今日、家族になるとか、そういうことは」

「それでいいと思う」ミナが、微笑んで言った。「シンのペースで、決めていいんだよ」

 孤児院に戻ると、マヤさんが、心配そうな顔で、シンを迎えた。ダレンさんとリサさんは、まだ、応接室で待っていてくれていた。

 シンは、応接室の扉の前で、一度、立ち止まった。それから、深く息を吸って、扉を開けた。

 中でどんな会話が交わされたのか、ぼくらは、聞いていない。ただ、一時間ほどして出てきたシンの顔は、泣き腫らした跡はあったけれど、どこか、憑き物が落ちたような、静かな表情をしていた。

「今日は、これで終わり」シンは、ぼくらに、ぼそりと言った。「また来週、会うことに、なった。……まだ、家族になるとか、決まったわけじゃないから」

「それで、十分だよ」ぼくは言った。

 シンは、少しだけ、口の端を上げた。それが、彼の精一杯の、笑顔なのだと、ぼくには分かった。

 ぼくは、その表情を、そっとカメラに収めた。派手な笑顔ではなかったけれど、これまで、警戒するような目でしか周りを見なかったシンが見せた、初めての、無防備な表情だった。

 翌朝、ぼくらは、クレアを発つことになった。マヤさんが、駅まで見送りに来てくれた。シンも、少し離れたところから、こちらを見ていた。

「シンのこと、ありがとう」マヤさんは、深く頭を下げた。「あの子が、あんなに素直に、自分の気持ちを話すの、初めて見た」

「わたしたちが、何かしたわけじゃないです」ミナは、首を振った。「シンが、自分で、話す気になっただけだと思います」

「それでも」マヤさんは、微笑んだ。「話せる相手が、たまたま、そこにいてくれたことが、大事なんだよ。……この仕事をしてて、何度も思うことだけどね」

「まだ、始まったばかりですよね」ミナが言った。

「うん」マヤさんは、頷いた。「でも、始まっただけでも、大きな一歩だよ」

 汽車に乗り込む前、シンが、駆け寄ってきた。

「これ」シンは、小さな石ころを、ぶっきらぼうに差し出した。「街外れの、あの場所で拾った石。……お守りとか、そういうんじゃないけど。持ってて」

 ぼくは、その石を、大事に受け取った。ただの、なんの変哲もない、灰色の石だった。それでも、シンが、初めて誰かに、自分から差し出したものなのだと思うと、特別な重みを持って感じられた。

 汽車が動き出す。孤児院の建物が、少しずつ遠ざかっていく。ミナは、手帳を開いて、あの一行を、もう一度、見つめた。

 ――クレアの孤児院。わたしを見つけてくれた場所。

 これは、母さんの言葉だった。でも、と、ミナは、静かに続けた。

「わたしを見つけてくれた場所、でもあると思う。ここに来なかったら、シンにも、会えなかった」

 ミナは、鉛筆を取り出して、その一行に、丸をつけた。これまでのどの丸とも違う、母さんの過去そのものを抱きしめるような、丁寧な丸だった。

「シン、うまくいくといいね」ミナが、手帳を閉じながら言った。

「うん」ぼくは頷いた。「でも、うまくいかなくても、あの一歩を踏み出したこと自体が、もう、意味があると思う」

 ぼくは、この旅で出会ってきた、いろんな「一歩」のことを思い出していた。ソネルのレンが、竿を握り続けた一歩。フェリスのユーリが、本当の結末を選んだ一歩。そして、シンが、扉を開けた一歩。どの一歩も、大きな結果を保証するものじゃなかった。それでも、踏み出さなければ、何も始まらない。シンの小さな石ころは、そのことを、ぼくに、あらためて教えてくれた気がした。

 窓の外、夕暮れの空に、緑の星が、長い尾を引いていた。ぼくは、シンにもらった石を、カメラケースの中に、そっとしまった。

(第十五章 了)

(第三部 了)

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