第14話 理由は言わない
明日申し上げようと思ってから、三日が経っていた。
三日のあいだ、口の中で言葉を組み立てては、崩していた。
閣下、皿が七つになりました。──それだけでは足りない。増えた理由まで申し上げなければ、あの方には伝わらない。
閣下が儀を乱されたので、宗務院への報告に備えて厳格にすると家令が。──これは、責めていることになる。
どう並べ替えても、責めるか、媚びるか、どちらかに寄った。
三日目の晩、わたくしはまだ言葉を決めていなかった。
膳は七つ。
閣下が先に匙を取られた。ベルガーさんが「閣下」と言い、閣下が四口目で置かれる。もう誰も驚かない。給仕は盆を落とさなくなり、ベルガーさんの声からは張りが抜けた。
三晩で、破られた儀が新しい手順になった。人は何にでも慣れる。慣れたものは、決まりを破っているようには見えなくなる。
わたくしは七つを食べた。
三十を、七度。二百十まで数えるあいだ、上座は静かだった。あの方は、ご自分の四口ぶんを召し上がったきり、あとは杯にも手を伸ばされない。わたくしが食べ終わるまで、何もせずに待っておられる。
待たせているのだと思うと、匙が重かった。
何も起きない。
「毒味、終わりましてございます」
立ち上がるべきところで、立ち上がらなかった。
椅子に座ったまま、卓に手を置いていた。
ベルガーさんが振り向く。眉が寄った。
「毒味」
わたくしは動かなかった。
動けなかったのではない。動かないと決めていた。決めたのは、たった今だ。
上座で、閣下が手を上げられた。
ベルガーさんの口が開いて、閉じた。それから一礼して、下がっていく。給仕も続いた。扉の閉まる音がした。
壁際には給仕が二人残っている。下がれとは言われなかったからだ。
残っている二人は、下がった者と同じ扱いになる。この屋敷では、そういうことになっている。
わたくしが毎晩されていることを、今日はわたくしが使っていた。
閣下は何もおっしゃらなかった。
わたくしから言うしかなかった。
「……どうして、先に召し上がるのですか」
声が小さかった。三日かけて組み立てた言葉は、一つも出てこなかった。
閣下が匙を手に取られた。
取って、また卓に置かれた。
それから、こうおっしゃった。
「理由は言わない」
短かった。
取りつく島がなかった。
わたくしは膝の上で指を握った。三本は握った感じがしない。
ここで引き下がるべきだった。
問いを持たぬこと、と紙には書いてある。問うたこと自体が、すでに一つ破っている。二つ目を破る理由はない。
それでも口が動いたのは、たぶん、三日ぶんの言葉が残っていたからだ。
「皿が、増えました」
閣下の顔が、動いた。
「……増えた」
「七つになりました」
「いつからだ」
「三日前でございます」
閣下は卓の上のご自分の皿を見て、それから、わたくしの席のほうを見た。
あの卓は上座からは斜め後ろにある。皿の数を数えるには、振り返らなければならない。
「休みは」
「三日ごとから、月に一度になりました」
沈黙が落ちた。長かった。
「なぜだ」
「儀が乱れるのは代毒が軽んじられているからだと、宗務院は判じます。軽んじられぬよう、数を増やし、休みを減らす。──そう伺いました」
閣下は動かれなかった。
卓の縁に置かれた手が、指の付け根から順に固くなっていくのが見えた。革が張る。
この方は、ご存じなかった。
三晩、わたくしを庇って、そのたびに皿が増えていたことを。
思えば、知りようがなかった。
皿を数えるには振り返らねばならず、振り返ればわたくしが食べているところを見ることになる。あの方は、それを避けておられる。避けているあいだに、数が二つ増えた。
ベルガーさんは申し上げない。諫めて退けられたあとで、同じ口から二度目は言えない。
先生も申し上げない。宗務院の者が大公家の膳に口を出したことになる。
ヨナスさんは厨房から出ない。ティナは知らない。
申し上げられる者が、この屋敷に一人しかいなかった。
それが、いちばん申し上げてはいけない立場の者だった。
「やめない」
顔を上げた。
「やめない」
もう一度、同じ言葉だった。
「私が食べるのをやめれば、皿は減るかもしれない。減っても、やめない」
「なぜでございますか」
「言えない」
「わたくしでは」
そこで言葉が詰まった。詰まったまま、続けた。
「わたくしでは、聞くに値しませんか」
閣下が、顔を上げられた。
目が合った。三か月と少しで、二度目だった。
一度目は、通り過ぎるときの、数を数えるほどの間もない一瞬だった。今度は、逸らされなかった。
「逆だ」
言い切られた。
言い切ってから、閣下は口を開きかけて、そのまま閉じられた。二度、同じことをされた。二度とも、音にならなかった。
三度目に出てきたのは、まったく別の言葉だった。
「下がっていい」
わたくしは立ち上がって、一礼した。
卓の脇を通るとき、閣下の手はまだ縁を掴んでおられた。
廊下に出て、蝋燭の下を通った。
逆だ。
聞くに値しないのではない。
聞かせられない。
言葉としては分かる。分かるのに、どこにも収まらない。聞かせられない話があって、それがわたくしに関わることで、わたくしだけが知らされない。
部屋に入って、扉を閉めた。
寝る前の手順を踏んだ。七本。舌。水。
何も起きない。
寝台に腰を下ろした。
優しさなのだろう、と思った。
知れば困ることがあるのだろう。知らないほうがいいことなのだろう。あの方はそれを承知の上で、ご自分だけで抱えて、毎晩、先に匙を取っておられる。
けれど、と思う。
聞かせられないというのは、わたくしが弱いからか、口が軽いからか、それとも──聞いた者が困る種類の話だからか。
困る、というのは、どういう困り方だろう。
三日前、ベルガーさんは十一年前の話をした。儀の最中に席を立った代毒者がいて、そのとき皿が八つになった。立った理由は書いていないと言った。書く欄がないと。
わたくしは、その人がその後どうなったのかを訊かなかった。
訊かなかったのは、答えが分かっていたからではない。
訊いてはいけないことになっていたからだ。
その優しさで、わたくしの皿は五つから七つになった。
休みは三日ごとから月に一度になった。
わたくしは何も知らないまま、増えたぶんを食べる。
寝転がって、天井の梁を見上げた。
優しさで守られている人間は、どうして、こんなに何も分からないのだろう。




