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世界の終わりに  作者: すみっこSE
第十章 天文台の街ラゼル

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いつ、どこに

 双月岬を発って四日、汽車が近づくにつれ、車窓の景色に、これまでの街とは違う気配が混ざり始めた。

 畑や漁村の代わりに、丸い天文台の屋根がいくつも、丘の上に点々と並んでいる。線路の両脇には、これまで見たことのない、金属製の観測機器の残骸のようなものが、時折、置き去りにされていた。駅に降り立つと、まず目についたのは、駅の出口に立つ、見慣れない制服の男たちだった。

「検問、ですか」ミナが、小声で言った。

「身分証を」制服の男が、素っ気なく言った。ぼくらが旅の身分証を見せると、男は、書類と見比べて、ようやく頷いた。「観測区域には立ち入るな。それだけ、守ってくれ」

 これまでの街では、一度も経験しなかったことだった。

 宿に荷物を置いて、ぼくは、癖でカメラを構えた。窓辺に立つミナに向けて。双月岬を発ってから、ぼくらは、まだ、お互いへの接し方に、少しぎこちなさが残ったままだった。

「撮っていい?」

「……えっ、あ、うん」

 ミナは、以前なら、もっと自然に応じていたはずだった。それが今は、髪を軽く直したり、少し身構えたりする。恋人になったことで、レンズの向こうにいるのが「旅の相棒」から「ハルに見られている自分」に変わったのだと、ぼくは、なんとなく気づいていた。

「前は、もっと普通にしてたのに」

「前は、前だもん」ミナは、頬を赤くして言った。「今は、なんか、違うの」

 ぼくは、その「違う」の意味を、うまく言葉にできなかったけれど、シャッターを切る指が、前よりずっと緊張しているのは、自分でも分かっていた。

 ラゼルは、この星でいちばん大きな天文観測網が置かれた街で、彗星ヴェルデの軌道計算を一手に担っているのだと、あとで宿の主人が教えてくれた。

「発表以来、政府の役人が、ずっと居座っとるのさ」宿の主人は、声を落として言った。「観測の結果が、外に漏れんようにな」

「結果が漏れる、って」ぼくは訊いた。「もう、衝突することは、みんな知ってるのに」

「衝突することは、な」主人は、意味ありげに言った。「だが、いつ、どこに落ちるか、その正確な話は、まだ公表されとらん。……ここいらじゃ、専らの噂だよ。天文台の連中は、もうずいぶん前から、正確な日時と場所を、割り出しとるってな」

 ぼくらが宿を取ったのは、天文台の職員たちも利用するという、街いちばんの食堂兼宿だった。翌朝、その食堂で、ぼくらは、疲れた顔で朝食をとる若い研究者と、同じ卓になった。

 カイさんという人だった。二十代半ば、白衣の下にセーターを着込んだ、神経質そうな青年だった。

「旅の人か」カイさんは、ぼくらの荷物を見て言った。「いい街を選んだな、皮肉な意味で。ここは、この星でいちばん、真実に近くて、いちばん、真実から遠い街だ」

「どういう意味ですか」

 カイさんは、答える代わりに、周りを見回して、声を落とした。

「訊かない方がいい。……いや、訊きたいなら、勝手にしろ。だが、俺が言ったとは、誰にも言うな」

 その日の午後、ぼくとミナは、街を歩いて回った。天文台そのものには入れなかったけれど、丘の中腹まで登ると、ドーム型の観測所が、いくつも見渡せた。街全体が、他のどの街よりも整然としていて、道行く人々の中には、白衣を着た研究者らしい姿も多く見かけた。子どもたちでさえ、遊びながら、星座の名前を口にしていた。

「なんか、頭のいい街だね」ミナが言った。

「頭がいいのと、幸せなのは、別なのかもね」ぼくは、検問所の兵士の姿を思い出しながら言った。

 街の広場には、大きな掲示板があって、天文台からの「公式発表」が張り出されている。内容は、これまでの街で聞いたのと、大差ないものだった。

「衝突は避けられない。時期は、発表当初と変わらず、一年以内」

 それだけだった。日付も、場所も、書かれていない。

「変じゃない?」ミナが、掲示板を見上げて言った。「発表から、もう半年以上経ってるのに、情報が全然、更新されてない」

 その夜、宿の食堂で、またカイさんと顔を合わせた。今度は、彼の方から、ぼくらの卓に来て座った。少し酒が入っているようだった。

「あんたら、旅をしてるんだろう」カイさんは、掠れた声で言った。「あちこちの街で、いろんな人に会ってきたんだろう。……なあ、教えてくれ。世界は、真実を知りたがってると思うか。それとも、嘘に包まれてでも、穏やかに終わりたいと思ってると思うか」

 ぼくは、これまで見てきた街のことを思い出していた。大漁を信じたレンとユナ。窓を待ち続けた双月岬の人々。嘘の結末と本当の結末、両方に涙したフェリスの客席。

「両方だと思います」ぼくは、正直に答えた。「同じ人の中にも、両方あると思う」

 カイさんは、しばらく黙って、それから、絞り出すように言った。

「俺たちは、もう三ヶ月前に、正確な衝突日時と、落下地点を計算し終えてる」

 食堂が、一瞬、静まり返った気がした。

「政府は、それを、公表しないと決めた」カイさんは続けた。「落下地点が、この大陸のいちばん人口の多い地域に近すぎる、というのが理由だ。正確な場所と日時が知れたら、そこから逃げようとする人間で、道という道が大混乱になる。それを防ぐために、政府は、情報を抑え続けてる」

