↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒味役に、毒の味は分かりません ~倒れて初めて分かるのです。なのに閣下は、わたくしより先に召し上がる~  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/30

第11話 今日は、私が先に

 いつもどおりに始まった。


 蝋燭が片側に七本。膳は五つ。ベルガーさんがわたくしの両手をあらためて、布で拭う。給仕が皿を置く。目は合わない。

 先生が皿の上に手をかざしていく。五つ目まで終えて、顎を引いた。

「結構です」


 ベルガーさんが一歩、机の脇へ出た。儀の始まりの合図だ。

 わたくしは銀の匙を取った。


 そこで、上座から音がした。


 匙が皿に触れる音だった。


 顔を上げると、閣下が一皿目を掬っておられた。

 そのまま、口へ運ばれる。


 大食堂の音が、なくなった。


 給仕の男が盆を胸の高さで持ったまま、動かない。壁際で、先生の組んだ手がほどけた。わたくしは匙を握ったまま、掬うことも置くこともできずにいた。


 閣下は二口目を召し上がった。三口目も。

 いつもの速さだった。速く、迷いなく、味わわずに。


 わたくしはその手を見ていた。

 手袋をしたままだった。革の指が匙の柄を握って、皿から口へ、皿から口へと動く。三か月と少しのあいだ、わたくしが五つを終えるまで一度も動かなかった手が、今、わたくしより先に動いている。


 誰も止めない。

 止められる者がいないのだと、そのとき初めて分かった。この卓で儀を守らせる役目はベルガーさんが負っている。けれど、家令が主人の腕を掴むことはできない。


「閣下」


 ベルガーさんの声は、大きくなかった。


 閣下は四口目を飲み込まれてから、匙を卓に置かれた。

 置いてから、口を開かれた。


「今日は、私が先にいただこう」


 それだけだった。

 理由は、何もおっしゃらなかった。



 ベルガーさんが卓のほうへ進み出た。

「代毒の成らぬまま召し上がるのは、儀に反します」

「知っている」

「宗務院へ報告いたさねばなりませぬ」

「報告しろ」


 家令の口が、開いたまま止まった。

 四十年、この人はこの屋敷の決まりを守ってきた。守らせてきた。守らせる相手が守らないと言い出したときにどうするかは、たぶん決まりに書いていない。


 閣下がこちらを向かれた。

 わたくしは匙を握ったままだった。


「お前は」


 そこで言葉が切れた。

 言い直される。


「残りは、食べなくていい」


 わたくしは動けなかった。

 恐ろしかったからではない。何を言われたのか分からなかったからだ。


 食べなくていい。

 その言葉が、この卓の上で意味を持つには、いくつも足りないものがあった。


 膳は五つ出ている。五つ食べて初めて代毒は成る。代毒が成らなければ閣下は召し上がれない。ところが閣下は、もう召し上がっている。すでに一皿目に口をつけておられる。

 つまり、この卓ではもう儀が壊れていて、わたくしが食べても食べなくても、壊れたままだ。


 それなら食べなくてよいのかというと、そうはならない。

 儀は閣下のものではない。宗務院のものだ。壊したのが閣下でも、壊れた場に座っていたのは代毒者だ。報告が上がれば、問われるのは、わたくしがどう振る舞ったかになる。


 供された順に食べること。吐き出さぬこと。問いを持たぬこと。

 紙に書いてあったのは三つだけだった。三つのどこにも、主人に止められたときどうするかは書いていない。


 書いていないなら、書いてあるほうに従う。


 わたくしは二皿目に手を伸ばした。


 伸ばしながら、これは従順ではないのだと思っていた。

 従うほうが安全だから従っている。決まりを破った者がどうなるかを、わたくしは知らない。知らないものは怖い。閣下の言葉より、紙に書いてある三行のほうが、わたくしには近い。


 閣下が息を吸われるのが分かった。

 止められはしなかった。止める言葉を、あの方は持っておられなかった。

 命じることはできる。命じれば、わたくしは従わないだろう。従わなければ、あの方は自分の言葉が届かないことを見ることになる。だから命じない。


 二皿目。三十を数える。何も起きない。

 三皿目。四皿目。五皿目。


 いつもより時間がかかった。上座で誰も食べていないのに、わたくしだけが食べているというのは、慣れない形だった。


「毒味、終わりましてございます」


 ベルガーさんの声が、少し掠れていた。



 廊下に出て、蝋燭の下を通る。

 手を壁に当てて、そこで気づいた。


 震えている。


 匙を握っていたときには気づかなかった。務めのあいだは、震えていても手順は踏める。終わってから来る。


 足音が走ってきた。

「あの、あの」

 ティナだった。息を切らして、目が丸くなっている。

「閣下が、先に召し上がったって、ほんとですか」

「はい」

「ほんとに」

「はい」

 ティナは口を両手で押さえた。押さえてから、指の隙間で言った。

「厨房、大騒ぎですよ。ヨナスさんが鍋落としました」


「あの、それって」

 ティナが指を組んだり解いたりしている。

「毒味さまの、お仕事は」

「変わりません」

「でも、先に召し上がったんですよね。じゃあ、もし入ってたら」

 そこまで言って、口を閉じた。自分が何を言いかけたのか、途中で分かったらしい。


 もし入っていたら、倒れるのは閣下だ。


 ティナは何か言おうとして、言葉を探して、見つからないまま走っていった。



 部屋に戻って、扉を閉めた。


 寝る前の手順を踏んだ。指を折る。七本。舌を上顎に押しつける。水を一口。

 何も起きない。


 寝台に腰を下ろして、そこから動かなかった。


 なぜ。


 憐れんでくださったのだろうか。

 それなら、皿を下げさせればよかった。あの秋の祝いの日にそうしようとして、家令に止められた。止められたなら、もう一度やればいい。二度でも三度でも、主人が言えばいつかは通る。

 通らないと分かっていて、別のやり方をされた。


 儀を軽んじられたのだろうか。

 それなら、報告しろとはおっしゃらない。黙っていろ、と言えばいい。この屋敷であの方が黙れと言えば、たいていの者は黙る。


 わざわざ、記録に残るようにされた。

 報告しろ、と。あの一言がなければ、家令は書かずに済ませたかもしれない。屋敷の恥になる話だ。書けと言われたから、書くしかなくなった。


 膝の上で手を重ねた。震えは、まだ少し残っている。


 あの方は、宗務院に知らせたがっておられる。

 知らせて、どうなさりたいのだろう。


 もう一つ、引っかかっていることがある。

 ティナが言いかけて、やめたことだ。


 もし入っていたら、倒れるのは閣下だ。


 あの方は、それを承知で一皿目に口をつけられた。承知していない人ではない。この屋敷でいちばん、毒を警戒されるべき立場の方だ。


 わたくしには、それが何のためなのか分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。