「でも、それって」ミナが、声を震わせて言った。「みんな、知る権利があるんじゃ」

「俺も、そう思ってる」カイさんは、頷いた。「だから、迷ってる。……いや、正直に言えば、もう決めてる。ただ、実行する勇気が、まだ出ないだけだ」

「どうして、そこまで」ぼくは、思わず訊いた。「カイさんの立場なら、黙っていた方が、安全なんじゃ」

 カイさんは、しばらく黙って、それから、静かに言った。

「俺の妹は、南の街に住んでる。もし、落下地点が、あの街の近くだとしたら……妹は、正確な日付を知らないまま、逃げ遅れるかもしれない」カイさんは、拳を握った。「俺は、計算式の中の数字が、誰かの妹や、誰かの母親の運命だってことを、忘れられなくなっちまったんだ。研究者としては、失格かもしれないけどな」

 その言葉に、ぼくは、この人が抱えている重さの、本当の大きさを、初めて理解した気がした。統計や確率の話ではなく、カイさんにとって、それは、家族の命の話だった。

 食堂を出たあと、カイさんは、街外れにある、一般に開放された小さな天文台に、ぼくらを連れて行ってくれた。研究用の巨大な望遠鏡とは違う、旅行者や市民向けの、小ぶりな望遠鏡が並んでいる場所だった。

「せめて、これくらいは見せてやれる」カイさんは、望遠鏡をヴェルデに向けながら言った。「覗いてみろ」

 レンズを覗くと、肉眼では緑の点にしか見えないヴェルデが、はっきりとした尾を引く姿で、大きく映し出された。ミナが、感嘆の声を漏らした。

「綺麗ですね。……あんなに、綺麗なのに」ミナは、複雑な表情で呟いた。

「綺麗なものと、恐ろしいものが、同じ形をしてることは、よくある」カイさんは、望遠鏡から目を離さずに言った。「俺たちの仕事は、その両方を、同時に見つめ続けることだ」

 ぼくは、カメラを望遠鏡の接眼部にそっと近づけて、シャッターを切ってみた。うまく写るかは分からなかったけれど、この会話ごと、記録しておきたいと思った。

 カイさんが席を立ったあと、入れ替わりに、宿の主人が、ぼくらの卓に、湯気の立つお茶を置いていった。

「セイラ博士に、会ってみるといい」主人は、声を落として言った。「天文台の所長だ。カイと違って、まだ、腹の内を見せんお人だが……あの人も、きっと、何か抱えとるよ」

 翌日、街の外れにある研究所の入り口で、ぼくらは、セイラ博士を待った。彼女は、四十代くらいの、眼鏡をかけた、鋭い目つきの女性だった。旅の子どもが話を聞きたいと言っていると聞いて、意外にも、時間を作ってくれた。

「観測所には入れられないけれど、ここでなら」セイラ博士は、研究所前のベンチに座って言った。「何が訊きたいの」

「衝突の、正確な日時と場所を、政府が隠しているというのは、本当ですか」

 セイラ博士は、しばらく黙って、それから、静かに頷いた。

「本当よ。隠しているのは、政府。計算したのは、私たち」

「どうして、公表しないんですか」

「一つには、パニックを防ぐため」セイラ博士は、遠くの天文台のドームを見つめて言った。「正確な日付と場所が分かれば、そこから逃げようとする人が殺到する。道路も鉄道も、破綻するでしょうね。……でも、本当の理由は、それだけじゃない」

「それだけじゃない、って」

「私たちの計算には、まだ、誤差がある」セイラ博士は、正直に言った。「日付には、前後で二週間ほどの幅がある。場所も、確率の高い範囲を示しているだけで、断定はできない。……その不確かな数字を、確定した事実のように公表することが、本当に、人々のためになるのか。私は、まだ、答えを出せずにいる」

「でも、幅があるにしても、目安として知りたい人は、いると思います」ミナが言った。

「そうね」セイラ博士は、頷いた。「私も、そう思う。でも、政府の見解は違う。……そして、私たちは今、政府の予算と施設なしには、これ以上の観測を続けられない。真実を発表すれば、この観測所は、閉鎖されるかもしれない。そうなれば、精度を上げるための、これから先の観測が、全部止まる」

 セイラ博士は、疲れた笑みを浮かべた。

「板挟み、というやつよ。今の私たちの立場は」

「博士は、カイさんが何をしようとしているか、気づいてますか」ぼくは、思い切って訊いてみた。

 セイラ博士は、一瞬、目を伏せた。

「気づいていないと思う?」彼女は、静かに言った。「私は、天文学者よ。目の前の兆候を見逃すほど、節穴じゃない。……ただ、止める理由が、自分の中に見つからないだけ」

 その夜、宿の部屋の窓から、ぼくとミナは、丘の上のドームの灯りを眺めていた。

「セイラ博士、寂しそうだったね」ミナが、ぽつりと言った。

「うん」ぼくは頷いた。「正しいことと、できることが、いつも一致するわけじゃないんだなって、思った」

「わたしたちは、まだ、いいね」ミナは、隣に座るぼくの肩に、そっと頭を預けた。「正しいと思うことを、まっすぐ言えるくらいには」

 ぼくは、その頭の重みに、まだ少し慣れないまま、それでも、逃げずに受け止めた。窓の外、丘のドームの灯りが、ひとつ、またひとつと消えていくのを、ぼくらは、しばらく黙って見ていた。

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